解放
「……なんといえばいいのか、分からないな」
苦い顔をしながら、友人は投げ終えたダーツを回収してこちらに帰ってくる。
「だろうな。分かったような顔をされてもそれはそれで気持ち悪い」
私がそう言うと、友人はその顔を少しだけ怪訝そうなものに変える。
「辛辣だな。実体験か?」
「幼気な女性からの受け売りだよ」
「……なるほど。そいつは実体験だ」
会話しながら、友人と入れ替わるように今度は私がスローラインへと立つ。
脳が毒物を味わい続けているようで、椅子から降りるときに少しだけふらついた。
「来てるな」
「ああ、相当な。楽しいよ、どうしようもないくらい」
友人が俺の様子を見ながらそういうが、私はそれに対して真顔気味に返した。
腕の振りに合わせ、力の働くままに手を離れて飛翔するダーツは、19のトリプルへと突き刺さった。
その次はあっさりとその鎮座する場所を変え、18のトリプルへと。その次はまた別の17のトリプルへ。
結果、〇と×が組み合わさった図形が、派手な演出と共に画面上に三つ揃った。
手当たり次第に女を食い散らかす男のようであった私のダーツをほめたたえるように、ダーツの液晶では白馬がその巨大な蹄をせわしなく動かし、いまにも空中へと飛翔しようとしている。
「本当……ぶれないなお前」
筐体の液晶を見つめながら、感嘆とした声色で友人が声を発した。
「アルコール程度では鈍らんってことだな」
少しだけ得意げになりながらボードから矢を引き抜く。
「……話は戻るが……」
ボードから離れて椅子に座りなおした私を見ずに、友人はスローラインへと向かいながらそう言う。
「……お前、その対象のことをどう思ってるんだ?」
対象のこと。前提条件からして私が対処すべき事象など妹か彼女くらいしかなく、今回は彼女の方だろう。
私が彼女に対して抱いている感情。
表面上は間違いなく被害者であり、同時に上司に対しての加害者だ。
拒絶するのが一番だとは思いつつ、上司の家庭のことを考えたらそれも難しい。
彼女なら理解はできるとは思うが、それでもその言い訳にすがっている自分がいることも事実だ。
……他者の存在が心地いのだろうか。そこまで私は精神的弱者だったのだろうか。
「……難しいな」
そんな自問自答を言えるわけもなく、簡単な単語でしか答えることができなかった。
「恋愛感情はあるのか?」
ピピピン、と情けない電子音が響く。画面上の19に〇と×が重なって浮かぶ。
「正直ないとは思う。ただ人間として好ましいとは思うな」
「玉虫色だな」
腕を振り、電子音を響かせながら、言葉で私の発した意見を切り捨てる。
「……否定できないな」
どっちつかずな答え。そう切り捨てられても私は否定することはできなかった。
それを私が一番理解していたからだ。
「よろしくないぞ?玉虫色はさ」
「……わかっちゃいるけどね。綺麗なままでいたいだろ?」
今度は18。しかし少しずれてシングルに刺さり、警笛のような短いホイッスルが響く。
「綺麗は綺麗でも、白鳥の如くバタ足してるなら認めるが」
「してるさ。お陰で水面が激しくなってるだろ?」
「……お陰でこっちが心配する羽目になってるんだがな」
三本投げ終えると、友人はふうと軽く息をつき、そんなことを嘯きながらこちらに戻ってくる。
「悪い」
私のその言葉はいくばくかの心底からの謝罪と、疲れた人間のようなやるせなさで構成されていた。
椅子に座った友人はその言葉を聞き、グラスをカラカラと手癖のように回しながら、瞳をテーブルの上に落とした。
「……お前がそうまで優柔不断になることなんて、珍しいな」
友人はどこかため息をつきそうな表情になり、そしてどこかしら遠い瞳をその顔に浮かばせながら言葉を発する。
優柔不断。決めかね続けるあり方。
問題の先送りに関して他の追随を許さないその方法は、確かに今の私の精神と状況には適合してしまっていた。
「……自分どころか一家を絡めてるからな、慎重にもなる」
言い訳のような私の言葉に、皮肉気に友人の口角は上がる。
「羹にでも懲りたか?」
「この問題を膾と言える奴がいたら尊敬するよ」
私の言葉に友人は今度は淡い笑みを浮かべながら、グラスを傾けた。
のどの動きがよく見え、グラスの表面から一滴の雫が、光を乱反射させながらコースターに零れ落ちた。
「……苦労してんな、お前も」
グラスを置きながら、友人はため息をつく。彼の顔から笑顔という霧が消えつつあるのが見て取れ、同時に陰鬱そうにそうつぶやく。
「そりゃ大なり小なり誰でも苦労してるよ。大人ならな」
「……こういう時は苦労してない人間が羨ましくならんか?」
「……正直、なるな」
私も友人の手癖が移ったかのようにグラスを回してみる。
それによって作られる波がグラスに当たって乱反射し、うっすらと明るい太陽のような照明を吸収しながら、ジャズが流れる雰囲気の中にその光を放出していた。
グラスの中の液体は振るたびに様々に光る角度を変え、一秒ごとにその形を変容させる宝石であった。
言いようもなく綺麗だと、茹りつつある頭で感じた。
「だけど、そういう奴は不感症か、大きいだけの子どもかのどっちかだろうな」
そんな美しい宝石を見つめながら、愚痴のような嬉しくもない言葉を嘆くように私は吐く。
「楽そうだな人生」
「鈍い奴はそれはそれで苦労しそうだけどな」
その状況、おかれている場所に対しての即応性に欠けるというのは、苦労、それかそれに付随する痛みを感じることよりもよほど重症だろう。
痛みを感じる、というのは病の進行している証拠であり、痛みを理解できないというのは、その病そのものが理解できないということに繋がる。
どれだけ危機的状況にあろうと、その立ち振る舞いを変えるきっかけとなる要素を認識できないのだ。
自分で何かしらに火をつけ、その火がついていることを理解できずに、結果自分を大いに焦がすのだ。
……哀れと思う対象でもあり、使えないと罵倒する対象でもある。
しかしそれもうまく転べば飄々とした態度、と評されることもあるため、世の中とはわからないものだ。
私の言葉に友人はクックッと押し殺したような笑いを浮かべながら、テーブルの上にあったリキュールを掲げた。
白さを基調としたボトルの表面が光を反射し、私の瞳孔をやや萎ませる。
私も自分の空になったグラスを持ち上げ、その中にリキュールが注がれるのを待った。
液体の零れ落ちる音を聞きながら、グラスの中に精神を犯す毒が注がれるのをじっと見つめていた。
私の精神の如く、ゆらゆらと水面が揺れていた。




