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1足す1の中身  作者: サンドリヨン
ある男
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諸刃の剣

「大変ですね。体力勝負でしょう?」

 夜中に車を走らせ、早朝に目的地に着くように時間の調整を行う。就寝すらも恐らくは車の中であろうし、体への負担は並々ならぬものであるだろう。


「全くです。お上からも最近世間様がうるさいから眠るな、などと言われましたよ」

 疲れを現すように肩を回しながら苦笑気味に言われた言葉に、私もそれは酷い、と合わせるように笑みをこぼしながら言葉を発した。


「それはご愁傷さまです。運輸業ですから、そう簡単に休暇も増やせないでしょうしね」

「そうなんですよねえ。与えるものは与えずに要求だけ行うというのは何ともなんとも、という感じですねえ」


 必要経費すら支払わずにこき使う。確かにそれは胸が痛くなるほどの酷い話だ。企業側に物流を止めるわけにはいかない、という止むにやまれぬ事情があるにせよ、人間を消耗品のように扱うのはいかがなものなのだろうか。


 体が肥大してしまえば、指の爪の先など気にも留めないのだろうか。

 仮にそれに気を付けて、物ではなく者に意識を向ければ、結局は他の場所から苦情が噴出するのだろう。


 あれが遅いこれが遅い。いつ到着するんだ。休みを取るなちゃきちゃき働け。

 それに応えて無理をして、事故を起こせばやれ企業が悪いスケジュールが悪い。

 人間とはいったん得てしまった生活水準をどうしても落としたくない生き物に思える。それが他人から得られたサービスであれ、一度定着していまえばそれを当然だと、当たり前だと認識してしまうのだ。


 その結果旧態依然として今の形態がどこどこまでも続くわけだ。

 同じように糾弾されるのならば、変革などという労力のかかるものは先延ばしにしたいのだろう。


 ああ、確かに人間の爪には神経が通っていない。悲しいことに。


 掌で缶コーヒーを握りしめた。暖かい缶のぬくもりが、じんわりと体全体に鈍い振動のように広がる。

「とはいえ、ね。与えるばかりというのもなかなか考えものですけれどねえ」

 ため息交じりに男から発せられた言葉に、私は興味を持った。

 だからこそ半ば無意識でその先を聞いてみたくなってしまった。


「と、いいますと?」

 その言葉に男は自分の口を滑らしてしまった、というようにあからさまに顔色を変え、そのあとすぐにかぶりを振る。

 何度か躊躇うように口を開閉した後、意を決したのか、つまらない話ですけどねえ、と半ば自虐的に思えるほど悲しい笑みを浮かばせながら言葉を発した。

「有体に言えばね、食い物にされてしまったのですよ」


 食い物。


 それは即ち、誰かのカモになっていた、ということなのだろうか。

「……それは詐欺とか、いわゆる犯罪等の被害にあった、ということですか?」

 私のその言葉に、ゆっくりと男は首を振る。


「犯罪ならばまだよかったんですがねえ。犯罪であったのならば、ねえ……」

 犯罪で済んでしまうようなものでなく、かつ男がここまで傷ついてしまう要因。

 食い物という言葉と、自虐的――誰かに罪があるというものではなく、自分にも責任の一端があると思っている――なその様子。その二つに因果関係があるとすれば、そしてそこから鑑みれば……。


「……身内、ということですか?」

 恐らくは、程度の感覚で発した言葉は存外的を射ていたようで、男は驚いたように目を見開いた。

 男の口ぶりからしては、獅子身中の虫に手酷く傷つけられた。そう考えるのが相当に妥当だろうと思えた。

 即ち身内。自分のコミュニティの内部からの凶刃とあらば、どうあっても避けることなどできないだろう。

 全く意図していない暴力など予知しようもなく、ただ傷つき、出血の代わりに涙があふれ、体の代わりに心が痛いだけ。

 悲しみという生産物しか生まないモノ。


「……察しがいいんですね。驚きました。ええ、ええ。まったくもって図星ですねえ」

 わかりやすかったのか、と瞳で言外に語り掛けてきた男に、私は苦笑しながら答える。


「職業柄、人の表情を読み取るのは慣れていますから」

 その言葉にどこか得心が言ったのか男は一つ大きく頷き。

「ああ、ああ。なるほど。お医者様ですか?それとも営業の方ですか?」

「営業の方ですね。しがない企業のですが」


「いえいえ立派なことです。商品を全面的に売り出せるなんてものは、よほどその商品に対して深い造詣がなければできないことでしょう?」

 その言葉に私はいつもの風景を思い出してみる。


 開発からその商品のスペック、様式、年代、対象としている層を聞き、それを頼りにあちらこちらを這いずりまわる。当然のように事前の調査は欠かせない。

 欠かせないのは商品の調査ではなく、向かう先の企業――たとえ飛込であっても、むしろその時はだからこそ――の実態調査である。今行っている事業があればそれに合致するような商品を出せばいいし、逆に頓珍漢な商品を売り出してしまえばそれは明確に信用の失墜という形で降ってくる。


 ……思い返してみれば、商品のことなどあまり考えてはいない。

 全て開発の言葉をうのみにし、期限と値段だけ渡されてさあ行けと放り出されてしまうのだ。

 考えているのは如何に企業側に受けるか、それとも受けないか、ただそれだけ。


 営業という名前のくせして、自分の商品よりも相手側の企業の方ばかりに詳しくなっているのではないだろうか。


 そのことをいまさらながら思い至り、少しだけおかしくなって吹き出しながら男に答えた。

「そんなたいそうな物じゃないですよ。一種のサービス業のようなものですから」

「ふむ。そんなものですか」

「そんなものですよ」

 段々冷めつつあるコーヒーをあおりながら、聴くだけ聞いて満足したような男性に蒸し返すように質問を投げた。


「……身内、ということは親族ですか?」

「いえ、友人ですねえ」

 嫌なことを繰り返し聞くようで遠慮がちに発した私の言葉を、男はそんなものはいらないと切り捨てるように即答で返した。


「友人にね、少しばかり裏切られてしまったんですねえ」

 男は遠い目をしながら呟くように言葉を発した。

「裏切られた、とは?」

 私の問いに男はバツが悪そうな、気恥ずかしいことを告白するような、恥と躊躇いが混ざったような様子で頭をぼりぼりとかきながら語る。


「……いえ、何。昔っから手のかかる友人がいましてねえ。何かと世話をしていたんですよ、その友人がちとやらかしてしまいましてねえ」

 ゆっくりと、しかし確実に言葉を発していく男は、少ししゃべりつかれたのか失礼、とだけ発して懐から缶コーヒーを取り出し、のどを潤すために一口口に含んだ。


「喧嘩の仲裁、他の友人との仲の取り持ちなど……確かに苦労かけられましたが、不思議と嫌いにはならなかった、いえ、なれなかったんですねえ」


 いわゆる悪友というやつなのだろう。

 私にも覚えがある。どんなことをしでかしたとしても、不思議と嫌いにならない奴というものはいるものだ。それが人徳であれ人格であれ、しょうがないな、や苦笑で終わることはそういう人間と応対するならばままあることなのだ。


 付き合うことに面倒になることもあるが、それでも友人としてただ良いやつ、面白い人間であるために付き合っていることもある。

 私はそういう時に、人間とは社会的な生き物であることを実感するのだ。


「しかし存外、私は見る目がなかったんですねえ」

 遠い目をする。視線の先では雲がわずかに晴れ、にこやかに太陽が顔を出しながら地上を照らす。

 暖かな光に包まれて体温を持った道路は、しかし行き交う車に踏みつけられて元の木阿弥になってしまう。

 はるか遠くに見える一見して良いことに見える事象が、目の前の不幸によって踏みつぶされてしまった。


「……具体的には、ご友人はどんなことを?」

 中心部。話しの根幹に踏み込んだ私の方へと、男はゆっくりと振り向く。

「そうですねえ。一言で言うならば……」


 向けられた瞳は、悟ったような悲しさを持っていた。悟りたくて悟ったのではなく、悟らざるを得なかったもの。そういう者の目をしていた。選択肢の中から選び取ったのではなく、目の前の一本道を進まざるを得なかったということなのだろう。

 その涙の粒のような瞳と反比例して、口元は笑みを描くように弓なりになっていた。

 そんな矛盾した感情の萌芽を私に向けながら、男は端的に物語を語った。


「……保証協会付融資って、ご存知です?」

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