惑
ゆるり、と睫毛が震える。
瞼が持ち上がり、薄茶の眼が辺りを見渡す。
幸か不幸か。ラルムのその変化に一番に気付いたのは風呂上りの小野寺だった。
「およ、起きた?」
珈琲片手にラルムの眼を除き込む。
たっぷり、1分の静寂。
「ぅぎゃぁあああああああああ!!」
ラルムは悲鳴を上げて後ずさる。残念ながら大きなソファでは無いから、すぐ落ちた。
しかし、後頭部を打っても彼は小野寺と距離を置きたいらしく、ジタバタ暴れている。
「ちょっと、落ち着きなよ!珈琲飲む?クッキーもあるけど…」
「ひ…人殺し!!」
ラルムがそう叫んだ瞬間。場は水を打ったように静かになった。
「た、助けてください!!
こ、この人さっき人を殺したんですよ!?」
必死の形相で叫ぶ青年。残念だが、それに合わせてやれる人間はこの組織には存在しない。
今この談話室で『人を殺した人間、挙手』と言えば、全員手を挙げなければならない。
それも、一人二人殺したなんて話ではない。二桁なら未熟者。そういう世界だ。
沈黙の中で、何も知らない青年の荒い息だけが響く。
それを破ったのは革靴の音。風呂場から戻った、真田だった。
「小野寺先生がさっき人を殺したのは知っていますよ。
僕もその場にいて、数人殺しましたから」
にっこりと笑顔で一歩踏み出す。青年はそれに怯えたように「ひっ」と喉を鳴らして這うように後退する。顔色は、最早紙のように白い。
「ぼ、僕も殺すのか?」
いよいよ壁に追い詰められて震えるラルムの胸倉を、真田が引っ掴む。
「もうそろそろ、止めてやれ」
「…月島さん」
「秀の事が気にかかるのは分かるが、駄目だ。
お前の拳では、彼の頸が折れる」
その言葉で、真田はゆっくりとラルムを離した。
解放されたラルムは、尻餅を付いたまま状況が分からず月島を見上げるだけだった。




