城
「ふぅ」
ずるずると、壁に預けた体が滑っていく。そのままぺたん、とラルムは床に座り込んだ。
なんだか、大変な事になってしまった。人生のターニングポイントがいきなり押し寄せてきたのだ。混乱も仕方ないだろう。
「私たちはお前をスカウトしたい。どうか力を貸してくれ」
じっと、見つめてきた月島の眼を思い出す。この仕事を受けるべきかもしれない。
同時に、極細い希望の光も見えた気がしていた。この仕事なら、自分がハッカーになったあの事件の糸口を掴めるかもしれない。
ラルムの中で受けるべきか、受けざるべきか。大きな問題が揺れている。
一度詳しい話を聞いて考えたい。
そう言ったラルムに、仕事に関しては小野寺から聞くのが一番早い、と桑野は笑った。
だから、今エレベーターに揺られている。この建物の地下1階、≪小野寺の城≫と呼ばれる場所に向かう為に。
「とにかく、まずは小野寺さんに謝罪だな」
頭を一つ振って余計な思考は振り落とす。桑野が、内線で連絡を入れてくれている。小野寺が廊下で待っている手筈だ。
気を取り直して立ち上がった時、丁度エレベーターが到着を告げた。扉がゆっくり開く。談話室と説明された上の部屋と違って、かなり暗い。床はリノリウムのようだ。
靴も履かずに拉致されたから、足元は借り物のスリッパ。おかげでなんだか入院でもしている気になってくる。
小野寺は…と目で探す。目立つ紫色の髪は見えない。
仕方ないので一歩踏み出す。
廊下に沿って扉が飛び飛びに並んでいる。
「ひっ」
いきなり目に飛び込んだドアプレートの≪霊安室≫の文字にラルムは短く悲鳴を上げた。
「およ、もう着いたの?」
二番目の扉をスライドさせて現れた紫頭に抱き着きたい欲求は、なんとか抑え込んだ。
おいで、と言われて近づく。つん、と消毒薬の匂いがする。室内はソファに事務机、それにベッドが3つ。なんとなく、学校の保健室みたいだが、所々に置かれた器具はもっと専門的に見える。
「ここね、医務室なの。怪我の多い職場だからね。軽い怪我はココで秀サマが看るから」
小野寺に言われて納得した。奥に設置された簡単な炊事スペースから珈琲まで出してくれた。
「落ち着いた?」
「あの…さっきはすいませんでした!!」
「ん?いいよ、気にしないで」
頭を下げたら、ぽんぽんと撫でられた。
「ミミ君の事も許したげてね?
ここはね、50人くらいしかいない組織だから、とっても仲間思いなの
…入れ替わりも激しいしねぇ」
「50人!?」
ラルムは思わず声を上げた。だって、桑野と月島の説明では、もっと大きな組織に感じていたのに。
「秀サマたち、少数精鋭だからね」
小野寺はからから笑いながら手元の紙に何か書いた。医者は字が汚い、なんてよく言うが、小野寺の字は案外几帳面で読みやすい。
≪実戦部隊≫
≪処理隊≫
≪情報隊≫
「ここは、この三本柱で出来てる。
桑野が≪実戦部隊≫隊長。ここは大体20人くらい。一番交代が激しいとこだから人数は結構変わるの。月島もここの子だよ。
で、秀サマは一応≪処理隊≫を預かってる。こっちは15人くらいかな?実戦程じゃないけど、こっちも荒事が多いから交代は多い。ミミ君はここの副隊長任してる」
小野寺は話ながら横に数字を書き足していく。
「で、と。ラルム君が行くのが此処ね」
とんとん、と指で叩かれる≪情報隊≫の文字。
「ここは、荒事は担当しないから交代は少ない。だから一番小規模だけど、大事なとこ」
ほう、と頷きかけて止める。
「いや、僕まだ受けてませんよ!?」
「ああ、そか。試験まだなの」
「いや、試験じゃなくて!!」
「ほえ?」
「僕まだこの仕事受けてませんよ!?」
「もうコッチに来ちゃったんだから仲間だよ」
この部屋に来る前、エレベーターで悩んだ時間はどうやら全て無駄だったらしい。
もう、この組織の一員として数えられているのだ。逃げ場はない。
小野寺の笑顔にそれを思い知らされたラルムは絶句したのだった。




