第19話:『雲上の謁見塔』
第4章:『漆黒の咎喰い』
第19話:『雲上の謁見塔』
中層部『流楽街』を支えていた地下の魔力抽出施設が破砕され、街を彩っていた人工の光が不吉に明滅を始めた頃、一行は雲を突く巨大な昇降タワーを駆け上がっていた。
「外縁部のガルムたちから通信だ!」
ガタガタと激しく揺れる昇降機の冷たい鉄床を踏み鳴らしながら、ルカが狂ったように明滅する通信魔導具を必死に抱え込む。ノイズ混じりの叫び声が、昇降機内に痛々しく響いた。
「下層の警備隊は、決起した魔族と人間たちの連合軍が完全に足止めしてくれている! 『後ろは任せて、上がれ』って……!」
「……応えてやらなきゃな」
ガゼルが大盾のグリップを潰さんばかりに固く握り直した。その掌には絶え間ない激戦による血と汗が滲み、荒い息遣いとともに胸甲が大きく上下している。
昇降機が悲鳴のような機械音を立てて上昇を続け、やがて視界を塗り潰していた不気味な暗雲を強行突破した。
瞬く間に、世界が一変する。
「……なんだ、ここは……」
ガゼルが詰まったように息を飲んだ。
頭上に広がっていたのは、濁りのないどこまでも澄み切った蒼穹。そして、雲海の上に浮かぶように聳え立つのは、中層部の煌びやかさとは一線を画す、神聖なまでに静寂な白磁の宮殿——最上層『魔王城』だった。
一切の歪みも傷もない透明度の高い結晶で造られた建築群。風もなく、音もない。下層の怒号や血の臭いなど最初から存在しなかったかのように、世界から「時間」そのものが切り離された、完璧で無菌の神殿。
だが、昇降機が「ガンッ!」と重い衝突音を立てて最上層の床に着底した瞬間、異変は起きた。
ジジジ……ッ、ジジジジジジッ!!
ルカの腰のポーチから、鼓膜を突くような鋭い金属摩擦音が弾けた。彼が旅の間ずっと大気中の魔力密度を測定するために使っていた、真鍮製の測定器だ。
「ルカ、どうした!?」
「あ……あり得ない……! 針が、振り切れるとかそういうレベルじゃ……っ」
ルカが血の気の引いた手で取り出した測定器の針は、文字盤を力任せに叩き割り、ガラス枠を内側から圧迫して歪ませていた。激しい負荷に内部の歯車が噛み合わせを失い、惨めな悲鳴を上げている。
次の瞬間——パァンッ!!
耳腔を跳ねる破裂音とともに、測定器から黒煙と火花が吹き出した。中心部に埋め込まれていた制御用の精霊石が、一瞬で真っ黒な炭へと変色し、ミシミシと亀裂を生みながら粉々に砕け散る。
「壊れた……? 限界値を超えたのか?」
ガゼルの問いに、ルカは蒼白な顔で砕けた精霊石の破片を見つめ、激しく首を横に振った。
「違う……負荷を超えたんじゃない。『焼かれた』んだ……!」
「焼かれた……?」
「自然界に存在する魔力には、どれだけ高濃度であっても属性のゆらぎや波長が存在する。でも、この最上層を満たしている魔力は……波長が完全に一本の鋭利な針みたいに狂っている。例えるなら……下層で吸い上げた無数の命から、感情も、個性も、生の痕跡もすべてを強引に削ぎ落とし、極限まで濃縮・精製した『魔力の放射性毒素』だ……! 普通の人間や魔族なら、素のままで数分いれば……魔力経路を内側から焼かれて即死する……!」
ルカは恐怖に目を剥き、周りに立ち並ぶ美しい白磁と透明な結晶柱を見回した。冷や汗が頬を伝い、喉が焼けるように乾いていく。
「そうか……この美しい宮殿そのものが、その高濃度精製された危険な魔力を閉じ込めるための『遮蔽容器』なんだ!」
言葉の途中で、ルカの鼻からタラリと赤い血が伝った。すでに毒素が肉体を蝕み始めている。ルカは慌てて医療鞄から予備の防護用精霊石を数個取り出し、狂乱したように地に叩きつけた。
「『拒絶の檻』ッ!」
淡い青光の結界が展開され、三人の周囲を包み込む。
直後——結界の外壁で目に見えない高濃度の魔力毒が弾け、ジジジジジジジッ!! と肉が焦げるような不吉な削過音が鼓膜を痛めつけた。結界の表面に、目に見える形でどす黒い亀裂が走り始める。
「ぐ……あ……っ! 手持ちの触媒じゃ、この濃度の毒素を長時間遮断するのは不可能だ……! 持ってあと数分……結界が破られたら、僕たちは息を吸うことすらできずに焼き尽くされる……!」
額から血と脂汗を流し、膝を震わせるルカ。ガゼルも大盾を構え直し、呼吸を極限まで浅く整えながら、皮膚を刺す目に見えぬ毒の圧迫感に歯を食いしばる。皮膚の表面がチリチリと痺れ、肺の奥が灼熱の熱を帯びていく。
タイムリミットは、一刻一刻と刻まれていた。
だが——結界の端に立つヒルデだけは、違っていた。
左腕の包帯の下で、黒い鱗がざらりと狂暴に蠢く。結界の隙間から微かに漏れ出す致死の魔力毒に触れても、ヒルデの左腕は苦しむどころか、むしろ「至高のごちそう」を前にしたかのように、静かな飢餓感を伴って深呼吸を始めていた。脈打つ黒い宿痾が、大気中の毒を喰らって微かに熱を帯びる。
下層の者たちから奪えるだけ奪い、命の不純物を泥として下層へ投げ捨て、純度だけを高めた毒の結晶。それが、この最上層の神聖さの正体だった。
「綺麗な見た目をして、中身はとんだ劇薬の溜まり場か。胸がやけるな」
ヒルデは大剣の柄に手をかけた。その瞳に宿るのは、一切の揺らぎがない冷徹な殺気。
「行くぞ。時間がない。この美しいゴミ箱の真ん中に、一番タチの悪い『毒の主』が待っている」
迫り来る死のカウントダウンの中、透き通る結晶の回廊を、三人の足音が重々しく響き渡る。
手持ちの結界が尽きるまでの僅かな時間。偽りの神聖さに満ちた最上層の奥——世界のすべての歪みが集まる『魔力循環炉』の王座へ向かって、一行は覚悟を秘めた歩みを進めた。
(第20話へ続く)




