名
その日。ラルムは初めて、≪裏警察≫の仮眠室に泊まり込んだ。
彼と離れたがらない少女と、規則上連れ帰る事の出来ないラルムの間を取ってそのようにしたのだ。一つきりのベッドを彼女に譲って、ラルムはソファで横になった。
少女の寝顔は、あどけない。年齢だけを見れば、高校生くらい。まだ弾けるような笑顔が似合うはずなのだ。
けれど、彼女は笑わない。表情一つ変わらない。
それは、まるで世界の闇その物。
※
翌日。ラルムは嫌がる少女を残して部屋を出た。
小野寺が纏めた資料とも呼べぬ文章を、桑野に渡す為に。
もう一度、たった一枚の紙に目をやる。
身長162cm、瘦せ型。髪色、瞳ともに黒。氏名、国籍不明。骨格からアジア系人種と推測。生年月日不明。成長の過程から年齢は恐らく16-18歳と思われる。追記、闇取引での転売を3度記憶。幼少期は不明。堕胎経験有。
少女の人生は、其れだけだった。少なくとも、16年生きた人間の記録としては、あまりにもコンパクトで、不明な事が多すぎる。
ラルムの中には、【自分ならこれを与えられます】なんて、明確なプランは何もない。
でも、できれば何かを付与してあげたい。名前であったり、友であったり、生きる場所。
小野寺や裏警察の人間は、様々な形で、ラルムの人生に色んな物を与えてくれた。生き方や、正義や、背負い方。間接的にも直接的にも、教えてもらったから。せめて、彼女にも……笑える生き方くらいは見せてあげたい。
顔を上げて、踏み出す。幾ら自分が決意を固めた処で、決定権はこの組織を統べる桑野にあるのだ。
デスクに赴くと、寝ぼけ眼の桑野に、ラルムは自分の結論を伝えた。
桑野は唸って、紫煙を吐き出し、天井を睨みつける。
「国籍不明じゃぁ、どうにもしようがねぇしなぁ。
よっしゃ、ラルムの男気買ってみるか」
「良いんですか!?」
「笑わせてやれ」
ぽんぽん、と桑野に撫でられて、ラルムは大急ぎで仮眠室に取って返す。
ベッドで待っていた少女が顔を上げる。
「ただいま、紗音!!」
「…しゃのん?」
小首を傾げる彼女に歩み寄って、ラルムは目線を合わせるように膝を折る。
「今日から、君の名前は紗音だ」
ポケットに入れていた手帳に字を書いて見せる。
少女の指がたどたどしく、文字をなぞった。
「あ、嫌なら、変えるよ!?」
「……ううん。紗音、好き」
ぎゅ、と彼女の手が、ラルム袖を握る。
その手を、優しく剥がして、直接手を触れ合わて握手をする。
「よろしくね、紗音」
「…うん」
こくり、と頷く紗音を、ラルムは思い切り抱き締めた。




