【side 鉄堂哲郎】3-2
「おつかれ。おっ! 今日はみんな居るんだな」
翌日、推し活サークルの部室へ行くと、昨日とは打って変わって部室内がにぎやかだった。
「てっちゃん、おつかれ」
「鉄堂氏、昨日ぶりなんだお」
「夏休み中なのに全員揃うのはすごいですね」
徳佐の言う通り、招集もかけていないのに夏休み中に全員が部室に集まるのはものすごい確率だ。大学の講義も無いのに、みんなはどうして部室にやって来たのだろう。全員が大学の近くに住んでいるわけでもないだろうに。
「みんなはどうして今日、部室に来たんだ? いや別に用事が無くても部室にはいつでも来ていいんだが、ほら、今は夏休み中だろ?」
「ボクは、部室にレンジャーカードを取りに来たんです。明日親戚の子が家に来るので、ダブりカードをあげようと思って」
「ほお。だから徳佐氏は、部室に来るなりずっとカードアルバムを見てたのかお?」
「アルバムを開くとつい見入っちゃうんですよね」
その気持ちはよく分かる。推しのことを眺めていると、すぐに時間が経ってしまう。
「姫は今日、教授に呼び出されたから大学に来たんだ。このままだと単位を落とすぞ、って。夏休み中なんだから、姫に構ってないで旅行にでも行けばいいのにね」
「熱心な良い教授じゃないですか」
「姫、大学ってもっと緩いものだと思ってた。選ぶ授業を間違えたかも」
姫香ちゃんをよく呼び出している教授は、俺も知っている人だ。一年生の頃、俺もその教授の授業を選択していたからだ。
「姫香ちゃんのことを呼び出した教授は、誰にも単位を落とさせないことを目標にしている熱血教授だ。俺の代でも姫香ちゃんのように頻繁に呼び出されている学生がいたぞ。単位が取れる基準に達するまで、かなりの回数の呼び出しを受けていた」
「うげえっ」
姫香ちゃんが顔に似合わない低い呻き声を出した。だが、可愛い顔と踏まれたヒキガエルのような声のギャップもまたイイ。
「はああ暑い暑い暑すぎる。拙者、汗の海で溺れそうなんだお。しょっぱいんだお」
一方で兄小田はギャップも何も無い。顔中にだらだらと汗をかいているのに一向に拭こうとしないその姿は、だらしのない性格の兄小田そのものだ。
「部室内はエアコンが効いていて涼しいと思うぞ」
現に部室棟まで外を歩いてきた俺は、部室内の涼しさに感動している。エアコンは素晴らしい電化製品だ。
「拙者の代謝はエアコンに勝つんだお」
「それは難儀な体質だな」
汗を流し続ける兄小田のことを、姫香ちゃんが迷惑そうな顔で見ている。それはそうだろう。兄小田の汗は部室の床にポタポタと垂れている。普通に不潔だ。
「ねえ、あにおだ。カーペットに汗が染み込んだら、部室が臭くなっちゃうよ。さっきハンカチ持ってたよね? あれで汗を拭きなよ」
「残念ながらそれは出来ないんだお。ひめるんの描かれたハンカチで拙者の汗を拭くなんて、ひめるんに対する侮辱なんだお」
「侮辱って自分で言っちゃうんですね……」
兄小田はハンカチで汗を拭うことを拒否すると、着ているTシャツで汗を拭い始めた。
そして汗を拭い終わると、無理やりな笑顔を浮かべた。
「はああ暑いから、拙者はひめるんサイダーを飲んじゃおうかなあ!? 渇いた身体にひめるんサイダーはピッタリなんだお。他にひめるんサイダーを飲みたい人はいるんだお?」
兄小田がチラチラとこちらを伺ってきた。同じように姫香ちゃんや徳佐のこともチラチラと見ている。
「俺はいらない。あのサイダーの不味さは異常だ」
「姫もいらない。今いらないというか、永遠にいらない」
「ボクもいりません。どうしてカレー味のサイダーなんか発売したんでしょうね」
「ひめるんの好物がカレーだからだお!」
徳佐の呆れたような言葉に、兄小田がひめるんを語るチャンスとばかりに食いついた。
「ひめるんは主食がマカロンなんじゃないかって思うほど可愛いのに、実際の好物はカレーな上に大食いでもあるんだお。このギャップに拙者はメロメロなんだお。とはいえ、ひめるんの好物がマカロンだったとしても、拙者はひめるんを推してたに違いないんだお」
分かる気がする。たった今、姫香ちゃんに対して俺も同じようなことを思った。ギャップがあると、その人がより可愛く見えてくる。
……いや、もしかすると逆かもしれない。
一度好きになってしまったら、どんなギャップでも可愛く見えてしまうのだ。
「ひめるんとカレーは切っても切れない関係なんだお。だからカレー味のサイダーなんだお」
「だったら素直にカレーを売ればいいじゃないですか」
「カレーはすでに発売されてるんだお。もちろん箱で買ったお」
もしかして兄小田は、ひめるんグッズが出るたびに箱買いをしているのだろうか。推しに課金をするのは良いことだが、何事にも節度は必要な気がする。
俺は部室の床に置かれた、ひめるんサイダーのダンボールを眺めた。
「カレーは良いとして。いくらひめるんのパッケージでも、カレー味のサイダーを箱買いすることはなくない? しかも二箱も」
さすがの姫香ちゃんも俺と同じことを思ったのだろう。姫香ちゃんは推しであるタケルンにかなりの課金をしているようだが、その姫香ちゃんが言うのだから相当だ。
「姫川氏。いくら拙者でも、ペットボトルのパッケージがひめるんなだけでカレー味のサイダーを二箱も買わないんだお」
「買ってるよね?」
「よく見るんだお」
そう言って兄小田は、部室に備え付けられた棚の一角を指し示した。
「なんと、ひめるんサイダー一本につき、ひめるんボトルキャップが一個付いてくるんだお! 拙者どうしてもひめるんボトルキャップが全種類欲しかったんだお」
「まんまと企業の戦略に乗っちゃったんだね」
「ボトルキャップの種類の豊富さを見るに、こうでもしないと売れないと、企業側も思っていそうですね」
「あにおだは企業にとって良いカモだな」
まあ、推しのカモになるのはオタクの本望ではあるが。
「人聞きが悪いんだお。拙者は別に、一方的に搾取されたわけじゃないんだお。企業はひめるんサイダーが売れて、拙者はボトルキャップが手に入って、ウィンウィンなんだお」
「ウィンウィンなんだお、じゃないですよ! 兄小田先輩がひめるんサイダーを置いているせいで、その分部室が狭くなっているんですよ。早くどうにかしてくださいよ!?」
徳佐に責められた兄小田が、今度はひめるんサイダーの入っているダンボールを指差した。
「だ、だから、ダンボールに『ご自由にどうぞ』って書いた紙を貼ってるんだお」
確かに紙は貼られているが……頼まれても飲まない物を、自由にどうぞ、と言われても飲むわけがない。
「そんな紙が貼られていても、鉄堂先輩も姫香ちゃんも、もちろんボクだって飲みませんよ。悲劇的な味なんですから」
悲劇的な味。
ひめるんサイダーの味を形容するのにピッタリの言葉だ。




