35
「では、俺は戻るが———」
こほん、と気を引くような咳払いが聞こえて、佐波は慌てて思考を切り替えた。
座したままの身体を反転させると、いつの間にか片手を梯子にかけた梓星がこちらを見下ろしている。
彼は合わさった視線を恥じるように逸らしつつ、
「その…お前には、色々世話になった」
ぽつり、と言い難そうに礼を述べてきた。
それは長くて短い、奇妙な夜を終える合図。
ああ、終わってしまうのか…と思うと、ほっとする反面、寂しいような、残念なような…複雑な心地だ。
一時はどうなることかと肝を冷やしたが、乗り越えてしまえば、過ぎた危機を共に過ごした時間すら惜しく思う余裕が生まれている。
たった一日、それも数刻という僅かな時間言葉を交わし同じ危機を越えたというだけで、目の前の雲上の御仁を、まるで知古の友のように感じている自分に気付いて、佐波は思わず苦く笑ってしまった。
…縁とは本当に不思議なものだ。
「いいえ、私こそ…遅くなりましたが、これまでの数々の非礼をお詫び申し上げます」
ゆっくりと姿勢を正し、佐波は身体を庇いながら出来る限りの礼をとった。
途端にどっと沸き上がった疲労が一瞬瞼を覆ったが、この不思議な縁を最後まで見届けたいと思う気持ちで、どうにか奥歯を噛み堪える。
平伏しているのをいいことに、少しの間目を閉じて目眩を乗り切っていると、可笑しそうに笑う梓星の軽やかな声が耳を打った。
「お前のソレは、非礼だとか無礼だとか、もうそんな次元の話ではないだろう」
「うぐっ」
ど、どのことを言っているのだろうか…と思う時点でもう駄目なのだろう。
しかし『結果的に』説教になってしまったアレは、まだ彼が何者かを知らない段階でのことであったし、その後も特別やらかしてしまった事は……ない……ような……いや、もうこんな態度をとっていること自体、やらかしてしまっているのかも…
「も、申し開きもございません…」
疑わしきは取り敢えず、と先手を打って佐波は謝罪した。丁度平伏していたので、動作も最小限で良い。このような場面で張り合うほどの矜持も持ち合わせていない気軽な身分の佐波にとっては、なんてことのない作法だ。
だが梓星は俄に慌てたようで、今にも上り出しそうな様子であった梯子から手を離し、佐波の前までのほんの僅かな距離を文字通り飛ぶように戻ってくると、
「わ、詫びることはないぞ!俺もそういうつもりで言ったわけじゃない!つ、つまり…お前の言動は、礼を必要とする類いのものではなかった、というか…」
自分の言葉に戸惑いながらも、彼は佐波の目前で屈んだ。
そして平伏している佐波の肩…怪我のマシな右肩に、手をそっと置く。
「…お前は俺が名乗った後も、態度を変えなかっただろう。礼は尽くしてくれたが、それは俺が皇帝だからじゃない。ただ俺が自分とは違う他者だというだけで、尊重してくれていた。…違うか?」
促されるて顔を上げた佐波は、返答に困って視線落とした。
違うかと言われると…正直、自分でもよく分からない。
態度が変わらなかったというのは、ただ単にこれ以上の礼の尽くし方を知らなかったからで、もし佐波に十分な貴族の…それも皇帝に対する作法の知識があれば、やはり他の貴族や臣下と同じように儀礼に則った応対をしていただろうと思う。
もちろん梓星の人柄を知ってからは心からの尊敬を感じていたのだけど…なんとなくこの答えでは彼の期待を裏切るようなことになってしまいそうで…居たたまれない。
佐波が後ろめたさを覚えて俯いたことで、梓星は余計に慌ててしまった。
「な、なんでそこで落ち込むんだ!?」
「いえ…ちょっと猛省しているだけで…」
「だから俺はお前に反省を促しているわけじゃないぞっ!」
つまりだな!と梓星は意気込んだ。
「俺は、嬉しかったのだ!お前の前では、皇帝でなくとも———梓劉でなくても良い。失敗や不勉強を嗤われることもない。説教だって、お前は俺と誰かを比べたりしなかった。助けを必要とした時も、まるでそうすることが当たり前のように、お前は俺と一緒に悩んでくれた。心配して…怒ってくれた。お前の前で弱音を吐いたことすら、責めも嗤いも叱りもせず、むしろ…!」
はっと言葉を途切れさせた彼は、顔を赤くして、悔しそうに顔を顰める。
恐らく、その後の涙を思い出したのだろう。ぎゅっと上等な着物の裾を握りしめた拳が、小さく震えていた。
———やっぱり、彼は優しい。
顔を上げて梓星の言葉を聞いていた佐波は、純粋に感動した。
彼が優しいことはこの数刻で十分に知っているつもりでいたが、己の心情を暴露してまで落ち込んだ自分を慰めようとしてくれているその姿は、心の底から勇気を奮っているように見える。
他者のために勇敢になれる人は稀少だ。そしてその勇敢さを、人は優しさと呼ぶ。
身分などなくとも、彼には自然と人に頭を下げさせるだけの魅力が天性から備わっている。
そんな人物と出会えた幸運を、天津国の何処にいるとも知れない神に感謝したい心地だ。
「私も、嬉しかったです」
どのようにすれば与えられた誠意に応えられるのかと悩みつつ、佐波はゆっくりと口を開いた。
「私はこのように、身元も確かではありませんし……論ずるばかりで実の伴わぬ人間です。周囲の人達は、そんな私にも良くしてくれましたが…彼らが奇妙に思っていたことも知っています。議を云うよりまず動け、というのが使用人の掟ですから。こんなに長い時間、自分の考えを述べたり、誰かの心情を聞かせて貰ったりするのは、本当に久しぶりで…」
嬉しかったのです。ともう一度口にした瞬間、心に浮かび上がったのは、やはり懐かしい友の顔。
心の内を言葉にし、相手に伝え、それを分かって貰う。それがどんなに難しく有り難いことか、彼との別れが教えてくれたのだ。
痛んだ胸に気付かぬ振りをして、佐波は笑って述べた。
「梓星様にお逢い出来たこと、生涯の僥倖といたします」
「…大袈裟ではないか?」
むぅ、と口を曲げながらも、目元に朱がさしていることで照れ隠しと容易に分かる梓星の表情に、佐波が堪え切れずふふと笑うと、彼の口元にもようやく笑みが浮かんだ。
「互いに良い出逢いであったということだな」
「はい」
笑んだまま力強く頷くと、梓星も笑んだまま、
「では、お前に褒美をやろう」
「はい…………はいっ!?」
どういう繋がりで!?と飛び出しそうになった言葉を慌てて堪える。
しかし今の流れで、いきなり褒美とは一体…と困惑する佐波に、梓星は構わずにこにこと言葉を続けた。
「遠慮するな。ここまで世話をかけて褒美も出せぬような甲斐性なしではないからな」
「い、いえいえいえ!むしろ今の話の流れで、私が褒美を無心するなどあってはならないはず…!」
「お前が自分から強請るようなら、俺も言い出したりしないさ。褒美も要らぬ程に、俺と出逢えたことを嬉しいのだったな?」
「え?…………えっ!?」
なんだろう。何か大変な掛け違いが発生している気がする。
だが大筋はあっているだけに、何をどう反論すればいいのか分からない。
おろおろと梓星の真意を表情から伺おうとしている佐波に、彼は掛け値無しの笑みで答えた。
「今何がいいと聞いたところで、お前が即座に答えられるとは思っていない。それに、すぐに手渡せるような褒美では面白くないからな。その件はまたゆっくり考えるとしよう。———それより良い案がある」
「案、ですか?」
「ああ。お前、俺の愛妾になれ」
ぶほっと吸い込んだはずの空気が気管で爆ぜて、佐波は激しく咳き込んだ。苦しくて身体を揺すると怪我に響いて、涙まで出てくる。
身を屈めて咳き込んでいると、梓星は慌ててその背をさすりながら、
「だ、大丈夫か?…お前はそろそろ横になった方がいいな。今布団を敷いてやるから、少し待て」
「げふ、げほっ…だっだいじょうぶですっ ぐっ」
「大丈夫ではないだろう!」
心配そうに言って、床板を這って回った時に退かした布団を、凡そ元の位置に戻してくれた。
後にも先にも、皇帝に布団を敷かせた人間は佐波以外にいないだろう。しかしそんなことにまで頭が回らない佐波は、必死に気管支を宥め、ぜいぜいと息をついていた。
———な、何か今、妙な言葉を聞いたような…
「よし、敷けたぞ。横になれ」
くらくらしながら顔を上げると、得意げな顔で布団の前に佇む梓星と目があった。
その表情にはなんの含みもなく、いっそ無邪気なものだ。
「あ、ありがとう、ございます…」
立とうと思ったが、どうにも膝が震えて云う事を聞かない。どうやらかなり疲れがきているらしい、とようやく悟った佐波は、布団まで数歩距離を這っていった。
「床の板戸も閉めておくぞ。もう用はないしな」
佐波が布団の上までどうにか辿り着いた時には、梓星はてきぱきと部屋の片付けを始めていた。
後にも先にも、皇帝に部屋の片付けをさせたのは(以下略 しかしそんなことにまで(以下略
霞がかって朦朧とする頭で再び礼を言うと、梓星は佐波の元へ戻り、その背を支えて横になるのを手伝ってくれまでした。
なんて甲斐甲斐しい。彼は皇帝よりも看護士に向いている、などと口か裂けても言えないようなことをぼんやり思っている間に、上からそっと布団をかけられ、少し躊躇うような間を置いてから、そっと、湿布をしていない方の頬に、彼の白い指が触れた。それが頬にかかった髪を払ってくれた仕草だと気付いて、先ほどまでの苦しみが解けるような心地になった。
「…愛妾のことは、無理にとは言わないが、考えていてくれ」
ぼそ、と囁かれた言葉に、佐波は先ほどの動揺を思い出して情けない顔になる。
「む、むりです…」
舌が上手く回らない。どうにかして無理な理由を、一から、誤解もすべて解れるように説明したいのだが、身体を横たえた途端に思考が鈍って、言葉が出て来ない。
そんな佐波のか細い拒否をどう捉えたのかは分からないが、梓星は穏やかに目を細めた。
「大丈夫だ。俺だって、いきなり周囲に宣言するほど愚かではない。お前とここで出逢ったことがバレては、あの男娼も、身代わりとなった兵士にも罪が及ぶからな。だが、お前がここから早く出られるように…出られた後に、他に客を取らずにすむように考えよう。それくらいは、恩返しだと思って受けてくれても良いだろう?」
それに、お前が愛妾になってくれれば俺も助かる。と彼は言う。
「俺もこれ以上無益な抵抗はしたくなかったし…正直お前の存在は都合がいい。あ、いや、都合がいいというのは身勝手な言い分だが、助かる、という意味だぞっ そ、それに、愛妾といっても、その、別にそういう意味じゃなくても、もっとこう、精神的な……………おい、寝たのか?」
「…ね…てません」
「嘘付け。涎を垂らしそうな顔をしている」
危なかった。あと少し声をかけてもらう時機が遅かったら、多分本当に気を失っていた。
弛緩した表情を繕おうと意識を集中させる。それでも心地よく上がってきた布団の温度に、瞼がゆらゆらと上下した。
そんな佐波の様子を、梓星は興味深そうに眺めている。まるで、初めて見る生き物を観察しているような表情だ。
「人が寝入る様は、初めて見るな。なるほど、意識は薄らとあるのか」
「…まだ、ねてません」
「ああ。寝てないな。だが寝ても良いぞ。後のことは任せておけ」
幼子に言って聞かせるようにゆっくりと耳元に囁く、その甘やかさ誘われて思わず目を閉じそうになり、ぐっと堪えた。
まだだ。もう少し…誤解を…
「…しせいさま…、私は…」
———私は女なのです。男娼ではない。
だから、あなたの愛妾にはなれない。例え仮染めの関係であっても、梓星の元に上がることは出来ないのです。
そう伝えなければと思うのに、それを告げることで、彼が傷ついたりしないか。裏切られたと感じたりしないか。こうやって築けた奇跡のような関係を壊してしまわないか。考えれば考える程に怖じ気づいてしまって、臆病な言葉たちは喉の奥から出てこない。
そうこうしているうちに、梓星は思い出したように高く結わえた髪に手を差し入れた。
「そうだ。これはお前に預けておこう」
シャラ、と涼やかな音を立てて現れたのは、先ほど床板の仕掛けを開けた珠飾りの簪。
それを布団に入った佐波の手を引き出して、そっと握らせる。
その冷たい銀の感触に、佐波は一拍遅れて状況を理解し——— 瞬時に目が冴えた。
「い、いけません、これは…このような高価なもの!」
「預けるだけだ。次に会った時に返してもらうぞ」
だから失くすなよと小さく笑って、簪を握らせた佐波の手を、上から押さえるように両手で包む。
「何かあったら使うと良い。護身にはなる。これがあれば、床板を開けて地下に隠れることも出来るぞ。…俺とまた会うまで、決して怪我を増やすんじゃない。…いいな?」
最後に両手に力を込めて、梓星は手を離し立ち上がった。
片手に簡易行灯を持ち、困惑と睡魔に目を瞬かせる佐波を置き去りに、素早く梯子を上がる。
そういえばこの梯子は後にどうすれば良いのだろうか、と過った不安は、彼が器用に天井裏から折り畳むようにして引き上げる姿を見て解消された。
———なるほど。中間階に置いておくのか…
確かにその方が良さそうだと思いつつ、心のどこかで、この部屋から出る方法の一つを失ったことを残念に思ている自分に気付いて、心の中で自嘲した。
———なんて贅沢な……それに、彼が言った通り、まだ地下がある…
ここから逃げ出したところで、自分の命運が開けるとは思えない。それに他の事情はともかく、ここには既に多大な迷惑をかけてしまった人達がいるのだ。恩がある以上、その人々まで裏切るようなことは、自分には出来そうも無い。
…しかし、それでも逃げ場があると思えるだけで、精神的な負担は随分と減る。使う機会は無いかもしれないが、梓星から預かった簪の存在は、佐波に深い安らぎを与えてくれていた。
簪を持った掌を一瞬キツく握り、布団の中へと引き入れると、まるでそれを見届けてからと決めていたように、遠くなった簡易行灯にほんのりと照らされて、天井から梓星が顔を出した。
「では、養生しろよ」
「…はい。梓星様も、お元気で…」
名残惜しそうな笑顔を残し、天井板が四角い明かりを闇で埋めていく。
同時に瞼を閉じかけた佐波は、しかし再び瞼の裏で赤く輝く光に、目を開いた。
「そうだ、言い忘れたが———」
再びひょっこり顔を出した梓星は、きょとんと瞬く佐波に、輝かんばかりの笑顔で告げる。
「浮気はするなよ」
瞬き一つ。
その間にさっさと天井板を閉じた梓星は、来たときと同様にギシギシと天井を軋ませて立ち去った。
ようやく安らかな闇に包まれた世界で、佐波はその足音が徐々に遠くなり、無事に途絶えたのを聞き届けて…もう一度瞬いた。
———うわき…?
それは一体どんなものだったか。まさかあの『浮気』ではあるまい。他にきっと意味があるのだ…と意識を流している間に、全身にふわりと浮遊感を感じた。
あ、と思う間もない。
手放す、という表現がぴったり当てはまる感覚で、限界まで引き延ばされていた意識が現の感覚と切り離され———佐波はそのまま、気絶するように眠りに落ちていった。
後には何も残らない。
ここに今まで、夢物語のような出逢いがあったことなど、何も。
深まり過ぎた宵をそっと醒ますように、遠くで明け一番の鐘が鳴った。
*
———時は、少し遡る。
薄い闇に、極彩色の灯りが揺れる。
幾重もの襖を隔てても、尚当たり前のように聴こえてくる雅な楽音。
天上のものかと錯覚する程に美しいその音色に、甲高い笑い声が心地よく重なり、男娼楼の最上閣にまで届いていた。
最上閣―――此処はまるで、この世の黎明郷そのものだ。
男は、己の措かれている立場を束の間忘れ、その美しき世界に魅入っていた。
遠近さえも狂わす贅を尽くした間取りと、皇国では極めて珍重される様々な調度品が、絶妙に配置されている。
踏むことも躊躇われる、これもまた優雅を極めた織物の上を進めば、遊郭街の灯りも届かぬほどの淡い闇に、薄く柔らかな帳が姿を現し、その向こうには――ここからでは窺えないが――間違いなく極上の褥が広がっていることだろう。
―――褥…
浮かび上がったその言葉に、記憶は一気に逆再生し……男は座り込んだ敷物の上に頭から突っ伏した。
ばふっと派手な音が響いたが、全く痛みを感じない。それで意識と現実が薄れてくれるならば、今は痛みにも縋りたいというのに。
胡座をかいたまま頭を床につけるという存外に器用な体勢のまま、男は声にならない声で呻いた。
―――どうして、俺が…
考えるのはそればかりだ。
男の名は祐といった。
純血の皇国人でありながら、帝国の生まれかと思われる程に彫りの濃い顔立ちをしている。良く言えば精悍そうな、悪く言えば野性味の強過ぎる濃い眉と厚い唇は、同僚に「くどい」と言わしめる程だ。がっしりした体つきで脂肪は殆どないが、生まれつきの骨太で、横縦ともに大きい。
元々は国護府(軍部)の軍人だったが、剣術の腕と家柄を評価され、皇国府の中でも栄えある宮廷庁近衛方に就くことと成った。
―――それが数月期前の話。
それから過酷な訓練に日々を割き、己の身に起きた突然の栄転にようやく実感を見出せ始めた頃…つまり今日になって、長官から直々に、皇帝陛下護衛の任を受けた。
長年近衛方に在していても、皇帝陛下を直接御護り出来る役目を賜われるのは、ほんの一握りの優秀な逸材のみ。
あまりにも早い昇進に誰より自分が驚きながらも、身の内から沸き上がる誇らしさに、身体が震えた。
―――何時如何なる時、どのようなものからも陛下を御護りし、陛下の為に命を散らそう。
そう改めて心に誓い、魂に刻んだのは、つい数刻前のこと。
もちろん、その気持ちに偽りなどない。混じりけの欠片も無い、純粋な忠誠心がそこにあるだけだ。
…あるだけ、だったのだ―――確かに、ほんの数刻前までは。
―――どうして、俺が…!
何度も己に問いかけた言葉に、答えなど返るはずもない。
それでも、一体どこで”間違えて”しまったのかと、原因を探さずにはいられないのだから仕方ない。
落ち着いて、冷静にと自分の意識に訴えかけ、今日我が身に起こったことを一から思い浮かべようとした祐の耳に、けれど無情な鈴の音が響いた。
―――太夫入室の合図だ。
「―――御目前に参ります」
甘やかに響くその声に、緊張が一気に背筋を駆け上り、祐はギチッと音をたてて硬直する。
襖が開く慎ましやかな音と、それに続く衣擦れに、そちらを見ることも出来ずひたすらに目前の織物を凝視していた彼の視界に、紅く広がった裾が映った。