1話:漫画の外の貴方
ここは、間違いなく私が生まれ育った町だ。
山の中腹にある神社の境内から見える町並みはどれもこれも慣れ親しんだもので、遠目には私が通っている高校も見える。もう既に日は落ちて外灯が点いている時間であるが、見間違いようがない。
ここは私の世界――現実の世界だ。
町並みを見ていた状態から後ろを振り向くと、考輝さんが茫然と立っていた。
事態を把握仕切れていないのだろう。だがそれは私にも言える事で、きっと私も同じように茫然としていると思う。
何故急に、私は戻って来られたのだろうか。理由は全く分からないし、思い当たる節もない。
そして私だけならまだしも、何故考輝さんまでこの世界に来てしまったのだろうか。
しばらくお互いに茫然と見つめあっていたが、考輝さんが先に我に返り、懐を漁り始めた。そしてタブレットを起動すると、軽く息を吐く。
「……タブレットでの通信はとれないようだな。石田、お前の携帯はどうだ?」
考輝さんに声をかけられて、私も再起動した。
そして慌ててズボンのポケットから携帯を取り出す。向こうの世界では使う事が出来なかったが、習慣で持ち運んでいた。ちなみに向こうの世界に持って行った物で持ち帰れたのはこの携帯と財布、それと今着ている制服だけだ。あとは全部考輝さんの家に置いてきてしまっている。
「えっと……普通に使えるようで――うわっ! 凄い数の着信……」
携帯は問題なく使えたが、着信とメールが恐ろしい量来ていた。殆どが家族と自宅からで、江奈ちゃんや友達からも来ている。メールも同じ相手から来ていて、全部私の安否を心配するものだ。これ完全に心配をかけた事で怒られると思う。
丸々二日もいなかったので、騒ぎになってしまっているようだ。警察沙汰になっていたらどうしよう。上手く嘘をつける自信はないし、正直に言っても頭がおかしくなったと思われるだろう。
「……どうやら、石田が元々いた世界で間違いないようだな。一つしかない月は久々に見たな」
携帯が使える事を確認した考輝さんは溜息をつくと、空を見上げる。私には当たり前の事だが考輝さんにとっては珍しいようだ。
「何で急に戻されたんでしょうか……しかも考輝さんごとなんて」
「さぁな……だが、これで世界を越える手段がある事は確定した。あとはその手段の特定だな。それを何とか調べるしかないが、明日からだな。一先ずお前は家に帰れ。親も心配しているだろうし」
考輝さんは冷静さを取り戻したようで、もう普通の状態にしか見えない。しかも割とポジティブだ。
「分かりました。……それで、考輝さん。今夜は漫画喫茶で寝泊まりして貰ってもいいですか? 本来私の家に来て貰うべきなんですけど、家族を説得出来る気がしなくて……」
私は考輝さんの家にお世話になっていただけに、気まずい。
私の家には、おばあちゃんと両親と妹と私が住んでいる。両親は今二人とも出張中なので、おばあちゃんと妹だけだが、男の人を家に泊めるなんてそう簡単に許してもらえない気がする。特に妹から。
そんな私の様子を見て、考輝さんは苦笑いを浮かべた。
「そんなに申し訳なく思わなくても大丈夫だ。年頃の娘が行方不明になって、帰って来たら男連れているとか、それこそ面倒な事になるだろう。しかも住所不明どころか戸籍もない男だ。更には漫画のキャラに似ているっていうおまけ付きのな」
言われて気づいたが、今の考輝さんの状況は私の時よりもマズい。
私はユッキーに戸籍等も偽装して貰ったが、勿論そんな芸当が出来る人なんて私の知り合いにはいない。しかも漫画のキャラというのが問題だ。向こうの世界では私を知っている存在などいなかったが、こちらでは考輝さんの事を知っている人はたくさんいる。下手に町を歩けば、大騒ぎになってしまうだろう。
「すみません。漫画喫茶のお金は私が出します。あと何か変装出来る物を買っておきましょう。オタク系の人なら考輝さんの顔を見ればなんらかの反応を示すでしょうし」
「そうだな。それと悪いが道案内も頼めるか。こっちでは俺が何も分からないからな」
考輝さんは何やら楽しそうに、口元だけ笑っていた。
サングラスとマスク買い、考輝さんにつけて貰ったが、非常に不審者感が増した。しかし素顔のまま出歩かれるのよりはまだ良いので、申し訳ないがその格好のままでいてもらう。
買った後は考輝さんを最寄りの漫画喫茶『悶々24時:泉石町店』に送り、明日の十二時に神社で集合の約束をして別れる。学校は夏休みだし、部活は明後日からなので、昼間でも問題なく動ける。
そうして考輝さん関係の事を全て終わらした後、私は二日ぶりの実家に帰って来た。
「……」
しかし、家に入る勇気がなく、家の前で立ち尽くしていた。
時間として二十一時でまだおばあちゃんも妹も起きている時間だ。もし普通に帰れば、確実に怒られる。なんとかそれを回避できないか、私は十分近く家の前で頭を捻らせていた。
怪我をした状態で帰るべきか、服装が乱れた状態で帰るべきか。そうすれば怒りよりも先に心配されるはずだと考えるが、冷静になって考えるとかなり危険な思考だった。
「お姉ちゃん……?」
そんな風に考えを巡らしていると、右からよく知っている声が聞こえた。
慌ててそちらを見ると、少女が一人茫然と立ち尽くしていた。
綺麗な黒髪のサイドテールをリボンで留め、部活があったのか青いジャージを着ている。肌は少し褐色に焼け、元気な印象を与える。そしてなにより、私に似たつぶらな瞳。
私の妹の文奈ちゃんに間違いなかった。
「お姉ちゃん……心配したんだよ……?」
普段は笑顔が多い文奈ちゃんの眼尻に、涙が溜まっていく。
「文奈ちゃん……」
それを見て、私はさっきまでの自分の行いを後悔した。
これ程心配してくれている人がいるのに、私はさっきまで何を考えていたのだろう。怒られるのは当たり前だ。これだけ思ってくれているのだから、怒るのも当たり前だ。
「お姉ちゃん!」
「文奈ちゃん!」
文奈ちゃんが私に駆け寄り、私も彼女の方に駆け寄る。
二人の距離はどんどん近づき、このまま姉妹同士の熱い抱擁が交わされる。
そんな事を確信しながら近づいて行くと、唐突に文奈ちゃんがジャンプした。
「この馬鹿姉が!」
「ほげぇい!?」
そのまま文奈ちゃんは綺麗なドロップキックを私の腹にぶち込んだ。
あまりの衝撃に私は軽く吹き飛び、腹を抑えてしゃがみ込む。もしお腹いっぱいの状態なら、間違いなく戻していた。
「ふ、文奈ちゃん……久々に会った実姉に何の迷いもなくなく、ドロップキックをかますとは、恐ろしい子……」
「何を言っているの、この馬鹿姉! 二日も連絡なくて、私もおばあちゃんも心配したんだからね!」
文奈ちゃんはかなりお冠のようで、腰に手を当てて怒鳴り声を挙げる。
ジャージという事という事もあって、必然的に胸が協調されるポーズだが、残念ながらウチの妹は絶壁だ。せめてBは欲しいところだ。
「お姉ちゃん……今関係ない事考えていたでしょ?」
「そ、そんな事ないよ! 誠心誠意反省しているよ!」
妹の勘が鋭すぎる件。脳内まで干渉してくるとか、流石に勘弁して欲しい。
謝りながら顔を上げて妹の顔を見ると、凄く疑い深い目をしていた。長年の経験から、これはやばいやつだと察する。
「とりあえずお姉ちゃんにはこの二日間どこで何をしていたか、みっちり、洗いざらい、に話して貰うから覚悟してね」
「いえす、まむ……」
やけに言葉を強調する文奈ちゃんにそのまま首根っこを掴まれ、家の中に引きずり込まれて行く。年下の妹に。身長こそ大差ないが、これではどちらが姉か分かったものではない。
「ちゃんと返事する!」
「はい……」
ただ一つ言えるのは、我が家のカーストでは妹の方が力を持っていた。
『
「ヒヒヒヒ……」
佐藤亮介が満身創痍の状態で、俺の前に倒れこむ。
満身創痍の筈だが、それでも狂気的な笑いは変わらない。
一方勝利した筈の俺が肩で息をして、こいつよりも余裕がなく見える。何故こいつは負けたというのに、これから死ぬというのに、こんなにも笑顔でいられるのだろうか。
佐藤は俺にとって仇だった。
昔、よく幼馴染と一緒に行っていた博物館があったのだが、こいつはそこで警備員をしていた。ある日急に辞めたが、それからすぐ俺達の前に現れると、こいつは急に俺達に切りかかった。何でもずっと切りたかったのを我慢していたと言っていたが、その時こいつは心の底から狂っていたのだと感じた。
幼馴染は俺を庇って死に、俺は甚振られている途中で警察に見つかり、何とか助けられた。
そこから俺は悪を滅ぼすために戦おうと誓い、悪人と戦う警察に入り、ギアの適合もあったので特班に入隊して今まで悪と戦い続けた。
そして今、長年追い続けた佐藤を追い詰めた。
佐藤は既にギアを掴めない程に弱り、放っておいてもこのまま死ぬだろう。
しかしそんな佐藤を見ても、俺は何故か喜べなかった。
そしてやけにこいつと仲が良かった頃を思い出していた。
「ヒヒ、なんだよ。仇を打てるっていうのに、やけに悲しそうな顔するじゃねぇか……」
「……なぁ、なんでこんな事になったんだろうな。勿論お前の頭がおかしかったのが一番なんだが、だとしてもそれ以外の未来があったように俺は思えちまう」
「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!!」
そんな俺の弱気の発言に、佐藤は爆笑した。
体もボロボロなので笑いながら血を吐いているが、佐藤は気にせず笑い続ける。
「お前は本当に善人だな……大丈夫だ。そんな未来はない。お前が善人である限りな」
急に笑うのを止め、佐藤は急に真剣な顔をする。これが佐藤の本音のようだ。
しかし、俺には納得出来ない。誰もが笑える未来を考える事はそんなにも駄目な事なのだろうか。
俺はその言葉を聞いた後、剣先を下げて、佐藤に背を向けて歩き始める。トドメをさす事なく。
「……なんだよ。殺さないのか?」
「お前は俺が殺すべきじゃない。仇がある俺が殺すべきじゃない。お前はきちんと法で裁かれて、それで死ぬべきだ。もうすぐここに救急隊が――」
「ヒヒ、そうかい!」
「何っ!?」
俺が言い終わる前に、佐藤は立ち上がり、俺に飛びかかった。
まさかまだ動けると思っていなかった俺は何とか振り返るが、刀を構える事しか出来なかった。
しかし佐藤は俺に危害を加える事なく、自ら俺の構えた刀に向かう。
そして刀が佐藤に刺さり、血が噴き出す。それでも佐藤は足を止めずに進み、刀が胸を貫通した。完全に致命傷だ。
「ヒヒ……悪いが、死ぬとき……は刀って決め、てたからな……」
佐藤はゆっくりと目を閉じる。
こうして世間を恐怖のどん底に叩き落した殺人鬼は二度と動く事はなかった。
最後の表情は、とても満足そうな笑顔だった。
次巻に続く』
「……佐藤ここで死ぬのか。というよりも、あいつ殺せるのか」
石田に案内された漫画喫茶に、俺達の出ている『Machine soldiers』の単行本が置いていたので、全巻を部屋に持ってきていた。個室のリクライニングシートに座り、足を台に置いて伸ばしながらのんびりと読んでいる。
すると最新巻の最後の話で佐藤が主人公の二階堂大和に殺されていた。漫画の中とは言え、知り合いが死ぬ姿はあまり気分の良いものではない。狂人で殺人鬼ではあるが、二階堂が正義で佐藤が悪であるが、それでもだ。
しかし、正直佐藤がこんな簡単に死ぬようには思えなかった。
本物を見ていると、特にそう思う。
しかし描いてある以上、俺の世界の未来で起こる可能性がある事だ。
俺は読んでいた単行本を閉じると、既に読み終わっていた単行本の上に重ねる。
個室にあった旧式のパソコンで調べた所、『Machine soldiers』は全部で十巻刊行されており、アニメ化もされている。連載は二年続いており、ファンも結構多いようだ。ちなみに女子人気が高い。しかし最近は休載が増え、このまま打ち切りになるのではないかと不安も広がっているらしい。
それと自身の戦闘方法を見る事が出来たのは良かった。
自分のギアで出来る事が把握出来たし、今度戦闘になった時は前よりも行動の選択肢が増えた。
積み上がっている単行本の、背表紙には『作者:中村 圭太』と書いてある。
漫画にまだ描いてない内容なら、原作者に会って聞くのが一番速い。これで、俺のテロリストになる理由が分かる筈だ。
原作者の住所は調べても分からなかったが、これは根気よく調べるしかないだろう。
『Machine soldiers』を読み終えた後、今度はこの世界事態を調べる。
俺の世界の歴史や現在の国の配置と違うのかどうかが焦点だ。
二時間程調べた結果、歴史の大筋はこちらとあちらで大差はないように思える。偉人の名前が違ったりはしたが、国の名前や勢力図にも変化はない。
ただ技術の発展に関しては、こちらの世界が大きく劣っている。数字で表すと、どの分野においても最低でも二十年近くは遅れている。
理由を調べたのだが、この世界では戦争が少なく、その結果技術の進歩が遅れているようだ。俺の世界では既に世界大戦クラスの戦争は既に三度起こっているが、この世界では一度だけだ。戦争で技術は進歩するというが、間違いないようだ。
この世界はどうにも昔から戦争が少ない。農業や漁業などの食料生産で不作や不漁が殆ど無く、天候にも恵まれている。腹が満たされているので、他を攻めようという発想が生まれにくいのだろうか。
あと大きな違いとしては、こちらの世界では宗教の進行が活発なようだ。俺の世界と比べて、宗教の持っている力が非常に大きい。政教分離はどこも出来ているようだが、政治を行う者にとって、宗教団体は無視できない大きさとなっている。
そこまで調べて、そういえば石田も宗教を信仰していた事を思い出した。
その信仰のせいなのか、悪魔やら妖怪やらを恐れている人も多い。信仰を強くするためにそういった敵を作るのか、何か敵がいたから信仰が出来たのか謎ではあるが。
ある程度この世界の事を調べた後、パソコンの電源を消して目をつぶる。
調べて、この世界は自分のいた世界とは大きく違う事を実感した。
こういった違いまで、漫画の原作者は考えたのだろうか。
そもそも原作者の考えから俺達の世界が生まれたのか、それとも俺達の世界の未来を原作者が何かしらの方法で知り、漫画にしたのか。
この違いは重要だ。もし前者なら俺も春川も立花も佐藤もアリス、アイリスも二階堂も全て妄想の産物という話になる。何とも恐ろしい話だ。
そういえば、俺の世界の方は大丈夫だろうか。
今、俺の家には佐藤とアリスしかいない。俺と石田がいなければ、止める人がいなければ、軽く殺し合いをしているのが簡単に想像できる。
しかし今の俺にはそれを止める手段などない。
嫌な考えを頭から払い、寝るための準備をする。
最低でも、この世界なら争いに巻き込まれる事は、簡単にはないだろうとポジティブに考えながら、俺は眠りについた。
町の全員が寝静まった頃、山の中腹にある神社に、一人の人影が佇んでいた。
月明りだけに照らされたその人物は、フード付きの灰色のマントを羽織っており、フードを深く被っているため顔はおろか、性別すら分からない。
その人物はゆっくりと神社の奥の、山頂に繋がる山道に歩いて行く。
その歩いた道には、血が滴っていた。




