第2話 サディア②
「ねえ、どうしてあんなことを言ったの?」
恒例のヘンストリッジ伯爵家とのお茶会を終えたその夜、わたしはお母様からぐちぐちと小言を言われた。
「お母様、あんなことって何?」
分かっていて尋ねるわたしは小賢しいのかもしれない。
だから、かわいいなんて言われないのかもしれない。
「『たくさんの、エリオット様と釣り合う外見の素敵なご令嬢たちから、求婚されるかもしれませんね』なんて……。まるであなたがエリオットと釣り合わないと言っているようなものじゃないの!」
お母様はお怒りになる。だけど、わたしとエリオットは外見的には不釣り合いでしょう? だって、ただの一度だって、わたしはお母様に外見を褒めらたことはない。かわいいと、言ってもらえたことなんてない。
「事実を述べただけです。わたしはごく普通、ごく平凡。エリオット様は天使のような顔の美少年。数年もすれば、美青年に成長するでしょうね」
「でもあなたは賢いわっ! 同じ世代の令嬢たちと比べてマナーだって学力だってなんだって!」
「……わたしの努力を認めてくださってありがとうございます。ですが、客観的にお考え下さい。数年後、絶世の美男となったエリオット様の横にわたしが立てば、他のご令嬢からの非難を浴びます」
「そ、そんなこと……」
ないわと、お母様は断言しなかった。いや、できなかった。
お父様も渋い顔だ。
「ちょっと考えてみただけでもわかります。数年後、エリオット様はわたしより一年先に貴族学院に入学する。その一年間、エリオット様はご令嬢からもてはやされるでしょう。そして一年後、わたしが入学する。エリオット様の幼馴染ということで、注目を浴びて。その結果、どうなるか、ちょっと考えれば分かるでしょう?」
お母様は「そ、それは……」と言葉を濁す。
お父様は無言。
お二人が言わないのなら、わたしがはっきりと言ってあげる。
「『まあ、あのような平凡なご令嬢がエリオット様の幼馴染とは……』ですとか『幼馴染という関係に甘えて、エリオット様の邪魔をするなんて、ラズダン伯爵令嬢はずいぶんと厚顔ですわね』とかでしょうか?」
せめて、わたしのほうが年上なら。貴族学院に入学後、試験を受けまくって、飛び級をして、エリオット様が入学するまでに最上級生になるか、卒業するかするのに。
だけど、わたしはエリオット様より一年後に入学する。
その一年間で、どれだけエリオット様がご令嬢方に好意を持たれるか。
それだけならいい。
でも、あの天使のように無邪気なエリオット様は絶対に言う。
「幼馴染のサディアが一学年下に入学するんだ。みんな仲良くしてね。将来ボクのお嫁さんになるかもしれない女の子なんだから」
本当に邪気などなく、素直に。
幼馴染ってどんなご令嬢? なんて、多数の人たちから聞かれて、素直に「母様がお嫁さんにって言った子だよー」とでも答えるんだろう。
答えた結果、わたしがご令嬢たちから悪感情を持たれるであろうことも考えずに。
口止めしたってきっと無駄だ。
だって、エリオット様は、わたしとエリオット様が幼馴染であるということが、やっかみに対象になるなんて、欠片も思っていない。ましてや母親から「お嫁さん」になんて言われたとすれば、婚約者だと誤解されてしまうかもしれないのに。
お母様は「サディア考え過ぎよ」と言うが……、その声は、後ろめたさを含んでいた。
わたしの予想は大げさでも考えすぎでもない。それは、わたしが入学してすぐ証明された。
わたしが十六歳になって、貴族学院に入学してすぐ、入学式の後に、その式場を出た途端に、大勢のご令嬢に囲まれた。
「あなたがサディア・マーガレット・ラズダン? エリオット・ウィリアム・ヘンストリッジ伯爵令息の幼馴染の……」
前に五人。右側に三人、左側にも三人。数は分からないけれど、わたしの背後にも何人ものご令嬢がいるのだろう。
入学式の後、わたしは大勢のご令嬢方に囲まれた。
じろじろと見定められる。
前にいる五人のご令嬢が誰だかは知らないけれど、わたしの顔を見て、ふっと笑った。
見下す視線。
クスクスと笑う声。
「エリオット様には似合わない平凡なお顔ね」とか「そうね、鏡を見たことがないのかしら」とか、小さな声で囁かれる。
ああ……、嫌だ。これが嫌だから、エリオット様なんかとは距離を置きたかったのに……。
わたしはため息を押し殺して、ご令嬢方に告げる。
「確かにわたしはサディア・マーガレット・ラズダンですが、エリオット・ウィリアム・ヘンストリッジ伯爵令息の幼馴染ではありません」
「は?」
ご令嬢方の顔が、奇妙に歪む。何を言っているんだコイツという顔になる。
「ラズダン伯爵家とヘンストリッジ伯爵家は、領地が隣接しております。故に、それなりの交流がありますが、親同士が親しいというだけで、わたしはヘンストリッジ伯爵令息との個人的な交流は一切しておりません」
入学すれば、エリオット様の顔面に見惚れたご令嬢に問い詰められることは予想済み。
だから、返答の仕方も何度も考えていた。
親同士は親しい。
だけど、本人同士は大した交流はない。
嘘ではない。
わたしから、エリオット様に会いたいと言ったこともないし、親しくしたつもりはない。ただ、親の後について、ご挨拶を差し上げただけだ。
「親同士があいさつのためにお茶会などで顔を合わせる際に、わたしも幾度か同行させてもらいました。その際に確かにヘンストリッジ伯爵令息とも顔を合わせたこともございます。ですが、幼馴染と明確に述べられるほどの個人的交流は一切しておりません」
言い切って、逃げようとしたのに。
「でも、エリオット様は言ったわ。『サディアはボクの婚約者候補なんだ』と」
ご令嬢の一人が悔しげに言う。
「そんな事実はありません」
わたしは淡々と答える。
「それじゃあ、エリオット様が嘘つきだというの⁉」
キイキイとした金切り声。ああ、うるさい。
「幼い頃に、親同士が挨拶程度に『将来、息子のお嫁んさんに』とか『大きくなったら娘の婿に』なんて言葉を交わすのは、社交辞令というものです」
「社交……辞令……」
「ええ。時候の挨拶と変わらない。ヘンストリッジ伯爵令息は素直な方ですので、大人同士の挨拶の会話を、単なる挨拶とは受け取らなかっただけでしょう。当然、ヘンストリッジ伯爵家側からラズダン伯爵家への正式な婚約の打診もございません。わたしからそのようなことを申し上げたこともございません」
わたしの母親は、未だエリオット様とわたしが婚約を結ぶことを夢想しているけれど。「婚約を」なんてことをお母様から言い出せば、ずいぶんと厚顔だ。
冗談や挨拶に紛らせるしかないし、わたしは断固拒否だ。
ご令嬢たちの間に戸惑いが流れる。
やっぱりね……という顔をしているご令嬢。
でも、エリオット様が婚約者だと言ったわよなどとモゴモゴと告げるご令嬢。
ああ……ホント嫌だ。
「皆様は、ご自分より美しい顔の男性を夫に持ちたいと願いますでしょうか?」
わたしは周囲を囲むご令嬢を見回しながら、告げる。
「ヘンストリッジ伯爵令息のような美男子を婚約者や夫にできるご令嬢は、相当ご自分の美貌に自信のある方でないとご無理でしょう。仮に、自信があったとしても、年齢を重ね、顔に一本の皺、髪に一本の白髪を発見したら、世界が崩壊しそうですね。隣には変わることない美貌のヘンストリッジ伯爵令息がいて、彼の隣に立つだけの美貌をいつまで自分が保てるか……。わたしのような平凡顔の小娘にはとても無理ですね」
わたしの指摘に何人ものご令嬢が顔色を変える。
想像したのだろう。
中年になっても老人になっても美貌を保つエリオット様。
年と共に老いていく自分。
「わたしはそのような苦行に身を落とすつもりはございません。ええ、平凡なわたしは平凡の夫を得て、平凡な人生を歩む予定です」
ここまで言い切れば、二度とこのように囲まれることはないだろう。
そう思われたのに。
タイミング悪く現れるのだ、諸悪の根源が。
「おーい、サディア~」
まるで背中に天使の羽根でも見えるような軽やかなステップ。
慈愛の天使のような笑みを浮かべながら、エリオット様がわたしのほうへとやってくる。
……あ、ああああああ。せっかく、突進してきたご令嬢方を撃退できそうだったのに。
空気を読まない阿呆がっ!
イラっとする気持ちを引き締めて、真顔になる。
「今朝、タウンハウスまで迎えに行ったのに、どうして先に入学式に出ちゃうんだよ~。一緒に学院に通えるって楽しみにしていたのに~」
わたしを貶めるためにこういうことを言っているのではない。素で、申し出ているのだ。
素直で純真な美貌の男など、迷惑でしかない。
「……ヘンストリッジ伯爵令息。お迎えはお断りしました。親同士の付き合いしかないわたしとあなた様が同じ馬車に乗って学院などに通えば誤解の元です。迷惑です」
「何言ってんの、サディア。ボクたちは仲良しの幼馴染だろ? 結婚の約束だって……」
「仲良くないです! 約束などはしておりませんっ! 勝手なことを申し上げないでください‼ 本気で心の底から迷惑ですっ‼」
「えー? 何でー?」
意図して首をかしげるのであれば、実にあざとい。
だけど、エリオット様は素だ。自然に首をかしげて、それが愛らしく見えてしまうだけなのだ。
今すぐ拳を握って、エリオット様をぶっ飛ばしたい。
でも、そんなことをすれば、わたしのほうの瑕疵になってしまう。
冷静に、淡々と、対処しないとならない。
たとえ、忍耐力が擦り切れそうになっても、キレるわけにはいかないのだ。
「今っ! まさにっ! ヘンストリッジ伯爵令息がわたしのことを幼馴染だの婚約だのとオカシナことを公言されたため、誤解したご令嬢方から問い詰められていたところです! 迷惑ですから今後ヘンストリッジ伯爵令息はわたしに近寄らないでくださいっ!」
「えー? なんでー? 照れてるのー?」
ホントにぶっ飛ばしたい。
コイツ、天然ではなくわざとやっているのかと思ってしまいそう。
「照れていないです! 単に親同士が親しいというだけです!」
「うん、だから、子ども同士だって仲良しだよね?」
「……一般的な知り合いという程度でしかありません」
「でも、十歳くらいの時に、母様が言ったよ? 『サディアのようにしっかりした令嬢が、エリオットのお嫁さんになってくれたらいいわね』って」
周囲のご令嬢がざわつく。
ここで言うか、そのセリフをっ!
「いいですか、ヘンストリッジ伯爵令息。それは婚約の打診でもなんでもなくて、たとえば例を挙げるなら、わたしのような、しっかりしたご令嬢を嫁にしたいという、たとえでしかないのです。たとえです! 単なる具体例です! わたし、個人を、指名して、婚約者に、と言っているのでは決してないのです!」
ここまで言えば、さすがのエリオット様も理解できるだろう。
わたしは婚約者になってほしいと言われたわけではない。
しっかりしたご令嬢の、一つの例として、わたしの名前を上げただけだと。
「な、なるほどですわ! エリオット様のお母様は、しっかりとしたご令嬢を好んでいらっしゃって、一例として、ラズダン伯爵令嬢の名を出したというだけでしたのね!」
ほっと胸を撫でおろすご令嬢たち。
納得してくれそうな周囲の気配。
これでようやくわたしも安心して、学業にまい進できる……と思ったのに。
「エー、でも、ボク、サディアのこと、割と好きなんだけど」
無邪気に言うのだこの天使……、いや、わたしにとっての悪夢のような令息が。
ふざけんな、ボケ!
……と、わたしはここで、エリオット様を怒鳴って、拳で殴って、蹴飛ばして、ボコボコにするべきだった。
だけど、あんまりなことに、わたしの思考は停止した。真っ白になった。
どうして、ここで、この場面でっ! 落ち着きそうな場面で! いきなりそんな恐ろしい発言をするのだっ!
わたしは、こうならないように、必死になって、エリオット様から距離を置こうとしたというのに!
「不要にな発言はお止めください。非常に迷惑です」
「あははは、サディアってば、照れ屋さんだなー」
このセリフを、エリオット様が吐いた瞬間、わたしの貴族学院生活は暗黒の底に落とされることが確定した。
いくらわたしとエリオット様は無関係だ、婚約者ではない、幼馴染ではなくて、親同士が親しいだけだと言っても、誰も信じてはくれない。他でもない、エリオット様がご自分の口で、無邪気に「エー、でも、ボク、サディアのこと、割と好きなんだけど」などと宣いやがった上に「あははは、サディアってば、照れ屋さんだなー」と無邪気に笑ったからだ。
令嬢たちによる無視。
令息たちによる冷笑。
そして……。エリオット様のせいで、わたしの初恋も、無残に砕け散ることになるのだ……。




