第26話:『鉄鎖』の絆、それぞれの明日
第26話:『鉄鎖』の絆、それぞれの明日
数週間が瞬く間に過ぎ去っていった。
天を突く支柱が崩れ落ち、ただひとつの広大な地表へと姿を変えた街には、いまや絶望の悲鳴ではなく、復興を推し進める槌の音や掛け声が響き渡っている。
瓦礫が撤去され、少しずつ区画が整理されていく地平の上で、崩壊の渦中を生き残った者たちは、それぞれの足で立ち上がり始めていた。
「——そう、急ぐ必要はないんだ。魔法で土を無理やり歪めるんじゃない。土の中に宿る小さな精霊の力と、自然の水路の流れを整えてあげるだけでいい」
崩れかけた天幕の下、そう優しく語りかけていたのはルカだった。 彼の周りには、かつての立場や境遇の垣根を越えて集まった身寄りのない子供たちが、目を輝かせて膝を突き合わせている。
ルカはすでに、かつて世界を苛んでいた「他者の命を薪にする大がかりな魔導技術」を完全に捨て去っていた。代わりに彼が組み立てたのは、自然の自浄作用と土地の精霊力を小規模に活かす、まったく新しい「新農法」と「循環魔導学」だった。
誰かを踏みつけることで成立する膨大なエネルギーではなく、小さな芽を育むための素朴な知恵。ルカはその技術と知識を余すことなく子供たちに教え込み、瓦礫の街に生まれる新たな時代の先駆者(教育者)としての道を歩み始めていた。
「ルカ先生! こっちの畑、青い芽が出たよ!」 「本当かい? よし、みんなで見に行こう」
かつて命の危機と不条理な拷問に怯えていた気弱な少年は、いまや大勢の未来を育む、温かく頼もしい眼差しを獲得していた。
一方、新しく生まれ変わろうとする街の「中心部」では、地響きのような怒号が飛んでいた。
「おいコラ! 横から割り込もうとしてんじゃねぇ! 誰だろうが後ろに並べ!」 「おい、そこの荷車! 手が止まってるぞ、背筋伸ばして押せッ!」
煤の跳ね返った胸当てに、かつての傷が深く残る鋼鉄の大盾を背負い、現場を仕切っているのはガゼルだ。
彼は以前の立場や種族の垣根を完全に払い、混乱に乗じた割り込みやサボり、小競り合いを防ぐ「防衛・復興隊」の総指揮官として泥まみれで暴れ回っていた。 過酷な過去の戦いでその手と身を血で汚してきた男だ。英雄の真似事をする気など毛頭ない。だが、自分と同じように泥の中でもがき生きようとする人々を護るためなら、彼はいくらでも鬼役を引き受け、その大盾を掲げ続ける覚悟があった。
「ガゼル隊長! 西地区の崩落現場から水が出ました!」 「よし、人手を回せ! 喉が乾いてるのはみんな一緒だ、全員に均等に配れ!」
かつて鉄の鎖で繋がれ、命を削り合う関係だった者たちが、いまやそれぞれの場所で、新しい世界の礎となって汗を流している。
——そして、崩落した旧・最上層の瓦礫のテラス。 復興が進む街を一望できる高い丘の上で、一人静かに佇む白髪の女性がいた。
ヒルデだ。
「……こんなところで何をしている、救世主様よ」
背後から歩み寄ってきたガゼルが、呆れたように、けれどどこか温かい声音で声をかける。
世界を縛っていた魔王ヘメラを打ち倒し、偽りの楽園を叩き破った白髪の女騎士。街の噂ではすでに、彼女を「世界を救った伝説の英雄」として称え、新たな都市の指導者として祭り上げようとする動きすら出始めていた。
だが、ヒルデはそんな声のすべてを静かに固辞していた。
「救世主、か。……柄じゃない」
ヒルデは苦笑交じりに呟くと、左腕の包帯をしっくりと馴染むように固く巻き直した。 かつて不気味な黒い鱗と異形の爪に覆われていた腕は、いまや包帯の下に痛々しい火傷のような傷痕を残すだけの、「普通の血が通った腕」に戻っている。
彼女の背には、研ぎ直され、無骨な鉄の光を放つ一本の大剣が担がれていた。
「私はただ、己の復讐と意地のために戦っただけだ。戦いが終わった今、私のような『刃』がこの平穏な街に留まるべきじゃない」
「……どこへ行く気だ、ヒルデ姉さん」
子供たちへの講義を終えたルカが、どこか寂しげな表情を浮かべながら丘を登ってきた。
ヒルデは二人の方へ振り返り、かつての惨劇の夜には見せることのなかった、ごく素朴で柔らかい笑みを浮かべた。
「この地平の果てさ。……偽りの天蓋が去って、この世界がどれほど広いのか、確かめてみたくてな。それに、まだ復興の手が届かない境界の土地には、残された魔物や混乱も残っているはずだ」
「……フン、どこまでも往生際の悪い女だな」
ガゼルは可笑しそうに鼻を鳴らすと、腕を組んで大盾を地面に叩き立てた。
「止めても無駄なのは解ってる。……だがな、ここはお前の家でもあるんだ。戻りたくなったら、いつだって戻って来い」
「ああ。僕たちの開発した新しい野菜が実ったら、一番に食べてもらうからね」
ルカの言葉に、ヒルデは力強く頷いた。
「ああ、楽しみにしている」
包帯を巻いた左手で、しっかりとガゼルの無骨な手と、ルカの華奢な手を固く握りしめる。 かつて絶望の深淵で、過酷な『鉄鎖』によって結びついた三人。いまやその鎖は消え去り、それぞれの明日へと伸びる、解けることのない温かな絆へと変わっていた。
(最終話へ続く)




