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◇◇◇◇
「まあ、キャシュトニーナ! 久しぶりね、元気でやってる?」
バタイユ海域からマッカラーズ基地へ戻ってきたリアンクール少佐は、通信器の向こうから聞こえてくるなつかしい声に満開の笑顔になった。
泣きぼくろが目立つおどおどした少女の顔が思い浮かぶ。彼女の名はキャシュトニーナ・レイン。少佐の教え子だった。
キャシュトニーナは秀でた感知と読心を持った特殊能力者で、現在、フォート・マリオッシュのミュウディアン部隊、プリズナートの一員として活躍している。
リアンクール少佐は、キャシュトニーナが第一線で活躍するようになってもずっと彼女のことを気にかけていた。彼女には大きな悩みがあることを知っていたからだ。
自身の特殊能力のためキャシュトニーナはいつも孤独だった。人の心の内がわかってしまう能力を嫌っており、誰にも心を許そうとはしなかったのだ。
そんな彼女がミュウディアンとして戦わなければならないことに不安を感じていた。
今、久しぶりに話すキャシュトニーナの雰囲気が以前とは異なっているような気がする。いつも彼女にまとわり付いていた緊張感がなくなっている。
第一、どもっていない。キャシュトニーナにはひどいどもりがあったのだ。
「キャシュトニーナ。あなた、変わったわね。何かあったの」
「はい。とても素敵なヒトに出会いました。彼がわたしを変えてくれたんです」
「恋人ができたのね」
キャシュトニーナはくすっと笑った。
「いいえ、違います。彼は若すぎて・・・・・・ でも、彼のことは今でも大好きです」
少し切なそうな、でも、すっきりしたような声。
「よかった。あなたにもそういう人がいてくれて」
「それで少佐。今日は少佐にお聞きしたいことがあるのですが」
キャシュトニーナの声は真剣なものに変わっている。
「何かしら?」
「セイラガムのことを教えてください。少佐はバタイユの海賊討伐に招集されていましたよね」
「ええ、その通りよ。でも、海賊の首領はクリュフォウ・ギガロックではなかった。偽者だったのよ」
「それはわかっています。そうじゃなくて人質を救出した方のホンモノのことが知りたいんです」
リアンクール少佐は驚いた。
人質を救出したヴァイオーサーがセイラガムではないかと言う者も確かにいる。だが、それを肯定する者はいない。
事実など関係ない。アビュースタ人にとってセイラガム=死神であり、人命救助と結びつけて考えること自体がナンセンスなのだ。
少佐にしてみても、実際に会っていなければセイラガムが人質を救出したとは考えられなかったかもしれない。
「なぜ、人質を救出した人物がセイラガムだと思うの?」
「あんなことのできるヒトが他にいますか?」
「でも、セイラガムなのよ」
キャシュトニーナはしばらく黙り込んでいた。
「そうです。セイラガムです」
幾分低くなった声からは怒りを感じる。
「それでも―――人間です」
これではっきりした。
「あなた、セイラガムに会ったことがあるのね。・・・・・・そう言えば」
少佐はふと思い出す。
「“マリオッシュの奇跡”のヴァイオーサーが誰なのか、まだわかっていなかったわね」
マリオッシュの奇跡―――――
去年、要塞島フォート・マリオッシュは未曽有の危機に直面した。エネルギーの暴走に巻き込まれあわや消滅というところを、正体不明のヴァイオーサーに救われたのだ。
そのときマリオッシュを守った絶対障壁は並のヴァイオーサーに展開できるような代物ではなかった。100人のヴァイオーサーが力を合わせても可能かどうかという程に強力なものだったのだ。
それがセイラガムの手によるものだとすれば納得がいく。
リアンクール少佐は自分の思いつきに驚いた。
きっと、同じことを考えた者はいたはずだ。
しかしながら、ザックウィックの彼がアビュースタの要塞を救うことなどありえない。だから、誰もその可能性には触れようとはしなかったのだ。今回の人質救出と同じように。
「クリュフォウ・ギガロックになら、会ったわよ」
「本当ですか! どんな様子でしたか? 彼は元気なんですか?」
勢い込んで質問を浴びせるキャシュトニーナは高まった感情を抑えきれない様子だった。
「落ち着いて。全部話してあげるから」
リアンクール少佐の話にキャシュトニーナはじっと聞き入っていた。セイラガムが海賊の首領を倒したこと。その際に負傷し少佐が手当てをしてやったこと。礼を言われたこと・・・・・・
誰に話しても真実なのかと疑うであろう内容にも、キャシュトニーナは一切の疑念を口にしなかった。セイラガムがそんな行動を取っても少しも不思議ではないと知っているかのように。
キャシュトニーナとセイラガムは浅からぬ関係にある。少佐は確信した。
ミュウディアンとザックウィックは出合えば殺し合うしかない天敵同士だ。その絶対的な壁を乗り越えて友情が芽生えたとでも言うのだろうか。
「まさか。あなたを変えてくれた人って、、クリュフォウ・ギガロックなの?」
キャシュトニーナは答えない。
「少佐が出会ったセイラガムは本当の彼じゃありません」
長い沈黙の後教え子が残した言葉の意味を、少佐は思いがけないところで思いがけない形で知ることになる。
バタイユ海域の海賊騒ぎから1か月がすぎた。
このところ、アリアーガのあちこちで不可解な光景を見かける。
ヒエロニムス採掘場の跡地で大勢の人夫が働いているんだ。人夫は一日中なにかを掘り出している。ヒエロニムスには一文の価値もないはずなんだがな。
不思議に思って町で会った人夫にたずねると、「掘っているのはヒエロニムスじゃない、プロクルステスだ」と言う。ますますわからなくなった。
プロクルステスはヒエロニムスがマウフ137と反応して変質したもので、ヒエロニムスに混じって地中に埋まってる。
昔ヒエロニムスと一緒に掘り出されたプロクルステスは、クズ鉱石として鉱山の片隅に捨てられていた。利用価値がないどころかじゃまものでしかない。
そんなもんを掘り出して一体どうすんだ?
活気づいた鉱山に島民たちは昔に戻ったようだと喜んでいたが、オレはなにか得体の知れない不気味さを感じていた。
鉱山を買いあさってプロクルステスを掘り出しているのは誰なのか。知りたいのならダレス・マルシャークにきくのがいちばんはやい。
他人を厄介ごとに巻き込むルポライターには、できることなら関わりたくなかったんだがな。
ダレスによると見捨てられた鉱山を言い値で買い上げているのは、新しく設立されたばかりの会社、イアソンだ。
そして、そのイアソンに100%出資しているのはドス・サントスだった。
わざわざ新会社を仕立ててまでドス・サントスの名を隠しているのはなぜだ?
そんなこたぁ、後ろめたいからに決まってる。要するにロクでもないことをたくらんでやがるんだ。ダレスもまだそこまではつかんでないらしいが。
ヤツに協力することを条件になにかわかったら教えてもらう約束をした。
自分で調べることもできなくはないが、ホームに戻ったときぐらいはチビたちと一緒にいてやりたい。オレはあいつらのオヤジみたいなもんだから。
◇◇◇◇
ホームではベサラウイルスが蔓延する前の日常を取り戻し、いつも通りの平穏な日々が訪れていた。だが、時として日常はもろくも崩れ去ることがある。
その日の午後、フィヨドルとジョシュアがフロークに買い出しに行っている間に事件は起きた。
レイチェルは庭で遊んでいる子供たちの中にマルティの姿がないことに気が付いた。
いつもは片足でも器用にブランコをこいでいるのだが、今日は家の中で遊んでいるのだろうか。深く考える必要のないことかもしれない。だが、レイチェルは気になった。
このところマルティは元気がなかったからだ。
家には数人の子供がいたがその中にマルティはいなかった。
子供部屋に行ってみると、マルティのベッドの上に何か紙くずのようなものが散らばっている。拾い上げてみてそれが破り捨てられた義足のカタログだとわかった。
義足をつけてもらえると知ったときにはとても喜んでいたのに。一体何があったのだろう。
ただ事ではないと感じたレイチェルは、モニカと共に家の中と庭をくまなく探したが見つからない。どうやらホームの外に出て行ってしまったらしいと判明して大騒ぎになった。
身体の不自由なマルティがひとりで外出することは、これまで一度もなかったのだ。車いすは残されているから杖だけを頼りに歩いて行ったことになる。
数時間後、マルティが見つかったのはヒエロニムスの採掘場跡だった。
そこにはまだイアソンは入ってきておらず、削り取られた山肌そのままに放置された採掘場には荒涼とした風が吹いている。
はげ山を見上げたレイチェルとモニカの顔が引きつった。
はげ山の頂にマルティが立っているが見えた。切り立った崖から下をのぞき込んでいる。杖をついて不安定な足場に立つ少年は風にあおられただけで落ちてしまいそうだ。
真っ先にはげ山を登りきったレイチェルは、汗にまみれ肩で息をしながら叫ぶ。
「どうしてそんな所にいるの。危ないわ。早くこっちへ来なさい!」
歩み寄ろうとすると鋭い声がとんで来る。
「来ないで!! ぼくはここから飛び降りるんだから」
レイチェルの心臓は凍りついた。マルティの口から出た言葉とは信じられない。
「馬鹿なこと言わないで。。お願いだから・・・こっちへ戻って来てちょうだい」
レイチェルの声は震えていた。
「もう、ぼくのことなんてどうでもいいんでしょう。だったらほっといてよ!」
少年の哀しげな瞳は心の苦痛を訴えている。
「わたしのせいなの?」
レイチェルは青ざめた。思い当ることがあったからだ。
息子のルシオンがセイラガムであると知ったその日から、マルティの顔をまともに見ることができなくなっていた。
マルティからすべてを奪ったのが実の息子であったなどとは信じたくない事実であった。どんな顔をしてマルティと向き合えばいいのだろう。
レイチェルはマルティを避けるようになっていた。少年の気持ちを知りながらそばについていてやれなかった。
残酷な現実を受け止めきれないレイチェルは時間さえあれば聖堂で祈りを捧げていた。そして、マルティを孤独の淵へと追い詰めていったのだ。
「ぼくは義足なんていらない。杖がなくても歩けるようになったら、そうしたら・・・・・・レイチェルはもうぼくにやさしくしてくれない。だから、だから・・・・・・」
マルティの今にも泣きだしそうな顔に胸がしめ付けられる。彼はただレイチェルにそばにいて欲しかっただけなのだ。自分を見ていて欲しかっただけなのだ。
こんな騒ぎも起こしたのも、恐らくはレイチェルの気を引きたかったからなのだろう。
レイチェルの心は申し訳ないという気持ちで一杯になる。自分のことばかり考えていて、マルティの寂しさに見てみぬふりをしていた。
「わたしはずっとあなたのそばにいるわ。義足があってもなくても変わらずそばにいる」
マルティのほおを涙が伝う。その時、強い風が吹いて来た。少年の小さな身体は崖下へさらわれそうだ。
「マルティ!!!」
悲鳴と共にかけ出したレイチェルはマルティの腕をつかんで引き寄せぐっと抱きしめる。
涙があふれた。
マルティを失うかもしれないと思ったときの胸を切り裂くような痛み。抱きしめたときのあたたかい安堵感。レイチェルにとってもマルティはかけがえのない存在なのだ。
レイチェルは決心した。
「あなたはとっくにわたしの子供だわ」
ずっと以前からマルティを養子にしたいと考えてはいた。けれども、彼だけを特別扱いすることはできない。
ホームで一緒に暮らす子供たちに不満や妬みの感情を植え付けることになるかもしれない。そんなことを心配していたからだ。
だが今、ふたりの関係をはっきりさせることが自分にとってもマルティにとっても必要だと確信した。
「二度とこんな思いはさせないと約束するから、、許して・・・・・・ わたしの本当の子供になってちょうだい」
レイチェルは泣きじゃくるマルティの耳にささやきながら、もうひとつの大きな決断をしていた。
それがどんな事態を引き起こすことになるのか、彼女は、まだ知らない。