第3話 サディア③
貴族学院に入学してしばらくして。
わたしは誤解を解くことも諦め、無視されたまま、ただ学業のためだけに、貴族学院に通い続けた。
一人の友人もできず。
ただ遠巻きにくすくすと笑われて。
荷物を隠されるとか、ワインをかけられるとかの目立つイジワルはされなかったけれど、無視されるのは日常。陰であることないこと言われるのも日常。
元凶であるエリオット様と距離を置こうかとしても、無邪気にあちらから声をかけてくる。
これがいっそわざとであれば、わたしだって殴ってでも距離を置く。
だけど、そうじゃない。
天然の、天使のような、無邪気であるが故に、他者の噂話なんて気にもしないエリオット様。
「おーい、サディア~。一緒にランチでも食べよー」
「……遠慮いたします」
断るわたしのほうが悪者みたいに思われる。
悪者であるだけならいい。
エリオット様からのお誘いを、わざと断り、エリオット様の気を引こうとするあざとい女。
それが、わたしの、周囲からの評判。
ああ、やってられない。馬鹿々々しい。
そうして今日もあちらこちらで陰口を言われるのだ。
令嬢だけではなく、何故だか令息たちからも。
借りた本を返そうと、その日の放課後わたしは教室から図書室までの廊下を急ぎ足で歩いていた。すると、曲がり角の向こうから、大きな声でしゃべっている令息たちの声が聞こえてきた。
「ホント厚顔だよなー、ラズダン伯爵令嬢ってさー」
「なになに? どーしたんだよ?」
「いや、噂だけどさ。ラズダン伯爵令嬢ってさヘンストリッジ伯爵令息の婚約者を気取っているんだってさ」
「うっそだろ? ラズダン伯爵令嬢って特に何のとりえもなさそうな平凡な令嬢だろ?」
「いやいや、彼女、成績はいいよ? 学年トップとか二位とか、三位以下に落ちたことない」
「頭がいいからって、美男には釣り合わないと思うんだけどなー」
だよなー……と笑う声が、廊下の向こう側から聞こえてくる。
わたしは婚約者を気取ったことはない。なのに、勝手に……。
わなわなと、体が震えそうになる。
硬直した足が動かない。
こんなところで立ち止まっているくらいなら、怒鳴りこんで誤解だと言うべきだろうとは思う。
だけど、怒鳴りこんだとしても、能天気なエリオット様やご令嬢方の勝手に歪まされた話によって、どのみち誤解は解けないのだ。
似たようなことは何度も繰り返した。
誤解が解けそうになったこともあった。
だけど、結局エリオット様が無邪気にわたしの努力をぶち壊す。
天使のような笑顔。
だけど、わたしにしてみれば、悪夢のようなものだ。
もう嫌だ。
いっそ、学院など辞めて、どこか遠くに行こうか……。
借りた本を胸にギュッと抱きしめる。そうしないと涙があふれてしまいそうだから。
でも……、そのとき。見知らぬ令息が言ってくれたのだ。
「お前たち、単なる噂を真に受けて、見知らぬご令嬢を貶めるのは止めたほうが良いぞ」
良く通る低い声。誰だろう……。
「何だよ、ロバート。いきなり口出して」
「なんだよじゃない。勝手な噂を広めるのは、貴族としてはどうかと思う」
ロバート……様。それが、今の声の人?
わたしはそっと廊下の角から、令息たちのほうを覗いてみた。
短い黒髪の姿勢の良い姿。まるで騎士様のようにすっと立っている。あの方がロバート様……。
「俺はラズダン伯爵令嬢のことは知らないが、成績上位をキープしているのだから相当な努力家なのでは? そういう令嬢のことを噂とはいえ悪く言わないほうが良いと思う」
「へーへー。お前は真面目だなあ、ハードウィック子爵令息サマは」
ロバート様。
ハードウィック子爵令息。
わたしはその名前を、胸の中で何度も繰り返した。
何度も何度も。
どきどきしながら。
わたしを庇ってくれた人なんて、いない。
みんな面白がって勝手な噂話をして、勝手にわたしを睨んで。
誰も彼も、そうでしかなかったのに……、ロバート様……ハードウィック子爵令息は、違った。
どきどきはタウンハウスに帰ってからも収まらなかった。
夜になってベッドに横になり、朝になって、起きて食事をしたときも。
ずっとずっと、わたしはロバート様……ハードウィック子爵令息のことばかりを思っていた。
せめてお礼がしたい。
庇って下さって、ありがとうございます。
それを伝えるだけでいい。
評判の悪いわたしが、ハードウィック子爵令息にまとわりついたら、今度はハードウィック子爵令息にどんな噂が降りかかるかもわからない。
お礼を言うだけ。
それだけ。
どきどきしながら学院に通い、廊下を無意味にうろついたり、図書室に向かったり。
どうにかして、お会いできないか。
お礼ができないか。
そんなことを思い続けて十日。
今日もお礼が言えないかな……と思いつつ向かった昼食時の学生食堂。食堂には、個室、高位貴族専用、下級貴族専用と部屋が分かれている。
高位貴族専用のテーブル席は空いているが、下級貴族用の席はいつも込み合っている。
今日も、なんとか席を確保して、わたしはサンドイッチを摘まんでいた。
すると……。
「すまない、相席してもよろしいか? どこも席が空いていなくて……」
かけられた声に顔を上げてみれば……、ロバート様……ハードウィック子爵令息だった。
「は、はいっ! どうぞ。あ、あの、どうぞ……」
「ありがとう、すまない」
「いえ……」
わたしと一緒に食事をとるなんて奇特な人はいないし、エリオット様はご令嬢たちに誘われて、すいている高位貴族席で食事をとっている。
だから、わたしの座っている二人用のテーブル席の椅子の一つはいつも空いている。
すとんと椅子に座ったロバート様……ハードウィック子爵令息。きょろきょろしているところ。
「あの、どなたかとご一緒にお食事ですが?」
「ああ。席がないので、友人が二人分注文をして、俺が席を確保と手分けをしたんだが……」
「では、わたしはすぐに食べ終えて、こちらの席もあけますので」
急ぎ、サンドイッチを口に放り込み、そして紅茶を飲む。
「いや、急がせるのは申し訳ない。あなたが食べ終わるまで、待つからいいよ」
「いえ……、お礼と思って下さい」
「お礼?」
きょとんと首を傾げたハードウィック子爵令息。ああ、わたしのことは知らないんだ。
「……わたしはサディア・マーガレット・ラズダンです。先日は無責任な噂話を広めている令息方を注意してくださって、ありがとうございました」
頭を下げて、言ったら。ロバート様……ハードウィック子爵令息はきょとんとしていた。
しばらく黙って、考え込んでいる。
その間に、わたしは紅茶を飲み終わり、立ち上がった。
「あの……忘れているのなら、それでも構わないんです。わたしがあなたにお礼を言いたかっただけなので」
きっとあの出来事は、ハードウィック子爵令息の記憶に留まらない程度のことだったんだ。
そう思うと、少しだけさみしくなった。
お礼を、言えればそれでよかった。そのはずだったのに……。
わたしは立ち上がって、サンドイッチと紅茶が乗っていたトレーを持って。
立ち去る前に、言ってしまった。
「あの……、おぼえてはいないでしょうが『単なるうわさを真に受けて、見知らぬご令嬢を貶めるのは止めたほうが良いぞ』と言って下さったこと、嬉しかったんです」
「あっ!」
告げたら、ハードウィック子爵令息は思い出したみたいに、声を上げた。
「あ、ああ……、あの……」
「ありがとうございます。あなたにとっては大したことのない言葉だったのかもしれません。でも、わたしにとっては、とても……とても、嬉しかった」
ぺこりと頭を下げて、足早に去った。
思い出してもらえた。
お礼の気持ちは伝わっただろうか。
きっと……。大丈夫だ。伝わった。きっと。
ただそれだけで、わたしの胸の中はいっぱいになった。
嬉しくて、泣きたくなるくらいに嬉しくて。
今日は何て良い日なのだろうか。
一人で食事をしていてよかった。
夜になるまで、夜になっても、わたしは今日の出来事を繰り返し思い出してしあわせな気分に浸ったのだった。




