連鎖
逮捕状。
それは即ち警察の側で証拠をそろえて告発にまで至ったということだ。
それも公文書偽造罪。
私文書ではなく公文書。それは状況的に融資関係の書類以外に存在しえなかった。
融資の書類しか存在しえず、その上で友人が書類を偽造していた。
そして警察官が来たというその事実。
その二点を統合して考えられるのは、恐ろしく残酷な事実だった。
「私が友人に売られた。そういうことでしょうね」
私が考えていたことを、思っていても言えなかった事実を、目の前の男は事も無げに言い放った。
自分の中でけりがついていることなのだろう。雨が強いな、などと世間話をする風に、重々しい話題は簡単に口から飛び出した。
「……証拠、はあったんですか?」
当然浮かぶであろう私の疑問に、男は躊躇うこともなく口を動かす。
「私が審査した書類ですよ。馬鹿な話です。私が審査したのだからそこには指紋が残っているに決まっているのにね」
その書類に残っている指紋と周囲の不確かな証言、といったところだろうか。それでよく逮捕状が出たものだと思う。
男が言う通り、書類を審査したのだから指紋が残っていることなど当たり前だろう。
何が何でも犯人を上げなければいけない、そんな切実な事情でもあったのだろうか。圧力か、それとも正義感が行き過ぎてしまったのか。巻き込まれた人間からしてみればたまったものではないだろうけれど。
「結果、私は留置所行き。国選の弁護士もつけてもらって、それはそれは悠々自適な暮らしをしていましたねえ」
クツクツと、口角を上げながらシニカルに男は話す。
「……勾留阻止は?」
「間に合いませんでしたねえ。どうにも急なこととショックが重なりすぎて、情けないことながら何もできませんでしたよ」
逮捕状の効力は最大で72時間しかない。その後は検察からの勾留請求によって期間が延びるのだが、その前に弁護士をつけてうまく対処することが出来れば逮捕状が切れると同時に釈放が可能となる。
男の状況的にもそれは可能にも――岡目八目だろうが――思えたが、流石にそう迅速に行動できるほどには落ち着きを取り戻すことはできなかったのだろう。
無理もない。友人の裏切りと思いもしない方向からの逮捕。そんな二方向の見えざる攻撃を受けて無傷で終わる人間など何人いるのだろうか。
目の前の男のように、終わった後でどうにかけりをつけることができるのがせいぜいだろう。
「その後は、とりあえず不起訴で終わりましたよ」
「流石にその程度の証拠で起訴はいかなかったのですね」
「検察側も勝率を下げたくはないのでしょうねえ」
今度は嘲笑するように微かな笑い声を男は上げた。それは冷笑や自嘲ではなく、憎しみという男の生の感情が垣間見えた瞬間だった。
不起訴で終わった、ということは圧力ではなく、警察側は情報に踊らされてしまったということだろうか。
時間稼ぎ。
その言葉が脳内をちらついた。
主犯格の男が逃げおおせるためだけの撒き餌。
「……釈放された後は、どうだったんです?」
私の言葉に、男は久しぶりに苦々しい顔を見せた。
そうした後にコーヒーを口元からのどまでずるずると流し込ませる。苦々しい液体を腹の奥まで飲み込むと、男の顔はいつもの表情に戻った。
「……やはり、職場の居心地は悪かったですねえ。偏見やら先入観というものは、やはりよろしくないものだと実感しましたよ」
他者からみれば、逮捕状が出された時点で悪人や犯罪者として見えるのだろうか。
怪しくは罰せず、などとは結局は刑法の言葉であり、民間ではそうはいかないのだろう。
残念なことに、恐ろしいほどに冷徹な瞳が男を貫いたことだろう。
「親しかった人間から距離が取られるのは……堪えるものでしたねえ……」
その時の男の表情は痛みを明確に表現していた。
友人からの裏切り。同僚からの軽蔑。
精神的な負担はどれほどかもわからない。
有体に言えば死体打ち、といったところだろう。
「……協会は」
「辞めました。色々とご迷惑な存在になっていたようですしねえ」
男は遠い目になる。
諦観の比率が高い瞳。その中に何らかの光は混ざっているようにも見えたが、私からはその瞳は少しぼやけて見えた。
その言葉のさなか、男はどこか寒そうに体を震わせた。
ぶるぶると、自分の体を守るように自分を抱きしめると、男は自分のトラックの方を見やる。
「……ああ、こんな時間ですか」
その様子を察して私は時計を見ながらその言葉を発する。
時間はどうでもよく、そろそろ行先へ行きたいという感情の発露ゆえの行動に見えた。
「ああ、それはそれは。何とも話し込んでしまいましたねえ、申し訳ありません」
男はその言葉にほっとしたのか恭しくそう言葉を発する。
私もその言葉に会釈をして返すと、どうにも気になることが一つあって男に声をかけた。
躊躇いがちに、されどもこの言葉はどうしても聞かなければいけない言葉にも思えたのだ。
「……お辛い、ですか?」
私が男の言葉によくそうされたように、男は私の言葉に目を丸くした。
私の言葉を飲み込めたように男の瞳の様子は元に戻ると、口角は上がる。
悲しみの諦観の光もその瞳にも表情にもなく、ただ現実を現実として受け止めているアトラスがそこにはいた。
「……ええ、辛いですよ。人生ですもの」
男はひどく穏やかな口調で、そう私に聞こえる程度の声で言った。
その言葉は光に照らされ、空中の靄に当たってきらりと輝く痕跡を残した。
端々が汚れた服は太陽光に照らされ、背後に大きく影を伸ばした。
言葉を終えた後、男はゆっくりと私に向けて会釈をしてから歩き始める。
トラックへと戻る人生の敗残者の姿は、私の瞳では到底届かない人生の先駆者に見えた。