希
何か踏んだらしい。裸足の足が痛い。でも、そんな物は止まる理由にならない。
もうどれ位走ったんだろう。
マンションから出て数分か。
それとも数時間か。
感覚がまるで分らない。
自分が何処にいるかも分らない。
それでも、紗音は足を動かし続けた。
――ラルム、何処にいるの?
心の中で何度となく問いかけながら。
愛する人の面影を探しながら。
道も分からず闇雲に走って。走って。走って。
とっくに息は上がっている。からからの喉は無理やりに呼吸をする度血が混じる。視界も霞む。
でも、止まれない。
止まってはいけない。
だって――
衝撃と共に肩に鈍い痛みが走った。
「っ!」
「っ痛てぇな!」
ぶつかった相手の怒声に身が竦む。
男はその一瞬の隙を見逃してはくれず。
乱雑に腕を掴まれて路地裏に引きずり込まれる。
「ほら、嬢ちゃんワビしろよ?」
薄汚れたビルの外壁に叩きつけられた背中。
値踏みするような視線。
下賤な声。
ぞわり。
名を貰う前。ラルムと出逢う前。あの最低な日々の記憶に胃の腑が絞られたようにキモチワルイ。
「っち、もったい付けてんじゃねぇよ!」
乾いた音。熱い。
ぶたれたんだ。
他人事みたいに路地に倒れこむ。
ブラウスに伸びてくる手。
知らない手。
ラルムじゃない。
「や、だぁ!!
ラルム!!ラルム!!!」
火の付いた赤子みたいに泣き叫んでも誰も来ない。
上から抑え込む男に、二度三度立て続けに殴られた。
甲高い音でブラウスの袖が破れる。
――可愛いね。
何時だったか、ラルムがそう言ってくれた、お気に入りのブラウス。
ラルム。ラルムラルムラルムラルム……!
繰り返し呼ばう。
返る声は無い。
脳裏にちらつく玄関のチャイム。二人の男の影。
嫌だ。
追い付かれて仕舞う。
――現実に。
その時、紗音の指先に何か触れた。
摘まんで見上げる。酒瓶の欠片らしき色ガラス。
握りしめる。とんがって、いたい。
でも、いいや。
自分の胸元に鼻先を埋める男の喉首に、紗音は躊躇いなくそれを突き刺した。
ぐちゅ。
生肉の嫌な手ごたえ。
吹き出す赤色。
降り注ぐぬるい温度。
絶命した男の重い身体を押しのけて、紗音は立った。
また、走らないと。
ラルムを、探すために。




