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溟楼綺譚  作者: 上遠野
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「なら、どうしたのだ。飼い馴らしたのか?」

「…確かに貴族や豪族の中には、獣を愛玩する方々もいらっしゃいますが…普通食うや食われずの生活をしている平民は、不要な食い扶持は増やさないものです。…でも正直、その手も考えました。勿論、自分の糧さえない状況では、すぐに無理だと気付きましたが」

「そう、だな…」


何処か残念そうな顔の少年に、佐波は微笑んだ。


「結局、泣いているところを他の使用人に見つかってしまい、事情を察したその使用人が、獣を捌〈さば〉いてくれたのです」


その使用人こそ、今でも良くしてくれている自称・愛妻家の霈〈ひさめ〉だ。

面倒見の良かった彼は、何事も覚束無〈おぼつかな〉い佐波の手際をこっそり助けてくれることも暫しだった。

彼に見事に捌かれた肉を河原の石で焼き、そのまま一気に頬張ったら、また涙が出た。

美味しかった。とんでもなく美味しく、そして罪深い味がした。

泣きながら食べる佐波に、霈は笑いながら『命ってのは美味いだろ。俺たちの肉も、きっと美味いんだろうなぁ』と呟いた。

もしかしたら冗談のつもりで言ったのかもしれないその言葉に、けれど佐波は一つ大きなことを悟ったのだ。


「生きる為の殺生は、この世の理です。私たちは命を食べ、その屍の上に生きている。私はどこかで、それは人間だけだと思い込んでいたようなのです。でも、それはあの小さな獣にもいえることだった。昨日食べた獣の身内が、明日私を食べるかもしれない。その獣もまた誰かに食べられ、その誰かも、何かの糧になる。―――命は、循環している」


それを知った数年後、佐波は初めて人を殺し、仇を討ちにきたその息子も斬った。

命は循環している。命どころか、血も、肉も、業も、憎しみも、…この世のありとあらゆるものは、人を渡り、時を渡り、巡っている。

自分もその歯車の一つ。波に崩れゆく砂の城のように。風に散らされる名もなき花のように、いずれは消えゆくものの一つなのだと、佐波はその時悟ったのだ。


それを拙いながらも説明しようとした佐波に、霈は目を丸くして、次いで破裂したように笑った。

『ガキは、そんな小難しいこと考えてないでまた今晩の食事について考えてりゃいいんだよ。俺はもう手ぇ貸さねえからな』

そう言いつつ、次に山に入る時は、彼もこっそりついてきてくれた。

仕掛けを褒めてくれて、更に良く獲れるように改良してくれたりまでも。

見た目よりもずっと甲斐甲斐しい霈のお陰で、佐波はその辛い半年を越えられたと言っても過言ではない。

本当に、今に至るまでずっと、彼にはお世話になり続けている。


―――…霈さん……無事、だろうか。


ふと過った悪い考えに、佐波の表情に翳りが落ちる。

確か、臥龍城〈がりゅうじょう〉でサツキから聞いたところによれば、火事の後で3人の死体が河から上がったと。

その一つが、佐波と同じ豪族家の使用人だという話だったはずだ。

あの日。あの火事の晩に遊郭街を訪れたのは、三男坊の来栖〈くるす〉と、用心棒を含めた使用人数名。

上がった死体が、その中の一人である可能性は極めて高い。―――それが霈である可能性も。


考えた途端に、早く此処を出なければという焦燥に駆られて、心臓がどくんと脈打った。

それが無理でも、一刻も早く彼らの無事を知りたい。


―――そして、今私がどんな騒動に巻き込まれているのか、把握したい。


窪地の霧が晴れるように、久方ぶりに思考に結論を見出す。

次なる目的を見出し、生気を取り戻しかけていた佐波に、放っておかれていた少年が焦れた声を上げた。


「それで?」

「———え?」

「続くのではないのか?」

「…あ、ああ、いえ、…その」

「なんだ、終わりか?」


ガッカリした声で言われて焦る。

正直、これから先に急展開があるわけでもないが、それでも語り始めたのならば、話を閉じるのもまた語り手の仕事だろう。

佐波は、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「それ以来、私はもう一つ生きるのに大切な技術を得ました」

「肉を捌く以外にか?」

「はい。場合によっては何の効力も発揮しませんが、でもこの世を生き抜く為には必要な力です」

「ほう?」


再び興味を持ったのか、身を乗り出してくる少年に、佐波はにこっと笑った。


「人にお願いする力です」

「………なんだ、その他力本願な技術は」


至極不本意な顔をする少年に構わず、畳み掛ける。


「正確には、人に助けを求める力、でしょうか。それまで私は、頑なに己の力だけを頼りにしていました。見よう見まねで失敗したり、相手に不満も伝えられずにただ恨めしく思たりして……誰かに教えを請うことすらしていなかったのです」


貴族であった頃は、生きているだけで食事にありつけた。教えを請わずとも、周りが教えてくれた。

冷遇されていた佐波の場合でも、不自由のないようにと以織が気を配ってくれていたおかげで、これといって人に頼む事もせずに、自分の出来る範囲でしか行動してこなかった。

だから全く未知の世界でも、己の力を過信したまま、無茶を通そうとしていたのだ。

その事に気付くまでに、本当に沢山のしなくてもいい失敗を繰り返してきた。

知らないなら、尋ねればいい。教えを請われたら、伝えればいい。

自分に足りないものは、そういう対人技術だったのだ。


「確かに、どれほど頭を下げて願っても、素気無くされることもよくありましたが―――中には、面倒見の良い者が、仕方ないなりに手を貸してくれたりするものです」


佐波が率先して教えを請うようになってから、貰える仕事が倍増した。

習うより慣れろとはよく言うがまさにその通りで、毎日寝る間も惜しんで働いていると、次第に少しずつ要領を得るようになった。

そしてどうにか手順通りこなせるようになったある日、初めて夕餉を準備されたのだ。

感激のあまり泣きながら夕餉を頬張る佐波に、隣に座っていた使用人が笑いながら自分の皿から食事を分けてくれた。

それにも泣きながら礼を述べ、部屋に帰る前にも別の使用人が小さな乾菓子を手渡してくれて、また泣いた。


命は巡る。

血も、肉も、業も、憎しみも、全てこの世を飾る装飾だ。

辛いことも、悲しいことも、苦しいことも、寂しいことも、どれも避けては通れない。

でも世界は、同じように歓びも、笑顔も、温もりも、優しさも、すべてを包んでひた向きに循環している。


幸せだった。ただ生きている事が。———見知らぬ誰かとも、命で繋がっていることが。


「この世は、己の力だけでは及ばないことばかりです。ともすれば諦めてしまいがちですが……立場を変え、視点を変えてみれば、意外となんでもないことで躓いていたりするものかもしれません」


そう語り、笑顔で少年を見上げた佐波は、思わずその笑みのまま固まった。

少年が顎に手をやり、壁に穴が開けられそうな程の強烈な視線で、佐波をじっと見下ろしていたのだ。

その厳しい視線に、反射的に背中に冷や汗が浮かぶ。


「…ええっと、だから、ですね、その……」

「……面白いな」


慌てて言葉を紡ぎ直そうとした佐波に、ぽつり、と少年が呟く。

そしてその無垢な瞳で佐波を覗き込み、


「お前、遠回しに俺に説教をしたのか」

「っせ、説教であるつもりは…!」


ないが、確かに考えてみれば、これは説教ととられても仕方が無い話だった。

殆ど無意識だったが、先の少年の”弱音”があったからこそ思い出した記憶であることは間違いない。

雲上の貴族にたかが使用人風情が説教をするなど……どう考えても無礼極まりない振る舞いだ。

あわあわと焦る佐波に、少年は尚も強烈な視線を向け、


「説教だろう?己の力が及ばないならば、周りに助けを求めよ、と」

「い、いえ、そうではなくて、己の力が及ばない場合でも、やり方と考え方次第で道が開けると」

「やっぱり説教ではないか」

「ぐぅっ」


駄目だ、言い訳が何一つ思い浮かばない…!

言葉に詰まって口をぱくぱく開閉させる佐波に、少年は暫く厳しい顔で何事かを考えていたが、やがて重々しく口を開いた。


「良くもまぁ、下々の分際で……と、言うべきなんだろうが」


ふ、と笑う。それはそれは、花も綻ぶような麗しい顔で。


「よい。己の恥を引き合いに出してまで俺に説教をしようとした人間はかつて無いからな。お前が本気でそれを俺に伝えようとしたことは、確と受け止めよう」


お前は随分と肝が据わっているようだと呟き、ぽかんと見上げている佐波に、彼は再び重々しく問った。


「名は」

「へ?」

「お前の名だ」

「さ、佐波と、申します」


よい、と言われたということは、許されたということだろうか…と未だ己の現状を把握しきれていない佐波がオドオドと答えると、少年は首を傾げた。


「どのような字を書く」

「ええと…」


問われるままに口頭で答え様子を伺えば、彼は一つ大きく頷いて、


「佐波か…」


噛み含めるように小さく呟く。

そして、


「佐波。お前、俺の名を知りたいか」

「え、……ええっ?」

「なんだ、知りたくないのか」

「ええっと…おし、教えて、頂けるのですか?」


やはりオドオドと問うと、少年はどこか誇らし気に背筋を伸ばした。


「お前が知りたいというなら、教えてやる。説教の礼だ。ただし、知ったらもう後戻りは出来んぞ」

「ええ…?」


何だかわからないが、どことなく恐ろしい。

出来れば知らずに過ごしたところだが、少年のキラキラ輝く瞳をみるに、この流れで否定することはかなり難しそうだと悟る。


———それに…


今日ここでのことは、夜明けとともに覚める夢のようなものだ。

もうあと数刻もすれば、夜も薄くなる。

朝陽が連れてくるだろう現実世界で、彼と自分を繋ぐものなど何もない。


———だけど、もし目が覚めてもこの不思議な夢を覚えていられるなら…


自分はこの奇妙な出会いを忘れないだろう。

いつか見知らぬ空に、優しい貴族の少年の姿を浮かべて、懐かしがる日もきっと来る。

そう思うと、胸の中で灯りが瞬くような温かさを覚えた。


「…では、教えて頂けますか?」

「いいだろう」


佐波の言葉に、少年は微笑んで背筋を伸ばし、貴族の出自らしい厳かな態度で名乗った。


「夏西王梓劉〈かせいおうしりゅう〉」

「…はは」


その酷く現実味のない響きに、佐波は咄嗟に小さく笑った。

何せ、その名を知らぬ者はこの国には居ないと断言出来る”名”だ。

騙〈かた〉れば即刻死罪は免れぬ雲上の御方の名を、このように、堂々と拝借してみせる人間も相当に珍しいが、だからといってこの少年が、まさか本人であろうはずもない。

だからこれは貴族の少年にからかわれたのか、ただの悪ふざけだろうと軽く受け取って笑ってみせたのだが―――


「………………」

「………………」

「………………」

「…………え?」


直ぐにでも双眸を緩め「冗談だ」と返してくることを期待していた佐波の目には、やや視線を落とし、まるで身の丈に合わぬ衣装を恥じているかのように、苦々しく口を結ぶ少年の姿だけが映る。


「………………」

「………………」

「………………」

「……………っ」


それから更に数秒…それとも、数分刻んだだろうか。

何一つ変わらない少年の様子とは相対して、佐波は自分がつま先から徐々に凍っていくような恐ろしさを覚えて、慌てて己を保とうと一つ大きく喘ぎ、どうにかこの沈黙を埋めようと意味のない言葉を呟く。


「……………あの…………え……えっと………」

「………………」


自分でも嫌になるくらい恐ろしく鈍い思考が、それでも何が何でも考えたくなかった『可能性』に向かっているのをついには無視出来なくなり、佐波は長い思巡の末、現実と向き合うことになった。


「…………こ………こうて」

「俺は二度は名乗らんぞ」


沈黙を破り、拗ねたような顔でそう言って少年は―――皇国現皇帝陛下・夏西王梓劉〈かせいおうしりゅう〉は膝の上に頬杖をついた。








少年の正体は身も心も若い皇帝陛下でした。

皇国のトップが現在この話の登場人物の誰よりピュアだなんて…


次回も頑張ります!

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