第6章-2 城下町への旅立ちと契約2
どれもこの館に来てから与えられたものばかりだ。
自分の持ち物を選んで荷造りをするという初めての経験が、少しだけくすぐったくて、私は鞄の留め金にそっと触れた。
翌日、いよいよ城下町へと出発する朝。
屋敷の玄関を出る直前、ムコール様は懐から仮面を取り出し、顔を覆うように着けた。
外の人間には、顔に酷い火傷の痕があるから素顔は見せられないのだという、言い訳のための仮面だ。
最初に出会った夜、私はその不気味な仮面を見て、得体の知れない恐ろしさに背中へ冷たいものが走った。
でも、今は不思議と少しも怖いとは思わない。
すっかり見慣れてしまったというのもあるし、あの仮面の下にある本当の優しさを知っているからだ。
扉の外に出ると、そこには艶やかに磨き上げられた黒い馬車が待っていた。
四頭もの筋骨隆々とした見事な馬が引いている。
それは、私をあの冷たい雨の夜の村から連れ出した、あの豪奢な馬車だった。
あの夜は、自分をどこか恐ろしい場所へ連れ去る死の乗り物のように見えたのに。
今は、私をまだ見ぬ広い世界へと連れて行ってくれる、夢のように美しく立派な馬車に見える。
私たちはその馬車に乗り込み、城下町へと出発した。
道中、宿場町にある立派な宿屋の、広くて清潔な部屋を借りて夜を明かした。
そこで私は、ささやかな、けれど私にとってはとても大きな驚きを感じていた。
宿の主人や給仕の人たちは、私の銀の髪を見ても、気味悪そうに顔をしかめたり、冷たい視線を投げつけたりしなかった。
オーベル村では、私が外を歩けば、誰もが汚いものを見るような目を向けてきたというのに。
それどころか、彼らは私をムコール様の同行者として、まるで貴族の令嬢に接するかのように、恭しく丁寧に扱ってくれたのだ。
「ただの客」以上の手厚いもてなしに、私は自分が別人のようになってしまったみたいで、どきどきして全く落ち着かなかった。
それでも、村の外の世界には私を虐げるあの冷たい視線が存在しないのだと知って、体の芯がほのかに温かくなった。
窓の外を流れる景色や、そんな小さな発見に目を奪われているうちに、数日の旅路はあっという間に過ぎていった。
馬車が大きな石造りの門をくぐると、外の世界の静寂は一瞬にしてかき消された。
これまでの旅路では見たこともないほど分厚くて丈夫そうな、空を衝くような石壁に囲まれたエルダリア王国の王都。
車輪が石畳を叩く規則的な音が、高く、鋭く反響し始める。
私は吸い寄せられるように、馬車の窓枠に手をかけて外を眺めた。
「……すごい」
思わず漏れた呟きは、喧騒の中に溶けて消えていった。
窓の外には、オーベル村では見たこともないような高さの建物が、まるで壁のように連なっていた。
赤レンガや白い石材が隙間なく積まれ、三階、四階と高く伸びた屋根が、切り取られた空を狭く見せている。
軒先には色鮮やかな看板がひしめき合い、陽光を反射して眩しく光る窓が、どこまでもどこまでも続いている。
その窓には、村にあるような木の戸や油を塗った布ではなく、贅沢なガラスがはめ込まれていた。
気泡が混じり、波を打ったように歪んで見えるその不思議な板は、向こう側の景色をゆらゆらと揺らしながら、王都の富を誇示しているようだった。
道沿いには一定の間隔で黒鉄の支柱が立ち、その先にある籠の中では、光蟲たちが夕暮れの街を暖色に染め始めている。
数千もの光が明滅し、石畳を夕焼けのような色で照らし出す光景は、村の薄暗い夜しか知らない私にとって、息を呑むほどに美しかった。
そして何より、人の多さが異常だった。
村の住人全員を合わせたよりも、ずっと多くの人々が道に溢れている。
立派な外套を羽織った紳士、大きな籠を抱えた女性たち、そして大声を張り上げて商売をする物売り。
あまりの熱気と喧騒、そして巨大な建物の影に飲み込まれてしまいそうで、私は圧倒されて馬車の座席の端をぎゅっと握りしめた。
自分がいかに小さな存在であるかを突きつけられているようで、心細さに、知らず知らずのうちに隣のニクスの方へ体を寄せていた。
そんな私の様子を見て、ニクスは誇らしげに鼻を鳴らした。
「驚いたか? ここはまだ入り口に近い商業区だ。別邸はもう少し静かな場所にあるから、そんなに身構えんなよ」
ニクスはそう言って人懐っこく笑い、大きな手で私の背中を軽く叩いた。
馬車は人混みを縫うように進み、やがて賑やかな大通りを抜けて、整然とした石畳の続く閑静な住宅街へと入り込んでいった。
やがて馬車が速度を落とし、目的の場所へと止まる。
建物を前にして、私は思わず息を呑んだ。
森の館のような複雑で神秘的な造りとは全く違う。
そこにあったのは、隙のないほど整然と積まれた赤レンガの壁と、まるで箱のように四角く切り揃えられた植え込みが並ぶ、完璧に美しい邸宅――タウンハウスだった。
石畳には落ち葉ひとつなく、異常なほどの清潔感に包まれている。
玄関先では、光魔法を封じ込めた魔石のランプが淡く青白い光を放ち、夕闇の中でも邸宅を凛とした静謐さで包み込んでいた。
馬車が停まると、パリッとした制服に身を包んだ数人の使用人たちが、恭しく出迎えてくれた。
森の館にいる灰色の布を被った不思議な使用人たちとは違う。
彼らは、間違いなく普通の人間だった。
「ムコール様、お待ちしておりました」
年配の執事のような男性が深く一礼する。
「ああ、出迎えご苦労。手配は済んでいるかな?」
仮面越しのムコール様の声は、使用人たちに対して飄々として親しみのある、それでいてどこか底知れない貴族としての振る舞いを見せた。
「はい。そしてこちらが、噂のお嬢様ですね。とても利発そうなお嬢様でいらっしゃる」
その言葉に、私は息が跳ね上がるほど驚いた。
私のこの銀の髪や、奇妙な瞳を見ても、彼らは顔をしかめることも、気味悪がることもなかったのだ。
村ではあんなにも疎まれていた私が、普通の人間に微笑みかけられている。
戸惑いながら小さく頭を下げると、隣にいたニクスが口を開いた。
「出迎えご苦労。彼女は少し長旅で疲れているんだ、中に入れてやってくれ」
その口調は、普段の私に見せる人懐っこい彼とは違う、堂々とした貴族の若君そのものだった。
使用人に対して慣れた様子で振る舞う彼を見て、私はまた驚いてしまう。
二人は、人間社会の中で完璧に「貴族の父と息子」を演じきっていた。
使用人たちは温かい態度のまま、私たちを大理石の敷き詰められた立派な玄関ホールへと案内してくれた。
一階にある、豪華な家具が整然と並ぶ客間――ドローイングルームと呼ばれる応接室のふかふかのソファに腰を下ろし、ようやく一息つく。
使用人が温かい紅茶を淹れて退室し、部屋に私たちだけになると、ムコール様がふと、一枚の分厚い羊皮紙をテーブルの上に広げた。
そこには複雑な線と、まだ私には読めない文字がたくさん書き込まれている。
私が不思議そうにそれを見つめていると、ムコール様が仮面の奥から優しく教えてくれた。
「これはね、王国の貴族が重んじている家系図の写しだよ」
人間の社会ってのは面倒だけれど、面白くてね。血の繋がりなんてなくても、紙に名前を書くだけで家族になれるんだ。
「……名前を、書く?」
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