9話:平穏に見える日常
朝だ。
まだまだ夏は始まったばっかりなので、朝にも関わらず日差しが強くて暑い。このまま気温が上がっていけば、体が溶けるのでは不安になる程だ。
「いって来ます!」
しかしそんな暑さなど気にせずに、暑いからこそ私は大きな声を出しながら家を出た。
服装はまたセーラー服だが、着る服がないのではなく、今日は学校に行くから着ている。夏休みとはいえ、部活とはいえ、登校する時は制服なのがうちの高校のルールだ。
今日は夏休みが始まって最初の部活の為、気合も入っている。ラケットの入ったバックを背中に背負い、学校に向かう。残念ながら愛用のラケットとバックは向こうの世界の考輝さんの家に置いてきてしまったので、今持っているのは予備だ。
しかしそれでも久しぶりの部活は楽しみで、テンションが上がる。
現実に、日常に帰って来た気がするから。
四日前、江奈ちゃんと別れた時には、次に部活行く日までにこんな非日常な事が連続で起こっているなど思いもしなかった。
まず漫画の過去の世界に入り込み、憧れの人――考輝さんに会い、事件に巻き込まれる。死ぬような思いもしたし、実際に人が死ぬのも見た。
そして元の世界に帰って来たと思ったら、今度は考輝さんがこちらの世界に来てしまっていた。しかも妹は陰陽師になっていて、犬耳が生えているときた。
この数日は夢であったのではないかと思う程に刺激的で、現実から乖離していた。
「お姉ちゃん、弁当忘れてるよ」
この数日の事を思い出していると、後ろから声をかけられた。
振り返ると同じセーラー服を着た文奈ちゃんが呆れ顔で、私の弁当箱を持っていた。どうやら浮かれすぎて忘れてしまっていたようだ。
「ありがとう! 文奈ちゃんも今日は部活?」
「そう。今日は十五時まででお姉ちゃんと一緒。逆月から出来るだけ一緒にいるように言われてたから丁度良いね。……それにしてもお姉ちゃん、テンション高すぎない? 暑苦しいんだけど……」
私のハイテンションっぷりに、文奈ちゃんは少し引いていた。夏で暑いのも原因かもしれない。
「まぁね。やっぱり久々の部活は楽しみだし!」
ついつい歩みも早足になってしまう。
そういえば向こうの世界に行っている間、江奈ちゃんには連絡がつかずに心配をかけてしまっていた。同じ部活なので、会ったら謝らないと。
「なんというか……お姉ちゃんって単純だよね。良い意味で」
「……それって良い意味あるの?」
「はい、お二人とも、おはようございます」
そんな風に姉妹揃って登校していると、また後ろから声をかけられる。文奈ちゃんと一緒に振り返ると、燕尾服ではなく、ランニングウェアを着ている吉田さんがいた。軽く汗をかいていて、その場で足踏みをしながらこちらを向いている。
「おはようございます! 今日もいい天気ですね」
「いや、お姉ちゃん何で普通に世間話してるの」
とりあえず挨拶をしたのだが、文奈ちゃんに怒られた。吉田さんも苦笑いしている。
「本日は、私達が護衛につきます。見えない所に果歩さんもいまして、今日一日影ながら見守らせていただきます。流石に学校には入れませんけども。それでは部活終わりましたら、また逆月邸で会いましょう」
それだけ言うと吉田さんは私達の横を走り抜けていく。ただのランニング最中の人として振る舞うつもりのようだ。
確かにあからさまに護衛が付くとそれはそれで目立つし、こんな風に怪しまれないようにして近くにいるのだろう。
「……あんまり自覚はないけど、やっぱり私達って狙われているのかな? 二人もいるって過剰じゃない?」
呟きながら辺りを見るが、特に変哲もない普段通りの町だ。普段通りの通学路。いつもと違うのは、塀の隙間に前までなかった大きな蜘蛛の巣があるくらいだ。
「まぁそうなんじゃない? 私の神獣とか貴重らしいし。あんまり自覚ないけど」
文奈ちゃんも自覚がないのか、欠伸をしながら答える。
今一、自分達の置かれている状況が分からないまま、私達は学校に向かう。
既に危険が迫っていた事など、気づく事すらなく。
「じゃ、お姉ちゃん。部活終わりにね」
「はーい。じゃあ十五時半に正門で」
学校の正門を抜けた所で、文奈ちゃんと別れる。バスケ部は体育館で、テニス部はグランドの隅のテニスコートなので反対方向だ。
部活後の約束をして別れる。今日もまた逆月家に行って天術の修行だ。今日から本格的な修行をすると言っていたが、何をするか楽しみだ。
ちなみに昨日は自分の属性を調べて簡単事をするだけで終わった。結果として指から火を灯せるようになり、これでライターは一生いらなくなった。煙草吸わないけども。
しかし天術の行使にもMP的なものが必要らしいので、一生は言い過ぎかもしれない。吉田さんが言うには天術の発動には精神力を使用しているらしい。私はまだ感じていないが、ある程度使うと体のだるさや虚無感を感じるとか。また精神力を使い切ると、心が死ぬらしい。怖い。
そんな事を考えているとテニス部の部室の前に着いた。部室の前のホワイトボードの出席表を見ると、私以外全員部員が揃っているようだ。まだ時間があるのに珍しい。
天術の事をいろいろ考えてしまったが、ともかく今は部活だ。久しぶりでテンションも高いし、目一杯頑張ろう。
「皆、おは……よう?」
そんな思いの中ドアを開けると、開けた瞬間に部員全員の視線がこちらに集まった。口をポカンと開けて信じられないようなものを見る目でこちらを向いている。
いきなりの事にビックリして、挨拶を最後まで元気に言い切れなかった。
「えっと、皆どうした――」
「しおり! あんた一体今までなにしてたの!」
「しおり先輩! 良かった、生きていたんですね!」
「連絡取れないから皆心配していたんだよ~」
一体何事なのかと尋ねようとしたら、固まっていた皆が急にこちらに集まって来て、逆に問い詰められる。皆に周囲を囲まれ、わさわさといろんな人に揺らされる。
「ちょ、皆待っ――」
皆に囲まれた状態で、私は満足に喋る事も出来ずにおしくらまんじゅう状態になっていた。
逆月邸の部屋の窓から外を見ると、日差しが恐ろしく強い。部屋の中はクーラーが効いているので感じないが、外にでればすぐに汗だくになりそうだ。それにこれから昼になるにつれて、どんどん暑くなっていくだろう。
この夏の暑さは、世界が変わっても変わらないようだ。
外の様子を確認した後、俺は着替えを始めた。この服も部屋と同じく逆月から借りたものだ。食事から何まで用意してもらって、流石に心苦しい。あっちの世界でのしおりもこんな気持ちだったのだろうか。
ちなみに部屋は俺、立花、佐藤、アリスの四人部屋だ。唯一の紅一点のアリスは最初、別の部屋を用意されていたのだが俺と同じ部屋がいいとごねた結果、全員同じ部屋になった。まぁアリスもまだ幼いし、男性陣も変人ばっかりなので問題は起きないだろう。
『あれ? 考輝さん、お出かけですか?』
外に出るために着替えていると、唯一部屋に残っていた立花が声をかけてきた。
立花の方を見ると、彼は逆月から貰ったこちらの世界のパソコンを部屋の隅でカタカタと叩いていた。立花本人はこちらを見ず、ユッキーだけがこちらを向いている。本当にユッキーが自分の意思で動いているのかと錯覚を起こしそうだ。
「暇だし、少し神社の方に行って例の女性の手がかりがないか調べようと思う。作者の所在はまだ分からないのだろう?」
立花には『Machine soldiers』の作者を探すように頼んでいたのだが、なかなか上手くいっておらず、現状は暇だ。部屋でくすぶっているよりかは、外を探索していた方が建設的だろう。天術に関して素人の俺がそう簡単に手がかりを見つけられるとは思わないが、時間をつぶすにはいいだろう。
『そうですねー。この作者、編集から逃げるように居場所を転々としているみたいなんですよぉ。まぁ今日中には今の滞在場所を特定出来ると思います。……はぁ』
話し終えると、唐突にユッキーは溜息を吐いた。
ちなみにユッキーは茶色のチェックの帽子と同じデザインのコートを身に着け、口にはパイプを咥えている。まるで探偵のような恰好だ。そんな恰好で安楽椅子に座り、盛大に溜息を吐いている。
「……何か疲れているのか?」
『いえ……元の世界ならもっと簡単に見つけられたなと思いまして……街中に監視カメラありましたし、買い物をするにして移動するにしても、電子通貨の支払いで痕跡がもっと残りましたから。そもそもネット環境がもっと強固ですし。まぁその分セキュリティも甘いので、好き放題やらせてもらっていますけど』
流石の立花も、ネット自体の発展が進んでいなければあっち程の無茶はできないらしい。話を聞くとこの世界では戸籍などの重要な情報はまだ紙媒体らしく、立花はいじることも出来ないとのことだ。
まぁその分セキュリティがあちらの世界に比べて脆弱なので、ネットに繋がっている範囲では立花は完全に無双状態ではあるが。
『あ、出かけるのなら、アリスちゃん連れて行きます? 何かと物騒ですし、護衛として』
「いや、あいつ連れて行く方が危険だろう。トラブル起こす未来しか考えられない」
立花の提案も分かるが、アリスを迂闊に外に出す訳にはいかない。
あいつの倫理観は完全に狂っている。おそらくはそこら辺の一般人を殺すのと、虫を殺すのがアリスの中では同じように感じている。そんな状態の人間を俺一人で面倒を見る自身はない。出るなら俺だけでなく、しおりもいた方がいい。
なお当のアリスはと言うと、逆月のコレクションルームでプラモデルを作っている。なんでも逆月も模型の趣味があるらしく、彼の所有する製作用の道具を借りていろいろ作っているようだ。夢中になって作っているのでしばらくは屋敷に置いていても問題は起こさないだろう。
『まぁそうですよね。じゃあ何かあったら電話してくださいねー。こっちも作者の居場所を特定したら連絡しますから』
断られるのは分かっていたのか、アリスを連れて行かない事に立花は特に反論はしない。お土産期待、と書かれたプラカードを持ち、反対の手をひらひらとふる。
「了解した。お土産は期待するな」
そんな立花に見送られ、俺は外に向かう。
そういえば佐藤の姿も見えないが、どこに行ったのだろうか。あいつは逆月邸から出られないので屋敷の敷地内にいるのは間違いない筈だが。
「……見事」
「ヒヒ、草木の手入れってのも悪くないな。結構繊細な調整いるしよ」
屋敷の門を出る瞬間に庭の方からそんな会話が聞こえた。意外と佐藤も上手くやっているようだ。
汗をかきながら石段を登り、やっとの思いで山の神社に着いた。
やはりと言うべきか、白い服の女性どころか、誰もいない。ただ寂れた神社があるだけだ。
とりあえず休憩しようと思い、昨日石田と昼食をとったベンチに座る。そして道中買っておいたペットボトルを開け、水を一口飲んだ。そして山の頂上の方法を見るが、ここからでは普通の山にしか見えない。とても妖という魑魅魍魎がいるような場所には思えない。
今回はこの神社以上は登るつもりはない。また妖に襲われでもしたら、たまったものではない。一応この神社より下で妖が出る事はないそうだ。この神社が結界のような役割を持っているらしい。
水分補給も終え、汗も少し引いて来たので辺りを探索でもしようかと思っていると、石段を誰かが登って来た。
咄嗟に目を向けると、そこには一人の少女が立っていた。
年齢はしおり達と同じくらいか少し下に見える。少しクセのある黒髪のツインテールに白いカチューシャも着けており、背も低いのでどこか幼い印象を受けた。
そこまでは普通なのだが、服装の違和感が非常に強い。この真夏に体全体が隠れる灰色のフード付きのマントを着ていてかなり暑そうだ。実際彼女も汗をかいて呼吸も乱れている。表情は無表情だが、それでも辛そうなのは分かる。
何故そんなにも無理をして着ているのだろうか。
そんな少女は俺が座っているベンチを見つけると、フラフラとした足取りでこちらに向かってきた。どうやら熱中症とまではいかないが、だいぶ暑さにやられているようだ。
そして俺の隣に座ると、俺の持っている水に気づいたようだ。
「……」
「……」
そして無言で、無表情でじっとこちらを見つめてきた。
「……」
「……」
「……」
「……」
「……おにーさん、今日は暑いですね。水をしっかり摂取しておかないと、倒れてしまいそうです」
「ならその暑そうな服をやめろ。それに水くらい自分で用意しろ」
「ありがとうございます」
とうとう視線だけでなく、言葉でも水を要求してきた。このまま倒れられても目覚めが悪いので、飲みかけのペットボトルを渡す。
少女は一言礼を言うと、受け取ったペットボトルを口に運び、一気に半分近くを飲んだ。余程喉が渇いていたようだ。
「助かりました。実は僕、今家出中であまりお金がないんです」
無表情のまま、少女はなかなか衝撃的な事を言う。そんなこと普通初対面に人に言うだろうか。もしかすると、水だけでなく、いろいろたかろうとしているのかもしれない。
「そんなに警戒しないでください。別になにか裏がある訳ではありませんから」
俺が警戒しているのが分かったのか、少女は首を振って否定する。
それから少女は首をこてんと傾げた。
「それで何でおにーさんはこんな暑い中、こんな寂れた神社に? 失礼ですがそんな熱心な信者には見えませんが」
「散歩だ。それを言ったら家出中のお前はなんでここに?」
本当の事を言える訳ないので、適当に散歩と言い切る。それから少女に質問をして、話をそらす。
「暇人なんですね。僕はここなら家の人に見つかりにくいと思ったので。夜は漫画喫茶に泊まっていますが、ずっといるとお金が足りませんから」
「お前の歳で夜に漫画喫茶泊まれるのか?」
「僕こう見えても十八歳です」
「まじかよ」
流石にこれには驚いた。高く見積もってもしおりと同じくらいだと思っていたが、実は年上だったようだ。
少女の年齢に驚いていると、彼女はまた水を飲む。やはりだいぶ暑いらしい。
「……そんなに暑いならその服着るなよ。見ているこっちが暑い」
「紫外線はお肌の天敵ですから。特に僕、肌が弱いんですよ」
そう言われて少女の顔を見ると、肌がかなり白くて綺麗だ。確かにこれで強い日差しを浴びると、肌が痛くなりそうだ。
「……なんですか、急にじっと見つめて」
「いや確かに肌が綺麗な色白で、日光には――うおっ!?」
会話の途中に、いきなり少女が目つぶしを仕掛けてきた。持前の反射神経で避けられたが、慌ててベンチから立ち上がり距離を取る。
そんな俺の反応を見て、少女はハッと我に返るような反応をした。そして申し訳なさそうな顔で頭を下げる。
「すみません……僕、褒められたりして心が動揺すると、無意識に近くの人を傷つけちゃう体質なんです……」
「いや、何その体質?」
始めて聞く体質だが、この世界では普通なのだろうか。
とりあえずもうこちらを攻撃してくる様子はないので、警戒しながらも彼女の隣に座りなおす。
「お詫びと言ってはなんですが、何か困っている事があったら何でも言ってください。必ずお力になります」
顔を上げた少女は真剣な表情でそんな事を言うが、そう言われても初対面の少女に何か相談出来るような奴は少ないだろう。
「じゃあ何かあったら言うから、その時頼む」
しかし真っ向から言うのもどうかと思ったので、そう言ってお茶を濁しとく。
はぐらかされたのは少女も分かったのか、一瞬不満げな顔をするもすぐに無表情に戻る。
「それでは名前を教えて貰ってもいいですか? いつまでもおにーさんと呼ぶわけにはいかないので。ああ、そちらの呼び方の方が好みでしたらこのままで呼びますが」
「秋山考輝だ。その呼び方はしなくていい」
少女は別に俺の顔を見ても変な反応はしなかったし、『Machine soldiers』を読んだ事はないのだろう。それなら変な偽名を使う必要もない筈だ。
「了解です。私は不知火白姫と言います」
「シキ? 変わった名前だな」
「はい。白い姫と書いて白姫です。姉妹もいるので、気軽に白姫ちゃん、または白ちゃんと呼んでください」
少女は白姫というらしく、変わった名前と言われ慣れているのか、慣れた流れで字まで説明してくれた。
――しかし、『不知火』か。
昨日逆月から説明された守護十二家の一つが『不知火』だった筈だ。
しかしこいつが逆月の言う敵とは正直思えない。そもそも敵地で不知火の性を名乗るなど愚かにも程がある。ただ偶然に同姓だっただけなのだろうか。
ともかく、一応逆月には言っておいた方が良いのかもしれない。
そんな事を考えていると、俺のポケットから電話の着信音が鳴り響く。
悪い、と白姫に声をかけて立ち上がり電話に出る。ちなみにこの携帯電話は立花が用意したものだ。たった一晩でどうやって用意したのだろうか。
『あ、もしもし、考輝さんですか?』
そして電話をかけてきたのも立花だった。
普段のユッキーよりも少しくぐもった感じの声が聞こえる。
「ああ、俺だ。どうした?」
『作者、見つかりましたよー。移動ルートも調べておいたので、今からでも会いに行けます』




