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溟楼綺譚  作者: 上遠野
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「答えろ、何をしている」


注意深く問いかけて、彼――恐らく佐波とそう歳の変わらない少年――は佐波に乗り上がったまま、四方に簡易発火器を向け、辺りをざっと見回した。

灯りが揺れて、狭い四畳の部屋を照らす。

少年の視線に隙はなく、緊張に包まれている……のだが、足下を確認して飛び降りなかったところをみると、案外と抜けているのかもしれない。


―――それは「答えろ」と問い質しながら、未だに佐波の口を抑える手を退けないところからも垣間見える。


佐波が痛みやら何やらと戦ってもごもごしていると、ようやく少年は気付いたのか、ぱっとその手を佐波の口から外し、きまり悪気に、だがその鋭い眼光を緩めずに言った。


「……おい、ここで何をしていると聞いている」

「…と、とりあえずど、退いて、く、ぐぇ…ぇえ!」


下さい、と懇願しようとしたと同時に男の空いた手が痛めている左肩を押した。

悲鳴も途切れる激痛に全身を強ばらせた佐波に、少年は火に触ったような機敏さで佐波の肩から手を退かす。

そして尚も歯を食いしばり呻く佐波に、少年はようやく自分が乗り上げているのが病床の人間だと気付き、慌てて距離を取った。


「お、お前…な、なんだ? その、怪我は――」


吃りながら、少年は恐る恐る簡易発火器の炎を佐波に向けた。

少年の目には恐らく、頬に大きな湿布を貼り、額を隠すように包帯を巻かれた佐波が脂汗を流しながら苦しんでいる姿が映っていることだろう。

事実佐波はこの上なく苦しんでいた。

痛い痛いとは思っていたが、実際触れられると想像以上の激痛だ。

側の全く見知らぬ少年――しかも天井から降って来た挙げ句に痛みの原因ともなった不審者を気に掛ける余裕もなく、うんうんと唸り痛みを紛らわせようとする佐波に、彼は恐る恐る近づくと、じっとその顔を覗き込んだ。


「…お前、その怪我はどうした。随分、手酷くやられているな…。……い、痛む、のか?」


酷くぎこちなく言って、少年は佐波の湿布を貼った頬に手を伸ばした。

が、佐波がビクッと震えると、慌ててその手を引っ込める。

そしてわたわたしながら懐から小さな皿を取り出すと簡易発火器を一旦閉じ、中の油を少々皿に注いで、再び懐に手を入れて懐紙を取り出すと、今度はそれで紙縒[こよ]りを作った。

紙縒りを油に浸して、もう一度簡易発火器を付け、そこから火種を貰うと、慣れた様子で部屋の隅に置く。

一連の流れを手際良くこなした少年がやっと佐波に向き合い直す頃には、佐波の痛みもいくらか緩和されてきていた。


ほの明るくなった部屋で、何度も瞬きながら痛みと明るさに慣れて来た佐波は、ようやくこちらを見下ろしている少年の姿をまともに見て―――瞠目した。


ほの灯りに照らし出される少年は、高級な布地の、上品な衣装に身を包んでいた。

天井裏を這って来た時に幾分か汚れはしているのだろうが、それでも一目で分かる一級品だ。

加えてその容姿は、どこかあどけなさを残す柔らかい美貌。

長い睫毛に縁取られた瞳と、型の良い眉。秀麗な鼻筋に、堅く結ばれた薄紅の唇。

姿だけ見ればまるで御伽噺の皇子のようなこの少年が、何故に遊郭(多分)の天井から、しかも佐波のいる部屋に降り落ちて来たのか、その関連性が全く想像出来ない。

唯一分かることは、恐らく少年が、何処かの貴族の子息か何かであることのみで―――


「………お前」


一瞬痛みも忘れて少年を凝視していた佐波に、その視線を感じ取った少年が、どこか怯えたように言葉を発した。


「お前……なんでここにいる? ここは…空き部屋じゃあ………ない、んだな」


最後は自分を納得させるように呟き、頷く。

確かにどう見ても佐波が先に寝ていたのだから、空き部屋ではない。

だが、その言い様に佐波は内心首を傾げつつ、息を整えて声を上げた。


「…あなたは――」

「…俺のことは、どうでもいい。質問に答えろ」


少年が怯えを拭い去った表情で、佐波を睨みつける。

一目見て病床と分かるであろう自分の何に警戒しているのか分からず、佐波はかなり困惑しながらも口を開き、


「…私、は…ここで…………ええっ…と………………よ、養生、して、ます」


随分拙〈つたな〉い説明をした。

考えてみれば、自分のこの状況を一口に説明出来る言葉など見当たらない。

養生というよりは、事実上の軟禁だろうとは分かっているのだが、それを口にすれば少年が”何故〈なにゆえ〉”を問ってくるだろうことは容易に想像出来る。

彼が何者かも分からない状況で、己の不安定過ぎる立ち位置を一から説明する気概も気力も佐波には無かった。


そんな佐波のあまりにも『見たまま』の説明に、少年は愁眉をしかめたが…やがてふと、気付いたように声を上げた。


「お前…………ああ、そうか……その怪我、”仕置き”を受けたのか」

「…?……しお」

「ああ、そうだな、ここは遊郭で……だから……」


少年は一人で頷き、険しかった表情を緩やかに変化させ……戸惑う佐波に、憐れみの視線を向けた。


「遊郭〈ここ〉では掟を破った者に暴行を加えると聞く。お前も、そうなのだろう?」

「え…?」

「可哀想にな。…どこの世も、侭ならぬものだ」


勝手に結論を出したらしい少年は、ここに来て初めて薄らと笑みを浮かべ言った。

その笑みは控えめで、どこか自嘲めいている。―――皮肉気…といえば分かり易いか。

歳の頃は自分とそう変わらないであろう少年のその影のある笑みに、誤解を解く機会が失われつつあることにも気付かず思わず見入っていた佐波は、次に少年が発した言葉にようやく我に返った。


「夜明けまでにはここを発つ。それまで、場所を借りるぞ」

「はぁ…………え、っええ…っ」

「大きな声を上げるな」


掠れた悲鳴を上げた佐波をじろりと睨み、少年は小声で続けた。


「別に、お前に話し相手になれとも、その布団を寄越せとも言わん。お前はそのまま休んでいればいい。俺は俺で、勝手に休む」


言いつつ片膝を立て、自分を守るように身を丸めた少年に、佐波は思いっきり困惑した。


―――休めと言われても…


この状態では眠る事は疎か、目を閉じることさえ憚〈はばか〉られる。

大体こんな夜更けに天井から身も知らぬ貴人が降って来たというのに、どうして平然としていられようか。

せめて少年の身元と、ここに――しかも天井から――突如降ってこなけらばなからなかった事情ぐらいは知っておきたいと思うことは、決して間違いではないはずだ。


―――それに…


佐波は意識して耳を澄ませたが、やはり遠くから地鳴りのように響く宴の音しか聴こえてこない。

てっきりこの部屋の側に監視役がいて、中の様子を聞耳立てて伺っているとばかり思っていたのだが…

あれだけ物音をたてたというのに、誰かが部屋の異変に気付いて入って来る様子はない。

ということは、見張りはいないのだろうか…?


―――いや、それもおかしな話だ。いくら私が満足に動けぬ身とはいえ、”囮〈おとり〉”から目を離すとは考え難い。では、この事態に誰も気付いていないのか…?


それもおかしな話だ、と思いつつも、今そのようなことを考えていたところで埒が明かないのも事実。

言い得ない不安を覚えながら、兎に角まずは目先の脅威だ、と意識を無理矢理現状に戻し、佐波は目前の少年を見据えた。


―――刺客…とかではなさそう、だけど…


少年が落ち着きなく壁のあちこちに視線を這わせているのをいいことに、じっと目を凝らし、観察する。


―――この怯えた様子…むしろ…


「……誰かに、追われている、のですか…?」


もの凄く悩みながらも、沸き上がる疑問と少しの好奇心に勝てず、佐波はおずおずと小声で問った。


「…………」


返って来たのは沈黙。

ぴたりと忙しなく室内を見渡していた視線を止め、彼はゆるりと、恐ろしいものを見る様な目で佐波を見返してきた。

何か言いた気に震えたその唇に気付いて、静かに言葉を続ける。


「あの、でしたら……遊郭の治安を守る”回り番”という組織がここに―――」

「あいつらなど役に立つものか」


小さく、しかしはっきりとした口調で少年が呟いた。頬に、あの笑みが浮かぶ。


「俺ですら、奴らをどうすることも出来んのだ。ましてや、遊郭の番犬など」


く、と苦虫を歯で押しつぶしたような嗤いを零し…重たい息をつく。


「…本当に、息が詰まる」


それは少年が心から現状に苦悩していることを伺わせる、酷く疲れた声だった。


―――これ以上深入りしてはいけない。


直感はそう告げているのに、どうしてだか佐波は、この少年の苦悩にほんの少しだけ触れてみたくなった。

戯れに触れていいものではないことは分かっている。だが、この状況下では、逆に触れないでいることの方が難しい。

躊躇いながらも、佐波は声を押し殺して痛む身体をほんの少し少年の方に向かせ、尋ねた。


「…なぜ、追われているのですか?」

「………質問されるのは嫌いだ」


が、素気無くぷい、と少年にそっぽを向かれ「おや?」と首を傾げる。

質問されるのは嫌い、という割には、その態度はもっと聞いてくれと言わんばかり…つまり幼い子供が拗ねるような仕草だった。

さて、どうしたものか…と思案して黙り込んだ佐波に、しばらくは無言を決め込んでいた少年も、徐々にちらちらと佐波の様子を伺うような視線を向け―――やがて、そっぽを向いたまま、ぽつりと呟いた。


「…痛むのか」

「…え?」

「俺がさっき…」


押さえたところだ、と小声で囁く少年に、佐波はぽかんとした。

そんな佐波に、少年は目を合わせないように床や壁に視線を向けながら、不満そうに言う。


「…俺だって、お前が…怪我をしていると、知らなかったんだ。知っていれば…」

「―――知っていれば…?」

「ふ、踏んだり、押したり……しなかった」


何処か恨めし気に、しかし罪悪感の滲んだ声でそう呟かれて、佐波はようやく少年のこの言動の理由に辿り着いた。

内心「ああ…」と納得しつつも、目の前で不貞腐れた様子の少年の姿に、少しだけ意地悪な気持ちがもたげる。

思わず微笑みそうになる頬をぐっと堪えて、佐波は真顔を保った。


「…大変、痛かったです」

「…そ…そうか」

「泣き叫びそうになりました」

「…………………そうか」

「死ぬ程痛かったです」

「………………」


少年の表情が歪む。癇癪を起こす一歩手前の子供のような表情だ。

身の内に沸き上がる感情を言葉にすることが出来ず戸惑い苛立つその様子に、佐波は己の大人げない意地悪を少しだけ反省した。

そして、表情を和らげて言う。


「でも、もうそんなに痛くないですよ」

「……………」

「まぁ…さすがに吃驚はしましたが…」

「……………」

「………あの………」

「……………った……」

「え?」

「悪かったと、言っている!」


何故だか涙目で睨まれながら謝罪されて、佐波は一瞬思考が停止した。


正直、まさかこの貴族然とした少年から謝罪の言葉が飛び出すとは思っていなかったのだ。

落ちぶれはしたが、上級貴族の子女として生を受けた佐波だから、雲を突き抜ける程に高い貴族の気位は良く識〈し〉っているつもりでいた。

彼らは家臣は元より、一族の者にすら頭を下げる事は無い。それ以下など、目にも入らない…入れる価値のない存在。

そんな者達に自ら声をかけたり…ましてや謝罪の言葉を口にするなど、一体どれほどの屈辱か。


―――心根が直〈す〉ぐ、なのか…


貴族だけど―――貴族だからこそ、世の習いに疎いのだろう。もしかしたら、相当の箱入り息子なのかもしれない。

そしてそれだけではなく、彼本人の性質が生まれもって素直なのだ。

そうでなければ、この年齢〈とし〉でまで貴族社会に在って、斯様〈かよう〉なまでに無防備でいられるはずもない。


とはいえ、家督を継ぎ、大人になれば―――貴族社会に溶け込んでしまえば、きっと彼も今日の日のことを激しく後悔する時がくるだろう。


―――その時に、この記憶が故に人格が歪むようなことにならなければ良いのだが…


佐波がぼんやりと感慨に耽っている間に、肩を震わせていた少年はやがて落ち着きを取り戻すと、じわりと顔を上げた。

彼は薄明かりの中でも分かる程に赤くなった顔を隠すように、俯いたり横を向いたりを繰り返しながら、やがて意を決したように佐波を見た。

そして、


「……追われている、わけではない。…逃げて来ただけだ」


ぽつり、ぽつりと、不服そうに呟く。


「ここへは、家臣の付き合いで…よく連れてこられるのだ。…要は体のいい口実だ。遊びたいのは家臣〈あいつら〉だけで、俺はその隠れ蓑だ。…情けないだろう。主は俺なのに、俺にはあいつらを御すことが出来ない」


―――貴族の子息かと思っていたが…もう家督を継いでいるのか…


苦悩が浮かぶその口調に、佐波は少年に対する見解を改めた。

この若さで家督を継いだのであれば、それは苦労しているだろう。

大貴族ともなれば、家長一人で家の全てをを把握し、采配を下すことはほぼ不可能だ。

場合によっては古くから仕える家臣の方が熟知している事柄も多い。

家の格が上がれば上がる程、家長であろうとも、家臣に無断で資産を動かしたり名義を動かす事は難しいものだ。

主とはいえまだ幼さの残るこの少年が、恐らく永きに渡り家を仕切って来た家臣達をすぐに従わせるには無理があるのだろう。


―――なるほど。それで…


つまり少年は、遊郭で遊びたい家臣に巻き込まれてここに通っているが、色んな柵〈しがらみ〉に辟易してここに逃げてきた、ということか。


さすがに…なぜ『この部屋』目掛けて来たのかまでは、想像がつかないのだが…。






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