第23話 西からの手紙
結構詰め込みました。
東日本魔法協会本部の会議室に、重い空気が満ちていた。
長机の中央には、西日本呪術連合から届いた正式書簡。
京都で霊脈異常。
封印の綻び。
呪的汚染の拡大。
単なる情報共有ではない。
正式な共同調査要請だった。
席についているのは、東條院慶臣をはじめとした東魔協の幹部たち。
その中に、凛華と勇真の姿もある。
慶臣が静かに口を開いた。
「西日本呪術連合より、正式な共同調査要請が届いた」
「京都にて、霊脈異常と封印の綻びが確認されている」
幹部が端末を操作する。
空中に京都市内の地図が投影された。
封印地点。
結界の支点。
異常観測箇所。
そのいくつかが、赤く明滅していた。
「現地では鬼門衆の関与が濃厚です」
「霊脈の流れに不自然な偏りがあります」
「京都で確認された汚染痕跡は、東京で回収したものと酷似しています」
会議室の空気が、さらに硬くなる。
凛華は資料を見つめ、静かに息を呑んだ。
酒呑童子の一件は、東京だけで終わっていなかった。
あの戦いの先が、確かに西へ伸びている。
担当術師が、二つの術式図を並べた。
「こちらが東京で回収した鬼門衆の術式残滓」
「こちらが京都の封印管理区域で発見された汚染痕跡です」
一見、別物に見える。
だが、魔力配列、穢れの流し方、霊脈への噛ませ方が似ていた。
「基礎構造は同一系統です」
「酒呑童子事件は、京都の封を緩めるための一手だった可能性があります」
その時、勇真が口を開いた。
「……すみません。少し違うと思います」
視線が一斉に集まる。
勇真は投影された術式図を見たまま、静かに言った。
「壊してるんじゃありません。内側から緩めています」
幹部の一人が眉を寄せる。
「どういう意味だ?」
「外から封印を壊せば、反発が出ます。痕跡も派手に残る」
勇真は術式図の一部を指した。
「でも、これは違います。霊脈の流れに細く噛ませて、封印の支えだけを少しずつ鈍らせている」
「見た目は劣化や自然損耗に近い。だから発見が遅れる」
会議室が静まり返った。
担当術師が慌てて別資料を開く。
照合し、息を呑んだ。
「……確かに。京都側の報告でも、支柱そのものの損傷は軽微です」
「外殻は残したまま、内部循環だけを削っている……」
「派手に壊せば、すぐ総力で止められますから」
勇真は淡々と続けた。
「少しずつ緩めて、限界が来たところで一気に溢れさせる。その方が効率がいい」
強いだけではない。
勇真は、異常そのものの構造を読み解いている。
凛華は、その横顔から目を離せなかった。
――やはり、この方は。
規格外の戦力。
その言葉だけでは、もう足りない。
慶臣はしばし沈黙し、それから告げた。
「西日本との合同調査は、ゴールデンウィーク中に実施する」
「東魔協からは凛華を出す」
「はい、お父様」
凛華は背筋を伸ばして答えた。
慶臣の視線が、勇真へ向く。
「神代、お前も行け」
凛華の呼吸が、わずかに止まる。
「凛華の護衛は当然として、今回はそれだけではない」
「東魔協の協力戦力として同行してもらう」
場の空気が揺れた。
慶臣が、勇真をはっきりと“内側の戦力”として扱った瞬間だった。
勇真は少しだけ目を細める。
だが、返事は早かった。
「承知しました。同行します」
大げさでもなく、気負いもない。
けれどその短い言葉は、妙に頼もしかった。
会議はその後、移動日程と連携確認に移る。
やがて解散となった時には、京都行きは完全に決定事項になっていた。
◇
その夜。
神代家の食卓には、いつも通りの匂いがあった。
味噌汁。
焼き魚。
煮物。
澪の好きな卵焼き。
数時間前まで東魔協本部にいたとは思えないほど、穏やかな日常だった。
だからこそ、勇真は少しだけ切り出しづらかった。
「……連休、ちょっと京都行ってくる」
先に反応したのは澪だった。
「え、京都?」
「旅行?」
勇真は一瞬だけ言葉を選ぶ。
「……学校関係」
「ふうん?」
澪は首を傾げる。
その横で、美咲が静かに笑った。
「旅行って顔じゃないわね」
「母さん」
「詮索はしないわよ」
美咲はやわらかく言った。
「でも、危ないことだけはしないで」
優しい声だった。
けれど、軽く流しているわけではない。
美咲は全部を知らない。
東魔協のことも、鬼門衆のことも、京都で待つ危険も。
それでも、勇真の表情から何かを察している。
勇真は少しだけ視線を落とした。
「……分かってる」
「無茶はしない」
自分で言っておいて、少し苦笑しそうになる。
どれだけ信用できない言葉か、自分でも分かっていた。
けれど美咲は、それ以上聞かなかった。
「そう」
ただ一言だけ。
その信頼が、勇真の胸に残る。
澪は少しだけ黙っていた。
それから、明るく言う。
「じゃあ、お土産よろしくね」
笑っている。
いつも通りに見える。
けれど勇真には、その奥が分かった。
――ちゃんと帰ってきてね。
澪らしい、短い願いだった。
「分かった」
勇真は小さく笑う。
「何か欲しいものあるか?」
「えっ、いいの?」
澪の顔がぱっと明るくなる。
「じゃあ、京都っぽいやつ!」
「ざっくりしてるな」
「だって、京都っぽいのっていっぱいありそうだし」
「お兄ちゃんが選んだやつなら何でもいいよ」
何でもない会話。
いつもの家族のやりとり。
だからこそ、守りたいと思う。
この食卓も。
この時間も。
気軽に交わせる言葉も。
美咲が二人を見て、ふっと笑った。
「じゃあ、澪には京都っぽいやつね」
「私はそうね……勇真が無事に帰ってきてくれれば、それで十分かしら」
「母さん、それ土産の難易度高いって」
「一番簡単でしょ?」
美咲は穏やかに言う。
「無茶しなければいいんだから」
勇真は一瞬、返事に詰まった。
簡単ではない。
たぶん、今回も。
それでも。
「……持って帰るよ」
「ちゃんと」
美咲はそれで十分だというように頷いた。
澪も安心したように笑う。
京都へ行く。
次の異変へ踏み込む。
それはもう決まった。
けれど、自分が戻る場所はここにある。
それだけは、何があっても変えたくなかった。
◇
その頃、凛華はまだ東魔協本部に残っていた。
資料を抱えたまま廊下を歩く。
西日本との合同調査。
ゴールデンウィーク。
京都。
そして、勇真と一緒。
「東條院さん」
背後から声がした。
振り返ると、そこにいたのは三人の女性術師だった。
短髪で明るい高坂ひかり。
眼鏡をかけた冷静な桐生院透子。
穏やかで年長の橘薫子。
三人とも、どう見ても面白がっている。
「京都、決まったわね」
ひかりがにやりと笑う。
「で?」
「で、とは……?」
「準備の買い物とか、当然あるわよね?」
その一言で、凛華の頬が熱くなった。
脳裏に蘇るのは、以前言われた言葉。
――二人の時間を作りなさい。
「な、何を仰っているのですか」
「今回はあくまで共同調査の準備であって、そのような……」
「そのような、何?」
透子が淡々と続ける。
「“デートみたいなものではありません”ですか?」
「っ……」
図星だった。
凛華は資料を胸元へ抱きしめる。
それだけで、三人の笑みが深くなった。
「分かりやすい」
「勇真君のことになると素直ですね」
「可愛いわね」
「か、可愛いなどと軽々しく仰らないでください……!」
抗議の声は小さかった。
説得力はない。
ひかりが肩をすくめる。
「冗談抜きで、いい機会だと思うわよ」
「京都前って名目、強いし」
「護衛込みなら自然でしょ?」
透子も頷く。
「明日は休日です」
「鳳城学園も休み。本部の定例訓練もありません」
「誘うなら、最も自然な日取りです」
明日。
その二文字が、凛華の胸に落ちた。
たしかに自然だ。
だが、自然であることと、心臓に悪くないことは別だった。
気づけば凛華は、三人に休憩室へ連行されていた。
目の前には温かいお茶。
完全に相談体勢である。
「さて」
透子が端末を取り出す。
「文面を詰めましょう」
「ぶ、文面……?」
「誘うんでしょう?」
即答だった。
凛華はしばらく黙る。
やがて、観念したように息を吐いた。
「……京都遠征前に必要な物を見に行くくらいは、不自然ではないと思います」
「ですが、あまり露骨に見えるのも……」
「そもそも、勇真君がどう受け取るかも……」
「そこよね」
ひかりが頬杖をつく。
「でも、使える名目は使いなさい」
「京都前の買い物なんて、めちゃくちゃ自然じゃない」
「長文は避けましょう」
透子が冷静に言う。
「目的は明確に。ただし事務的すぎると業務連絡になります」
「業務連絡……」
凛華は眉を下げた。
自分で書くと、必要事項だけの連絡になりそうだった。
でも柔らかくしようとすると、自分らしくない。
「その……あまり砕けすぎるのも、私には」
「無理に可愛らしくしても、不自然ですし……」
そこで、薫子がやさしく笑った。
「東條院さんらしく誘えばいいの」
「大事なのは、上手く見せることじゃないわ」
「ちゃんと動くこと」
「ちゃんと……動くこと……」
「そう」
薫子は穏やかに続ける。
「気持ちがあるなら、それを少しだけ乗せればいいの」
気持ち。
その言葉を向けられると、誤魔化せなかった。
勇真と一緒に京都へ行く。
それだけでも十分に特別なはずなのに。
その前に、もう少しだけ。
戦いでも学校でもない場所で、落ち着いて話したい。
そう思ってしまう自分がいる。
「東條院さん」
ひかりが声をやわらげた。
「ほんとのところ、どうしたいの?」
凛華はすぐには答えられなかった。
けれど、逃げたくはなかった。
「……あの方と」
口にしただけで、胸が跳ねる。
「戦いでも、学校でもない場所で……お話ししてみたいのです」
「少しだけでも、そういう時間があればと……思ってしまって」
言い終えた瞬間、顔が上げられなくなった。
休憩室が静かになる。
ほんの一拍置いて、三人が微笑んだ。
「それ、もう十分な理由よ」
「ちゃんとお誘いです」
「東條院さん、可愛いわ」
「……ですから、そういうことを真顔で仰らないでください……」
凛華は耳まで赤くなりながら答える。
けれど、胸の迷いは少しだけほどけていた。
透子が端末を差し出す。
「では、文面です」
凛華は深呼吸した。
何度か言葉を入れ替える。
削る。
足す。
そして、ようやく整った。
『京都遠征前に、必要な物を少し見に行きたいと思っています。
もし明日ご都合が合えば、護衛も兼ねてお付き合いいただけますか。
急なお誘いですので、ご無理でしたらお気になさらないでください』
透子が頷く。
「いいですね」
「目的が明確です。ですが冷たくはありません」
「東條院さんの声としても自然です」
ひかりも笑う。
「明日って入ってるのもいい」
「先延ばししないで済むし」
「……はい」
凛華は小さく頷いた。
「では、これは一度下書き保存して、少し落ち着いてから――」
画面の下へ指を伸ばす。
次の瞬間。
ぴこん。
軽い送信音が響いた。
「……え」
画面の表示が切り替わる。
送信済み。
「…………」
凛華の思考が止まった。
「…………え?」
ひかりが目を瞬く。
「今の音、まさか」
凛華は、壊れたような動きで顔を上げた。
「お、送ってしまいましたわ……」
「はい?」
「下書き保存ではなく?」
「今?」
「保存を押したつもりが……」
凛華の声が震える。
「送信を……押してしまいました……」
一拍の沈黙。
次の瞬間、ひかりが吹き出した。
「ちょっと待って、可愛すぎる……!」
「笑い事ではありませんっ!」
凛華は本気で涙目になった。
「どうしましょう……!」
「心の準備が、まだ何ひとつ……!」
「今すぐ取り消しはできませんの!?」
透子が端末を覗き込む。
「既読はまだです」
「今のところは未読です」
「何が“今のところ”ですの……!」
「少なくとも、爆発するのは既読がついてからです」
「未読でも十分爆発しそうです……!」
薫子が肩を揺らして笑った。
「ごめんなさいね」
「でも、送ってしまったものは仕方ないわ」
「仕方なくありませんわ……!」
凛華は端末を胸元へ抱え込んだ。
送ってしまった。
しかも、明日と書いてしまった。
返事次第では、本当に明日、二人で出かけることになる。
心構えなど、何もできていないのに。
「どうして私は、こういう時に限って……!」
「いえ、そもそも保存と送信の位置が近すぎるのです」
「これは端末側の配慮不足ではありませんの!?」
「責任転嫁が雑」
「ですが分かります」
「とても分かるわ」
ひかりが凛華の肩を叩く。
「大丈夫だって」
「勇真君、変な受け取り方しないでしょ」
「それは……そうかもしれませんけれど」
「だからこそ困るのです」
「ん?」
凛華は俯いた。
「……あの方は、きっと普通に受けてくださいます」
「深く考えず、自然に」
「その方が余計に……意識しているのが私だけみたいで……」
三人の表情から、少しだけ茶化しが消えた。
薫子がやさしく言う。
「東條院さん」
「それでも、自分で送れたのは偉いわよ」
「間違って、ですけれど……」
「結果的にでも、ね」
「送れないまま悩むより、ずっといいわ」
透子も頷く。
「もう後には引けません」
「ですから、慌てて追撃メッセージを送るのは禁止です」
「『先ほどのは誤送信でした』は最悪ですので」
「そ、それは分かっております……!」
本当は、一瞬だけ頭をよぎった。
けれどそんなことを送ったら、今度こそ終わる。
ひかりがにやりと笑う。
「ほら、腹括りなさい」
「送っちゃったものは仕方ない」
「次は、明日の準備でしょ?」
「明日の……準備……?」
「そう。お出かけの」
「で、デートではありません!」
「はいはい。護衛込みのお買い物ね」
ひかりは軽く流す。
「でも、東條院さんの中では、ただの買い物じゃないんでしょ?」
「……っ」
言い返せなかった。
ひかりは満足そうに立ち上がる。
「よし、方針変更!」
「返事が来るまでうろたえるより、準備した方が早い!」
「服、小物、歩きやすい靴、会話のネタ、寄れそうなお店。全部詰めるわよ」
「ぜ、全部ですの?」
「全部です」
透子が真顔で頷く。
「東條院さんは、当日その場で思考が飛ぶ可能性が高いです」
「事前準備は多いほどいい」
「そんなにでしょうか……」
「そんなにです」
三人が同時に言った。
◇
そこから休憩室は、完全に作戦会議になった。
「まず服」
ひかりが凛華を見る。
「遠征準備の買い物だから、気合い入りすぎは逆効果。でも地味すぎるのももったいない」
「東條院さんは元が華やかです」
透子が端末にメモを取りながら言う。
「上品寄りで十分です。柔らかい色味。動きやすさ重視。アクセサリーは控えめ」
「歩きやすい靴も大事ね」
薫子が補足する。
「勇真君、自然にたくさん歩かせそうだもの」
凛華は少しだけ頬を熱くした。
「……それは、ありそうですわね」
「あの方は、必要があれば遠回りも苦にしなさそうですし……」
「はい、もう想像してる」
「しておりません!」
「してる顔です」
透子が淡々と断言した。
次はバッグ。
次は持ち物。
次は会話。
「無言になっても困らないように、保険を作るわよ」
ひかりが指を立てる。
「京都で必要なもの。現地での動き。持ち物の確認」
透子が並べていく。
「この辺りは自然です」
「加えて、休日だからこそ聞ける軽い話題を一つ二つ」
「軽い話題……」
「甘いものは好きか」
「休日はどう過ごすのか」
「そういうのでいいのよ」
凛華はそっと目を伏せた。
勇真のことを、まだ自分はあまり知らない。
好きな店。
休日の過ごし方。
どんなものを見て、どんなふうに笑うのか。
知りたい、と思う。
「……聞いてみたいことは、あります」
三人が顔を見合わせて笑った。
「それで十分よ」
「知りたいことがあるなら、会話になるわ」
「上手く回そうとしなくていいの。聞きたいことを聞けばいいのよ」
薫子が、お茶を一口飲んでから言った。
「あとね、東條院さん」
「はい」
「明日は、ちゃんと楽しんでいいのよ」
「準備だから、護衛だからって、言い訳しすぎないこと」
凛華は視線を落とす。
「……楽しみにしていると、見透かされてしまいそうで」
「見透かされてもいいじゃない」
ひかりがあっさり言う。
「少しくらい分かってもらった方が前に進むでしょ」
「ですが、あまり分かりやすすぎるのも……」
「大丈夫」
薫子がやさしく言った。
「東條院さんは、今のままで十分可愛いわ」
「だから、変に取り繕わなくていいの」
凛華は言葉を失った。
恥ずかしい。
けれど、嬉しい。
その時。
ぴこん。
端末が震えた。
「…………」
室内が一瞬で静まり返る。
「き、来ましたわ……」
「早い」
「勇真君、返信早いですね」
「開いてください」
「い、今ですの!?」
「今です」
半ば押し切られ、凛華は震える指で画面を開いた。
『分かった。明日なら大丈夫だ』
『必要なものがあるなら付き合う』
『時間と場所、決まったら教えてくれ』
短くて、真っ直ぐな返事だった。
明日なら大丈夫。
その一文だけで、胸の奥が甘く締まる。
変な含みはない。
けれど、それが勇真らしかった。
「どう?」
ひかりが覗き込む。
凛華は端末を胸元に寄せたまま、かすれそうな声で答えた。
「……お引き受け、くださいました」
「明日なら大丈夫、と……」
「よし、決まり!」
「では本格的に準備です」
「もう逃げられないわよ、東條院さん」
凛華は熱い頬のまま、今度はちゃんと頷いた。
「……はい」
「腹、括れた?」
ひかりが笑う。
凛華は少し迷ってから、はっきり答えた。
「……括ります」
三人は満足そうに笑った。
◇
その後も凛華は、完全に先輩たちに捕まった。
休憩室を出たあと、今度は女性術師用のロッカー室へ半ば連行される。
そこから即席の私服相談会が始まった。
「東條院さん、普段の私服が良家のお嬢様すぎるのよね」
「そこが魅力ですが、明日は少し柔らかさが欲しいです」
ひかりが候補を並べる。
「これとかどう?」
「白寄りのブラウス。上品だし、顔が明るく見える」
「淡い色の羽織りを合わせれば、気合い入りすぎにも見えない」
「素敵ですけれど……少し甘すぎませんこと?」
「東條院さんが着れば、甘すぎるまではいかないわ」
薫子が穏やかに言う。
「“話しかけやすい綺麗なお嬢様”くらいね」
「それは褒められているのでしょうか……」
「すごく褒めてる」
最終的に、白のブラウス、淡い色の羽織り、動きやすいスカート、歩きやすい靴で落ち着いた。
上品さは崩さない。
けれど普段より少しだけ柔らかい。
「うん、いいじゃない」
「明日の買い物として完璧です」
「でも勇真君、普通に“似合ってる”って言いそうよね」
「……っ」
その一言だけで、凛華の頬が熱くなる。
「そういうことを前提に話さないでください……!」
「前提ではなく予測です」
「予測精度は高いと思うわ」
「そこで固まらないようにね」
「……努力します」
待ち合わせ場所。
時間。
買う物の優先順位。
途中で休憩するならどこか。
細かく詰めていくうちに、凛華の緊張は少しずつ現実味に変わっていった。
明日、本当に勇真と出かける。
護衛として。
準備のために。
けれど、それだけではない。
「東條院さん」
薫子が静かに言った。
「明日は、無理に特別なことをしようとしなくていいの」
「ただ、一緒の時間を大事にしてきなさい」
凛華は小さく頷いた。
「……はい」
その返事は、先ほどよりもずっと落ち着いていた。
◇
その夜。
自室へ戻った凛華は、ベッドの上で端末を見つめていた。
『分かった。明日なら大丈夫だ』
『必要なものがあるなら付き合う』
『時間と場所、決まったら教えてくれ』
たったそれだけの文面。
深い意味はない。
甘い言葉でもない。
なのに、見るたびに胸が鳴る。
「……明日」
小さく呟く。
それだけで顔が熱くなった。
凛華は慌てて端末を伏せる。
だが、数秒後にはまた開いてしまう。
もう一度だけ。
本当に、これで最後。
そう思って、また見る。
そして、また胸が鳴る。
脳裏には、昼間に先輩たちと決めた服装が浮かぶ。
待ち合わせ場所も決めた。
時間も決めた。
買う物も決めた。
明日は休日。
学校も本部の定例訓練もない。
ちゃんとした名目もある。
それでも。
これは、ただの準備の買い物では終わらない気がした。
「……戦いでも、学校でもない場所で」
凛華はそっと目を伏せる。
明日は勇真と、二人で出かける。
護衛として。
準備のために。
そう言い聞かせても、胸の高鳴りは消えない。
待ち合わせで目が合ったら。
私服姿を見られたら。
自然に隣を歩くことになったら。
買い物のあと、少しだけ休憩できたら。
そこまで考えたところで、凛華は布団を頭まで引き上げた。
「……眠れませんわ……」
誰に聞かせるでもなく零す。
怖いくらい落ち着かない。
恥ずかしい。
けれど、それ以上に嬉しい。
勇真からの返信を、もう一度だけ見たら今度こそ寝よう。
そう決めて、凛華はまた端末へ手を伸ばした。
――そして結局、その“今度こそ”は何度も更新されることになる。
西から届いた手紙は、次の戦いの始まりを告げるものだった。
けれど同時に、それは凛華自身が一歩踏み出した証でもあった。
明日。
休日の朝。
戦いでも学校でもない場所で、勇真と会う。
その事実を胸に抱えたまま、凛華はようやく薄く目を閉じた。
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チェックはしていますが、誤字脱字、言い回しがおかしい所があれば教えてください。




