Prince has wedding blues.
「ねぇユリウス。そろそろって言うかいい加減、会わせてくれても良くなぁい? ……ユリウスってば。ねーぇ、聞いてる? おーい、ユリウ……」
アルディーンが言い終わる前に、彼の手元にペーパーナイフが突き刺さった。アルディーンは、あっれ〜このペーパーナイフ刃物だっけ? と言おうとしたが、ユリウスの目が笑っていなかったので口を噤んだ。
「申し訳ありません殿下。手が滑りました。」
すごい勢いで飛んできた上に、書類はきちんと避けて突き刺さったことを踏まえると、絶対に手が滑ってなどいない。確実に狙ったはずだ。アルディーンは一瞬固まったものの、再び笑顔になって口を開いた。
「どうしたの? 動揺しちゃうくらい僕に会わせるの嫌?」
「……いえ、そういうわけでは。」
「だったら良いでしょう? 結婚式には行かせてもらえなかったし、どのパーティーにも全然連れてきてくれないし、かと思ったら最近溺愛してるって噂だし!」
「…………。」
「気になるなぁユリウスの奥さん。会ってみたいなー!」
「…………。」
「あーあ、気になって仕事が手につかないなー。この調子じゃ絶対終わらないなー。あー、気になるなー!」
無言でアルディーンの元へ近づいたユリウスは、突き刺さったままのペーパーナイフを引き抜いた。
「殿下? いずれご挨拶させていただく機会もあるでしょうに、ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃーうるさいですよ。口を動かすのではなく手を動かしてください。」
「すみませんでした。」
ユリウスが手に持っているのはペーパーナイフのはずなのに、本物の刃物を向けられているような気がしてきて、アルディーンは大人しく従った。
……ように見せかけて、諦めないのがアルディーンである。しばらくは大人しくしていたが、ユリウスが忙しそうな日を今か今かと待ち続けた。
「はじめまして。貴女がユリウスの奥方で間違いないかな?」
その日、アリアはいつものように義母とお茶する為に庭へ来ていた。背後から足音がしたので振り向くと、そこには金色の髪を揺らし、輝かんばかりの笑顔を向けてくる少年が。記憶が間違っていなければ、この方は……そこまで考えると、アリアはサッと体の向きを変え低頭した。
「お初にお目にかかります。ユリウス=マルテルが妻、アリアにございます。」
「あー、その様子だと、僕が誰かわかっちゃったんだね?」
「……気付かずにいる方が、よろしいでしょうか。」
「うーん、そうだね、できれば。貴女が気負わずに、顔を見て話ができたらなって。ユリウスの同僚と話す感じで。……駄目かな?」
「……いいえ。ですが、殿下とお呼びすることはお許しいただけるでしょうか?」
アリアは顔を上げ、微笑んだ。
「ありがとう。……僕のことは、好きに呼んでくれて構わないよ。」
許可を得られたところで、アリアはアルディーンに席に着くようすすめ、紅茶を出した。
「今日はどうしてこちらへ? 呼んでくだされば、こちらから出向きましたのに。」
「いやぁ、なかなかユリウスの許可がおりなくて。とっても愛されているんだねえ。」
「そ……それは、夫がご無礼を。」
ユリウスの許可とは何だろうか。アルディーンが主人でユリウスは従者では…? アリアは頭が痛くなりそうな予感がしたので、それ以上は考えなかった。
「いいんだよ。それほど奥方のことを大事にしているってことでしょう。素敵な夫婦だね。……憧れるなあ。」
「……殿下もご結婚なさるのですか?」
「どうして分かったの?!」
憧れる、という呟きは、自分もそうなりたい、と聞こえたのだが、自覚がないのだろうか。アリアは曖昧に微笑んだ。
「……セイルート王国から、王女が来られるんだけれど、うまくやっていけるか心配で。」
セイルート王国は、ラカント王国の西隣にある国だ。国境を巡って小競り合いが続き、十年前に休戦協定を結んだままになっていたのが、最近ようやく終戦協定を結ぶに至ったはず。……つまり、もしかして。
「殿下と王女様のご結婚が、休戦の条件なのでしょうか?」
アルディーンは顔を歪めると、頷いた。
「国の為に会ったこともない男のもとへ、それもかつての敵国へ嫁がなくちゃいけないなんて、王女がかわいそうで……」
人の痛みを想像して、一緒に心を痛められるというのは素晴らしいことだろう。しかし、それだけではこの先、この方は潰れてしまうのではないだろうか。彼は将来、国王になるのだから。
そこまで考えて口を開こうとしたアリアだったが、すんでのところで堪えた。いくら気負わずに話して欲しいと言われたとはいえ、相手はこの国の王子である。こんな事を言っては不敬だととられるのではないか……と思ったが、アルディーンの辛そうな顔を見て、アリアはあれこれ考えるのをやめた。
「夫となる方からかわいそうだと思われながら接される方が、かわいそうですわ。」
アリアの言葉を聞いて、アルディーンは目を見開いた。
「王女様はきっと、覚悟をお決めになって、こちらへ来られるのでしょう。でしたら、殿下はどんと構えて迎えて差し上げるのがよろしいかと。一緒に悲しんでいるだけでは、前に進めないのではないかと思います。……素敵な夫婦になりたいのでしょう?」
アルディーンは泣きそうになったのを堪え、何度も頷いた。
「ユリウスってばこんなしっかりした奥さんがいて、幸せ者だねえ。」
にこにこしているアルディーンを見て、不敬ととられず言いたかったことが伝わったようだとアリアは胸を撫で下ろした。
「ねえねえ、結婚した時の話を聞かせてくれる? 最初、本当に結婚したのか疑いたくなるくらい、ユリウスがいつも通りだったから気になってたんだよね。」
「あ、あら、そうだったのですか。」
調子を取り戻したアルディーンはそれはそれは答えづらい質問をよこした。アリアはどう答えたものかと頭を悩ませながら、笑顔は失わないようにするのに必死だった。
* * *
「アリア!!」
「まあ、ユリウス様。今日は随分と早いのですね。」
慌てた様子で庭にやってきたユリウスだったが、アリアはきょとんとした顔で夫を迎えた。
「……殿下、は…?」
ユリウスの呟きは耳をすまさなければ聞こえないものだったが、きちんと聞き取ったアリアはそっと微笑んだ。
「少し前に戻られましたよ。そろそろユリウスが来る気がする、と仰って。」
「!」
「殿下は結婚を前に、不安になっておられたようでした。」
「え……不安、ですか?」
「はい。殿下にとって一番身近なユリウス様が、結婚当初幸せそうに見えなかったようで……三年の間になにがあったのか、気になっているご様子でした。」
「……それは。」
アリアは俯いてしまったユリウスの元へ近寄ると、頰に手を当てた。殿下は決して仕事をサボりに来たのではないとフォローするつもりが、どうやら言葉を間違えてしまったらしい。アリアは心の中で反省した。
「そんな顔なさらないで。」
ユリウスはアリアの手に自分の手を重ねた。泣きそうな顔をしている自覚はあったが、どうしようもなかった。
「結婚してから最初の三年間は、二人の秘密なんですとだけ申し上げました。そうしたら、まだ不安そうなお顔をされていたので……始まりは政略結婚でしたが、今は毎日とても幸せですよと付け加えておきました。まずかったでしょうか?」
「いいえ……いいえ。」
ユリウスはアリアを抱き締めると、耳元で囁いた。
「ありがとうございます、アリア。わたしの可愛い人。」
この人はきっと、いつまで経っても初めの三年に負い目を感じるのだろう。だったら私は、その必要はないと言い続けよう。愛しい貴方と生きられる「今」があるから、私は幸せなのだと。
そんな風に思いながら、アリアはそっとユリウスの背中に手を回した。
「殿下にも、幸せになっていただきたいですね。」
「……アリア? わたしの腕の中で他の男の話をするとは……覚悟はよろしいですか?」
「え……え? いえ、あの、ユリウス様…?」
「さて、寝室へ入ったら人払いをせねばなりませんね。」
「ちょっと待って! 待ってください!! 寝室へ行くのですか? 今から?! ……みんな目を逸らさないでユリウス様を止めて! 止めてったら〜!」
笑顔のユリウスが騒ぐアリアを横抱きにして歩く姿が目撃されたが、使用人達は皆生暖かい目で見て見ぬ振りをしたそうである。




