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平安貴族物語 ~時姫から藤原彰子まで~  作者: かあなび1
第二部 詮子(道長の姉)
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彰子の入内

 道長が内覧となり、帝とともに政治を動かし始め、世の中が刻々と変わっていく。今まで長兄道隆と定子様に遠慮してか、入内する姫君はいらっしゃらなかったが、天永2年(994年)7月に太政大臣藤原公任と親王様の娘、藤原義子様が入内され、8月に女御となられる。長徳2年(996年)左大臣藤原顕光の娘藤原元子様も入内され、女御となられる。

 定子様は、例の大事の時、自ら髪を切り落とし尼となられたが、この年の暮れ、内親王をお産みになる。初孫の誕生だが、あのような出来事の後で、男皇子でなかったこともあり、何とも複雑な思いであった。帝は、たいそうなお喜びようであったが、表立ってそれを表すことはできないでいらっしゃった。その後、長徳3年4月になって伊周らの罪が赦されてから、帝は脩子内親王との対面を望まれ、周囲の反対を押し退け、6月、再び定子様を宮中に迎え入れられた。

 長徳4年(998年)次兄道兼の娘藤原尊子様が入内され女御となられる。しかし、お三方とも帝との仲は深くなく、お子が生れぬままである。

 このままでは、よろしくない。なんとしても、よき姫を女御に迎えなくては。

 道長の娘彰子様は、まだ幼いが、心映えもよく、賢く、美しい。まず、母君の位を上げ、よい女房をつけ、中宮にして差し上げれば、必ず皇子をお産み遊ばすであろう。

 同じく長徳4年10月に、わたくしが推挙し彰子様の母源倫子様を従三位とする。これはわたくしが道長の土御門邸及び一条邸にて世話になっていることに対する謝意としての推挙であるが、土御門邸も一条邸も元は源雅信から倫子様に譲り渡された邸宅であった。誠に道長はよい方を妻にしている。

 彰子様の女房の選定には、道長も倫子様も、たいそう力を入れている。ただいま評判の「源氏物語」を書いている紫式部、王朝有数の歌人として知られている和泉式部をはじめ、才気あふれる方々を候補として呼び寄せているようだ。

 長保元年(999年)2月9日、彰子様は、裳着を終えた後、11月1日入内、7日に女御となられた。このとき彰子様はわずか12歳であった。


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