恋に気がつき、愛はつながる ~侍女と従者の物語~ 前編
「リザ、おはよう。そんなところで何をしている?」
朝の鍛錬が終わったエルランドは、シャツを着こみながらリザに声をかけた。
彼の愛する妻は、張り出し窓から身を乗り出すように東の庭を見ている。夏の庭には光が溢れ、朝露がゆっくりと空へ昇っていく。
「おはよう、エル」
てっきり夫婦の寝室にいると思っていたリザが、自分を振り返りもせずに答えるのに眉を顰め、エルランドは背後から妻を抱きしめた。
朝陽を受けた彼女の輪郭が儚く見え、わずかに不安になったことを払拭するように。
「いつもより早いな。朝食を急かそうか?」
「いいえ。今日の朝ごはんは、下でみんなと頂きたいの」
素直に体を預けながら、リザは尚も視線を窓下に落としている。それが不満そうな夫の指に顎を掬われ、夫婦は口づけを交わす。
いつもの朝の風景。
しかし、今日は少し違っているようだった。
「なにを見ていた?」
濡れたリザの唇からなんとか視線を引っぺがし、エルランドは妻の視線の方向を見定めた。
「待ってくださいよぅ」
水桶を持ったセローが派手に飛沫をまき散らしながら、ニーケの後を追って裏の庇の下に入って行くところだ。
「ごめんなさい、セロー。リザ様に朝のお湯をもっていかなくちゃなの」
「はぁい。お水、甕にいれておきますね」
「ありがとう」
そんな声が窓下から聞こえる。
「なんだ、ただのセローじゃないか。いつものことだ」
「違うのよ、エル」
リザは振り返り、やっと夫に視線を向けた。朝の光を拾った妻の瞳にエルランドの目元がほころぶ。
「違うって何が?」
「わからない? 最近のセロー、ちょっと頑張ってるから」
「頑張ってる?」
「そう。この間、夏至のお祭りがあったでしょ? 彼、あれから変わったの」
夏至祭とは、ウエストラ遠征から領主夫妻が帰って来てから開かれた、祭りのことだ。
一週間前の事である。遠征にはセローもニーケも同行していた。
「変わった? 相変わらず食うことは人一倍だが」
「うんもう! エルったら鈍感ね。わからない?」
「……」
自分が辺境統治や戦闘、戦略以外の事柄に対し、野暮天の自覚があるエルランドは、したり顔の妻を足の間に挟んで考え込んでいる。
「お城のみんなはコルもアンテも、大体気づいているわよ」
「そうなのか? まさかザンサスも?」
「一番先に気がついたのはザンサスさんよ」
「え⁉」
ザンサスは遠征でも活躍した髭面の武人である。
戦いでは頼もしい男だが、エルランドは自分以上に野暮天だと思っていたから、リザの言葉に軽くショックを受けてしまった。
「……すまない。まったくわからん。俺はリザ以外の女は目に入らないし、男の日常なんて更にどうでもいいから」
リザが大好きな厳しい眉が垂れ下がる。
「降参だ。リザ、教えてくれ。セローの何があなたの興味を引くのだろう?」
エルランドがリザに教えを請うた時、ノックと共に寝室の扉が開いた。
「あら、リザ様。起きられていたのですね。まぁ、寝間着のままで……朝のお湯をお持ちしました」
現れたのは、さっきまで階下にいたニーケである。
「ありがとうニーケ。支度は一人でするわね。今日の朝ごはんは、下で食べるからって伝えてきてくれる?」
「かしこまりました」
主が何でも一人でできることを知るニーケは、湯を置くとすぐに出ていく。
「じゃあ、エル。あとでね」
「あ……ああ、あとで」
無情にも扉は閉まり、頭の上に疑問符を飛ばしたままのエルランドが残された。
朝食の席は賑わっていた。
東向きの窓からは斜めに光が差し込み、重厚なホールを明るく照らしている。今日も良く晴れた一日になりそうだった。
厨房からは次々に湯気の立つスープや焼き立てのパンが運ばれて、気の早い者たちは盆から直接パンをつかみとり、金色のバターを塗りこんでいる。
領主夫妻の食事は直接給仕されるが、エルランドは隣のリザをちらちら覗き込み、リザは一段下のテーブルに隣同士に座っているニーケとセローを見守っていた。
さて、そのセローである。
彼は細いわりに大食漢で、いつもよく食べる。
しかし、リザの見るところ、最近は自分が食べるよりも、隣に座るニーケのことが気にかかるようであった。
イストラーダ城では食事の際、領主以外の座席は特に決まっていないが、同じ職種の者や歳が近い同性同士で、かたまって食べることが多い。
ニーケも今まではターニャやアンテと並んで食べていたのだが、このところはテーブルの端に座って、その隣にセローが座ることが増えたようである。
普段のリザは、朝食は夫婦の部屋でエルランドと、昼食はニーケたち侍女や、時には村へ出かけて食べたりする。そして夕食は、一日の労働の感謝とねぎらいと共に、ホールで皆ととるのだ。
「うーん。どうしたらいいのかしらね」
リザは二人を見守りながらつぶやいた。
「そういえばセローの奴、いつもより食ってないな。ニーケの肉を切り分けてる。腹でも痛いのかな? 後で薬師をつかわそう」
「要らないと思うわ」
リザは、エルランドが切り分けてくれた鶉をほおばりながら、夫を横目で見つめた。
––––この人、自分がすることが人にどう映るか、想像できないんだわ……いつもエルが私にしてくれることを、セローがニーケにしてるのに。
「リザ様」
いつの間にか食事を終えたアンテが、リザに耳打ちをした。
「あ、そうね……エル、私今日は、ベリイを摘みに果樹園まで行くの。護衛にセローを連れて行ってもいい?」
「ああ、構わないよ。他に数人連れて行ってもいいし、何なら俺も一緒に……」
「お館様には、本日は新しい大型馬車購入の予算案を立てていただく、大切な仕事がございます」
腰を浮かしかけたエルランドに、コルがすかさず今日の予定を示す。
リザは侍女たちを連れて楽しそうに出ていき、後には中途半端な姿勢の領主が残された。
「……で、どうなのニーケ! 告白されたんでしょ?」
勢い込んで尋ねたのはターニャである。
村はずれの果樹園には、低い灌木に成る果実がびっしりと枝に成っていた。午後の果樹園には甘い香りが立ち込めている。
今は白い花が満開で、娘たちはその下で休憩のお茶と菓子を楽しんでいる。
「ここ数日のセロー、すごくわかりやすくて健気よ。どうして応えてあげないの?」
「だ、だって……好きだとはっきり言われたわけじゃないし……気がつけばいつも傍にいるというか……たぶん好意は持たれていると思うけど……」
ニーケは離れた小道に立ち、周囲を警戒している青年の背中に、ちらりと視線を当てた。
「そんな彼に応えるとか、応えないというのも、何か違うような気がするのよ」
「え? 好きって言ってない!?」
ターニャが菓子を摘まむ手を止めた。リザも小首を傾げる。
「あんなにわかりやすいのに?」
「変ですよね? もし全部私の勘違いだったら、笑えない冗談ですよ」
「いつも調子よくっておしゃべり好きなくせに、肝心なことを言わないってどういうこと?」
ターニャの厳しい視線が刺さったのか、セローが振り返る。それへ手を振り返し、リザはニーケに向かって呟いた。
「……たぶん彼、今まで本気で恋したことないのよ」
その横でアンテも頷く。
「セローは、ここよりずっと辺境の貧農の末っ子で、幼い頃、村を通りかかったコルに預けられたんです」
「まぁ、そうなの?」
「知りませんでしたわ」
リザとニーケは真面目な顔になる。
「あまり自分のことは言いませんからね、空腹以外。それからエルランド様と一緒に戦場暮らしで、リザ様が来るまで、女の子と親しくなったことがなかったんですね。お調子者だからわかりにくいけど」
「でも、だったら別に私じゃなくてもいいんじゃないかって、思うんです。たまたま近くにいたのが私だって感じで。だから……」
「そうよね。女の子なら、たまたまとか、義務じゃなく、自分自身を見て好きになって欲しいって思うわよね……」
経験値からくるリザの言葉に、ニーケは深く頷いた。
「そうなんです。リザ様ならわかってくださいますよね。セローのことはもちろん好きだけど、彼の本当の気持ちがつかみきれなくて……」
「うん……でも、そうね。私も少し考えてみるわ。ニーケにもセローにも、幸せになってもらいたいもの。私がなんとかしなくちゃ……」
最後の言葉を飲み込むように、リザはお茶を飲みほした。
「さぁさ、お話はここまでにして、もうひと頑張りしましょう! 全部の籠を一杯にしたら、明日はきっとできたてのジャムとシロップ煮が味わえますよ!」
アンテの言葉に、娘たちは元気よく立ち上がった。
二日後––––
「もうたくさんだ! 税収の計算も、備蓄品の予算も全部やったぞ! それなのに俺はまだ、執務室から出られないのか?」
珍しい領主の怒鳴り声に、コルやアンテは平然としているが、若いセローやニーケは顔色をなくしている。
周囲には、エルランドが怒りに任せて払い落とした書類やペンが散乱していた。
「もう我慢がならん! そうだ経理士だ! 王都から経理士を雇うぞ! コル、今すぐ経理士を探せ!」
「エル、怒らないで。コルを困らせてはだめ。経理士なら私が王都に行って探してきます。もう少し我慢してね」
リザは大きな子どもを宥めるように、両手で夫の頬を包んだ。
「なんだと! リザは俺から離れてミッドラスに行こうというのか? さてはジダン殿と会う気だな?」
「そうね。ジダン様ならお家の関係で、いい経理士を探してくださるかも」
「だめだ! リザ一人では行かせない。どうしても行くなら俺も行く!
妻の言葉に、領主の怒りはますます募ってしまったようだ。
「いけないわ。エルには、事務処理が残っているでしょ?」
「嫌だ! 俺が残るなら、リザも俺と一緒にここにいるべきだ」
「どうして、そんな我が儘を言うの?」
リザは困ったようにエルランドを見上げた。その瞳が次のセリフを待っている。
「あ~……その、愛してるから離れたくない……んだ!」
どういう訳か、エルランドの言葉が弱い。アンテは渋面をつくり、コルの肩は震えていた。
「愛してる? だったらエルは、私のどこが好きなの?」
「え? あ、えっと……その、小さくて綺麗なところとか、頑張り屋であるところとか、賢いところとか、勇気があるところとか、あとはえっと……」
「つまりエルは私が私だから、好きでいてくれるのよね?」
「そうだとも!」
エルランドは、ここは本気でリザを抱きしめた。
「リザ、愛している。俺から離れるなんて言わないでくれ!」
「言わないわ、ずっとエルと一緒にいる。そうね……だから、ミッドラスにはニーケ、そして護衛はセローで行ってきてね」
「え?」「は?」
目を剝いたのはニーケ、そしてセローである。それへコルとアンテが頷く。
「それはよいお考えです。さっそく準備をいたしましょう!」
「宿泊はウィルター商会でよろしいですな。直ちに連絡を入れます」
コルとアンテが図ったように執務室を出て行こうとする。それへ、ニーケが慌てて引き留めた。
「ちょっと待ってください! リザ様、私、経理士の事なんて何も存じません」
「いいのよ。ウィルターさんとパーセラさんが、手配してくれるわ」
「俺からも手紙を書いておくから」
さっきまでの不機嫌さはどこへやら、エルランドは熱心に勧めている。
「それにしたって、王都に行って帰ってくるまでに半月はかかります。その間、お城の仕事が滞り……」
「大丈夫ですよ、ニーケ。ターニャも、もう立派な侍女になったし、丘の村娘たちも、よく働いてくれてます」
アンテの言葉にターニャが大きく頷く。
「そうだぞ。こちらに来てからほとんど休暇もとってないだろう? たまには王都でゆっくり遊んでおいで。なに費用の事なら心配はない。セロー、ニーケはリザの大切な侍女で、友人だ。しっかり守るんだぞ」
「は、はいっ! お守りします」
セローの背筋がぐっと伸びた。
「あ、それから当然のことだが、二人は、商人の娘と奉公人と言う設定にする。宿ではいい部屋を取るように」
「えっ! そんなもったいない。大丈夫ですよ。俺は前の廊下で眠りますから」
「俺が費用を出すと言ってるんだ。よい馬を二頭用意する。油断だけはするなよ」
「は!」
「頼もしいわ。気をつけて行ってきて」
リザは、不思議そうな顔をしているニーケの手を取った。
「ね? ニーケ」
ニーケはおそらく、リザの心遣いを察したのだろう。すぐに笑顔になって、主の手を握り返す。
「はい。旅のかかりの明細は、私が記録してコルさんに提出します」
「いいんだよ、ニーケ。これはお館様とリザ様のご厚意だ。好きなものを食べて買って、少しは遊んできなさい」
「コルの言う通りよ。そうだ、パーセラさんに手紙を書くわ! それとウエストラのミランダにも。王都から出してね」
「かしこまりました」
というわけで、翌日ニーケとセローは、王都に向かって旅立ったのだった。
明日は後編です!
よかったら足跡を残してくださいませ。




