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覚悟

『地上に戻りたい、か』

「あの、ごめんなさい。突然落ちてきた私に、色々親切にしていただいたのに……」


 『裂け目』の下には家があって精霊たちが住んでいたけれど、最初は人間が住みやすい空間ではなかった。

 そこで、天狐が生活しやすいよう整えてくれたのだ。私が使っている衣服や道具は、全て天狐がどこからか持ってきたものである。


 いきなり出ていきたいなんて恩知らずと言われても仕方ない。


『よいぞ』

「え?」


 しかし、天狐は事もなげにそう言った。


「いいのですか?」

『地上に戻ることは可能だ。少々危険な方法にはなるが、精霊魔法を身に着けた今の貴様なら問題あるまい』

「そうなのですね。でも、頂いた恩を返さず去るなど……。いえ、何かお返しできるのならしたいのですが、私には何もありませんから……」


 私が精霊界に持ち込んだのは、己の身一つだけだ。

 そして、日々の生活でも助けられっぱなしで、何も返せていない。


 精霊たちは人間よりも遥かに長生きで、優しいから文句を言われたことはないけれど。

 でも、心苦しい気持ちはいつもあった。


『そうでもないのだがな。精霊界の存在理由は知っているだろう?』

「えっと……たしか外界から魔物が入り込むのを防いでいるんでしたか?」

『そうだ。人間が住む大陸は、世界のほんの一部に過ぎない。『裂け目』より向こう側は、魔のモノが跋扈する世界である。精霊界は、大陸を守るための障壁の役目を担っているのだ』


 『裂け目』を超えた者がいないのは当たり前だね。向こう側は、人間が住める環境ではないらしいから。

 私が精霊魔法をやっと使えるようになった頃、天狐はそれを説明してくれた。

 総称して『魔界』と呼ばれる向こう側の世界は、瘴気が満ち、人間や精霊が暮らせる環境ではないという。


 天狐ら四柱の精霊王は、精霊と人間を守るために精霊界を作ったらしい。


『精霊魔法の練習がてら、入り込んだ魔物を駆除していただろう。十分以上の働きよ。それに、貴様の有り余る霊力は精霊たちの糧にもなる。我らは対価を既に受け取っておるのだ』


 天狐は厳格な口調とは裏腹に、とても優しい。最初は恐ろしかったけれど、この一年で彼の温厚さは身に沁みた。

 だから、これもきっと私に気負わせないために言ってくれているのだと思う。


 微妙な顔をする私に、天狐は言葉を続ける。


『我らのことは気にするな。人間一人分の負担など、精霊王たる我にとっては些末なことよ。大事なのは己の心だ。戻りたいのだろう? 人間の住む、地上に』

「別にダメなら……いえ」


 咄嗟に否定しようとして、やめた。さっきクオンに諭されたばかりではないか。


この一年、私は精霊魔法を覚えて、能力的には少しだけ成長できたと思う。魔力がないという負い目はなくなった。自信もついた。

 でも、心は何も成長していないみたい。


 きっと、カヤと別れて崖から飛び降りた日に、私の時間は止まってしまったのだと思う。

 生贄巫女の呪いは、今も私の胸に刻み込まれている。


 でも……私はそれを、変えたい。


「私、地上に戻ります。妹にもう一度会いたい。もし戻れば、迷惑かもしれないけど……私はもう、自分の心に嘘をついて、我慢するのはやめたから」


 クオンが、私に勇気をくれた。

 肩に乗るクオンの頭を撫でる。クオンと別れるのはちょっと寂しいけど、カヤに会いたい。


『それでよい。人間の考えは複雑で困る。どうせ数十年で死ぬのだ。好きに生きたほうがいい。それでこそ、我らが守る甲斐があるというもの』


 さすが、精霊王の貫禄だ。

 鷹揚に頷いた天狐は、にやりと歯茎を見せた。


 最初に会った時、怒られたもんね。

 我慢して自分のしたいことを諦めるのは、もう嫌だ。領主様に気づかれないようにこっそり会うとか、遠くから見るだけ、とか。いくらでもやりようはあるはずだ。それに、仮に危害を与えようとしてきても、今の私ならカヤを守れる。


『よかったな! アズサ!』

「うん! クオン、今までありがとう。私、クオンがいなかったらもっと前に挫けていたと思う。クオンと離れても、私頑張るよ」

『うむ? 僕も一緒に行くぞ?』

「え?」


 さも当然かのように、クオンが言った。肩からぴょんと飛び降りて、私の前に立つ。


『アズサと離れたくないからな!』

「私も離れたくはないけど、大丈夫なの?」

『うむ!』


 元気よく頷いているけど、クオンも精霊界を出ていいの? たしか、今まで人間界に行ったことないって言っていたけれど。


 クオンが付いてきてくれたら嬉しい。

 一人じゃ心細いもん。ちらりと天狐を見やる。


『ふむ、そろそろ人間界に出ても良いころだろう』

『なのだ!』

『アズサよ。可能なら連れていってくれぬか? なに、邪魔になったらどこかに捨て置いて良い』


 意外にも、天狐は賛成なようだった。

 この『裂け目』は天狐によって維持されているけれど、外敵と戦う役目を持つのが白狐だ。白狐はクオンの他にもいて、クオンが一番若い。


「邪魔だなんて。クオンがいてくれるとありがたいです」

『そうか。精霊界の戦士は、一度他の精霊界を回るという掟があってな。他の精霊王に認められて初めて、一人前となれるのだ』

「他の精霊界……」

『左様。北の精霊王『雷龍』。東の精霊王『大天狗』。南の精霊王『赤獅子』。そして我を含めた四柱が、大陸の四方で魔界との障壁を担って居るのだ』

「では、クオンを連れて会いに行け、ということですか?」

『無論、貴様のしたいことを優先してよい。巡礼は何百年かかっても構わんのだ。だが、他の精霊王に会うことは貴様にとっても実入りがあるはずだ。精霊魔法は、精霊との結びつきが重要であるからな』


 何百年って、私はそんなに生きられない。

 天狐は、私に何かをさせたいというわけではないみたいだ。あくまで選択肢の一つ。精霊王として人間を守護する彼は、私にいつも指針を与えてくれる。


「ありがとうございます。機会があれば、行ってみます」

『僕はアズサの行きたいところについていくぞ! 妹にも会いたいのだ』

「うん、一緒に会いに行こう。クオンのこと、カヤに紹介したいな」

『うむ!』


 そっか。私はまた、カヤに会うことができるんだ。

 急に話がまとまったけど、ちょっと強引に進めてくれて助かった。私一人じゃ、決断できなかったと思うから。


 その後は一度家に戻り、荷物をまとめた。といっても、精霊界の物は持ちだせないらしいので、来た時と同じ巫女装束だけだ。

 唯一、天狐からもらった弓だけは許可されたので、背中に吊るす。これがないと精霊魔法を使えない。


『我の精霊魔法で飛ばす。風精霊と共鳴し、身を守れ』

「風精霊と?」

『ゆくぞ』

「え、まっ――」


 慌てて、指先で小さく弦を鳴らす。クオンが私の胸に飛び込んで、遠吠えをした。

 直後、嵐のような暴風が私の身体を襲う。天狐の精霊魔法だ。下から突き上げられ、上空に飛ばされた。


 落ちた時とは反対だね。私の気分も正反対だ。

 今は晴れやかで、心が躍っている。


 待っててね、カヤ。今から戻るよ。

 一年経ったから、今は六歳かな? 成長が楽しみだ。







 アズサとクオンを飛ばした西の精霊王、天狐は、上空で小さくなっていく影を見上げて、小さく呟いた。


『そういえば時空の歪みについての説明を失念しておったな。『裂け目』の精霊界で一年過ごすと人間界では十年経っているはずだが……。ふむ、誤差であるな』


 齢数千年の天狐は、気にすることなく日々の活動に戻っていった。


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