第1話:鉄と血の余熱、そして白炎の爪痕
第1章:『漆黒の芽吹き』
【プロローグ:白と黒の天秤】
魔族の侵攻により、人類が黄昏の時代を迎えて久しい王国。 混迷を極める戦局の中、人々を救うと謳われたのは -一人の魔族がもたらした『白炎』だった。
死を打ち払い、肉体を絶滅の炎で焼き直す「不滅の奇跡」。 人々はそれを神の救済と信じ、狂信した。
だが、それは救いなどではない。 欲望に狂った国の豚どもと、冷笑する白銀の悪魔が織りなす、残酷な道化劇。
-大切なものをすべて奪われ、最後に「民を守る誇り」すら踏みにじられた時。 白髪の女騎士は、神の光を捨て、暗黒の深淵へとその身を投げ打つ。
これは、白き虚構の奇跡を、漆黒の怒りで打ち砕く復讐の記録。
第1話:鉄と血の余熱、そして白炎の爪痕
硝煙と凝固した血の匂いが、湿った夜気と混じり合って鼻腔を突く。
「……ふぅ」
身の丈を超える無骨な鉄の長剣を地面に突き立て、ヒルデは深く息を吐き出した。 立ち上がれば二メートルを超える巨躯を血と泥に塗れた厚い甲冑で包み、彼女は転がる魔物の屍の山を見下ろす。白髪のショートヘアに付着した返り血を、手甲で雑に拭い去った。
「流石だね、ヒルデ姉さん! 一人で三体も片付けちゃうなんて!」
甲高くてどこか誇らしげな声が響く。振り返ると、丸小盾を抱えた十四歳の少年——盾手のミレットが駆け寄ってくるのが見えた。まだ身体も小さく、ヒルデの腰ほどまでしか背丈がない少年は、息を弾ませながら見上げてくる。
「調子に乗るな、ミレット。背後への警戒が疎かだった。次はお前の首が飛ぶぞ」
「うぐっ……ごめんなさい」
冷たく言い放ちながらも、ヒルデの手はミレットの癖っ毛をくしゃりと撫でていた。
「おいおい、ミレットだけじゃなくて僕も褒めてくれてもいいんじゃない? ヒルデ姉さん」
後ろから軽快な足取りで追いついてきたのは、大型の複合弓を肩にかけた若き弓術士ルカだ。 『鉄鎖』部隊は、わずか十八名からなる小規模精鋭。ガゼル隊長に次ぐ古参であるヒルデは、年下の彼らにとって厳しくも頼もしい「姉貴分」だった。
両親を奪われ、復讐のことしか頭になかった自分が、この部隊に拾われて一年。 共に戦い、笑い合う時間の中で、ヒルデの凍てついた心には「この仲間たちと、民の平穏を守りたい」という小さな温もりが灯り始めていた。
「調子に乗るな、ルカ。お前の射撃も不正確だった。……隊長、外周は?」
闇の奥から歩み寄ってきた二手剣の男——部隊長のガゼルに、ヒルデは視線を向ける。
「ああ、退路は確保した。……だが、解せんな」
ガゼルは苦々しい顔で、暗闇に佇む古代遺跡の入り口を見上げた。
「なぜ本隊からの補給もなしに、たった十八名の我々だけで突入せねばならん? まるで袋の鼠にされているようだ」
「考えすぎですよ、隊長! 僕らとヒルデ姉さんがいれば楽勝だってことでしょ」
ルカが笑う。だが、ヒルデの胸の奥で、元傭兵としての直感が鋭い警鐘を鳴らしていた。 あまりにも「お膳立て」された戦場。まるで、自分たちが何かの罠へと追い込まれているかのように。
「……第1班は私とミレットを筆頭に最奥へ進む。隊長たちは外の警戒を」
ヒルデは長剣を引き抜き、前衛班を引き連れて闇の中へと歩み出した。
◇
古代遺跡の最奥。広場の中央には、蜘蛛の巣のように張り巡らされた封印結界と、そこに鎮座する規格外の大剣 -『誓約の咎喰い』があった。
(……結界の符が、あらかじめ何者かに解かれている……?)
違和感を口にする余裕はなかった。
「-ふむ。ねずみ共が迷い込んだかと思ったが、何やら不完全なサンプルどもか」
頭上から降り注ぐ美しくも冷酷な声。 天井の吹き抜けから優雅に舞い降りてきたのは、白銀の髪をなびかせた美貌の魔族幹部 -『白耀のルシエル』。
「ルシエル……!」
かつて村を焼き、両親を惨殺した宿敵。だが、ルシエルは激昂するヒルデなど視界に入れず、指先を軽く一振りした。
ズドドドドドッ!!!
圧倒的な「白炎」の波浪が広場を呑み込む。 それは単なる炎ではない。触れた人間の肉体を一瞬で灼き溶かし、灰へと還元する絶対の絶滅火。
「ミレット!!」
「姉さん——!」
迫りくる白炎。ヒルデを庇おうと小さな小盾を掲げたミレットの体が、凄まじい白光に包まれ -声もなく焼き尽くされた。 指先をすり抜けて散ったのは、黒い灰と、小さな鉄の指輪だけ。
「ミレットーーーーーッ!!」
「くだらん。不完全な薪では、私の白炎の再構築には耐えられんか」
つまらなそうに鼻で笑うルシエル。 愛用の鉄の長剣を握り締め、ヒルデは狂乱のままルシエルへ飛びかかった。だが——
ガァンッ!!!
ルシエルの白炎の障壁に触れた瞬間、重厚な鉄剣は真っ赤に溶け落ち、ガラスのように砕け散った。
手元に残されたのは、焼きちぎれた柄の残骸のみ。仲間を全滅させられ、丸腰となったヒルデの視線が、中央に鎮座する呪いの大剣へと注がれる。
「……あ」
血の涙を流しながら柄を投げ捨て、ヒルデは壊れかけた封印を結ぶ大剣へと走り出した。
「おい、ヒルデ! やめろ、それに触れるな!」
駆け込んできたガゼルの制止も届かない。ヒルデは脆い封印を破り、巨大な柄を力任せに掴み取った。
バリリリリリリッ!!!
大剣から噴き出す、粘度の高い油のような黒紫色の魔気。 狂気と憎悪に瞳を染めたヒルデが、その渦へと右手を突っ込み、柄を固く握り締める。
『-クハハハハ! 待っていたぞ、この刻を……!』
脳の奥底、魂に直接響く重厚な男の声。
黒紫の魔気が意志を持った触手となり、ヒルデの左手首から甲冑の隙間を縫って這い上がった。
「ぐ、あぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
肉を焼き、骨を砕き、血を毒で置き換える凄絶な激痛。 板金鎧を突き破り、左腕の皮膚が黒紫へと変色していく。血のような赤光を放つ古代の魔紋が刻まれ、爪が伸び、筋肉が不気味に膨張していく。
『我はエレボス。……ほう、なんと強く苛烈な憎悪か! 良いぞ娘、我を身に宿せ!』
精神を侵食し、意識を喰らおうとするエレボス。だが、ヒルデの瞳から宿敵ルシエルへの殺意が消えることはなかった。
足元から蠢く黒い影が左腕を完全に呑み込み、異形の大腕へと変貌を遂げていく。
(名前などどうでもいい……!)
ヒルデは歯が折れるほど強く噛み締め、血の涙を流しながら己にまとわりつく闇を睨みつけた。
「影...! 私の命も、肉体も、持っていけるだけ持っていけ! ……この腕で奴の喉笛を噛み千切れるなら、私は化け物にでもなってやるッ!!」
「クハハ! 我を「影」と呼ぶか! 最高の「宿主」だ……契約は成った!』
ドォンッ!!!!
左腕から放たれた黒紫のショックウェーブが、ルシエルの白炎を力任せに押し返し、かき消した。
異形の大腕で、ヒルデは大剣『誓約の咎喰い』を岩盤から力任せに引き抜く。 黒い炎を纏う大剣を構える少女の姿に、ルシエルの美しい顔から初めて余裕の笑みが消え失せていた。
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