第1章 雨の夜と、七枚の金貨
毎日更新予定です。
冷たい雨が容赦なく私の身体から体温を奪っていく。
私が生まれ育ったオーベル村は一年の半分が鉛色の雲に覆われている。
壁にもたれ掛かるようにして泥だらけの地面に座り込み、私は固く閉ざされた木扉を見つめていた。
「本当になんであんな子が生まれたのかしら! あの子ったら、また何もないところを見てブツブツ呟いていたのよ?」
扉の向こうからお母さんのヒステリックな罵声が聞こえる。
今日、私が家の外に締め出されたのは、妹のフローラがうっかり汚してしまった、村の祝祭で着る大切な衣装の罪を被せられたからだ。
フローラは部屋の隅で肩を縮め、ただ怯えたように視線を床に落としていた。
「違う」と言ってほしかった。けれど、妹の小さな唇は固く結ばれたままで、私と目を合わせようともしなかった。お母さんたちは「この子が妹に罪をなすりつけようとしている」と決めつけ、私の言葉になど最初から耳を貸そうとしなかった。
違う、私じゃないと口ごたえすることなどできず、私はただ叩かれるままに謝り続けるしかなかった。
でも、お父さんとお母さんが私を疎む本当の理由は、きっとそれだけじゃない。
私という存在が、根本的にどこかおかしいのだ。
たとえば、私が見ているこの景色は、どうやら他の人が見ているものとは違うらしい。
幼い頃、当たり前のようにそのことを口にするたび、両親はひどく怯え、私を気味悪がった。
きっと私が気味が悪い幻覚を見ているのだ。私が変だから、お父さんもお母さんも怒るのだ。
それに加えて、この容姿もきっと良くないのだと思う。
家族が皆、温かみのある栗毛色の髪をしているのに、私だけが違う。冬の霜のように白茶けた銀髪と、不吉だと忌み嫌われる金色の瞳を持って生まれてきてしまった。
「老婆のような髪」と吐き捨てるように呼ばれるたび、私は自分がこの家にとって異物なのだと思い知らされた。
隙間風の吹き込む板戸のひび割れからそっと中を窺うと、温かい暖炉の光の中、フローラがこちらを見ないようにじっと俯いているのが見えた。
妹は私がぶたれて外に放り出される間も、ただ目を逸らしてやり過ごしていた。
冷たい雨に打たれ続け、全身が凍りつくように冷たくて痛い。
私は寒さに震えながらきゅっと身を縮めて目を閉じた。
こんな夜は決まって、かつて村の外れの森で出会った、黒くて大きな獣のことを思い出す。
恐ろしい姿をしていたけれど、私にはその獣の中にある温かい光のようなものが見えた。
何か失敗をして家から放り出された私に、いつからかその獣は頻繁に近づいてきて、静かに寄り添ってくれるようになった。
私が拙い子守歌を歌うと、獣は心地よさそうに目を細めてくれた。
いつの間にか姿を見せなくなってしまったけれど、お父さんやお母さん、それに村の人たちからすら忌み嫌われる私に、あの獣だけが温もりをくれた。
そうやって過去の記憶にすがり、凍える体を丸めていた時だった。ぬかるんだ土の道を重々しく進む車輪の音と、複数の馬のいななきが聞こえ、私は弾かれたように目を開けた。
こんな雨の夜の寒村には不釣り合いな、四頭もの立派な馬に引かれた豪奢な馬車が家の前に止まっていた。
一目で貴族のものだとわかる造りだ。けれど、御者台に外套を深く被った人影が一つあるだけで、これほど身分が高そうな馬車なのに、周囲を固めるはずの護衛の騎士や家来の姿がどこにもないのがひどく不気味だった。
やがて御者が音もなく泥濘に降り立ち、家の木扉を重々しく叩いた。
こんな夜更けに何事かと訝しむお父さんの声が響き、扉が開け放たれた。
「お、おい! お貴族様の馬車だぞ!」
お父さんの上ずった声が響いたかと思うと、フローラを家屋の奥へ押しやる影が見えた。直後、転がり出るようにお父さんとお母さんが外へ飛び出し、雨に濡れるのも構わず泥だらけの庭に膝をついた。貴族様の不興を買えば、私たちのような平民はどんな目に遭わされるかわからない。二人は身を縮こまらせながら、何度も深く頭を下げた。
少し離れた場所で壁にもたれていた私も、慌てて両親に倣って泥の中に額を擦りつけた。顔を上げることなんて、到底できなかった。
無言のまま御者が恭しく馬車の扉を開けると、中から一人の人影が姿を現わした。
その人は卵型の真っ白な面に、不気味な紫色の眼がいくつも穿たれ、嘴のように尖った輪郭を持つ怪しげな仮面で顔を隠していた。
泥を避けるように馬車のステップに留まったその人は、私たちのボロ布とは比べものにならないほど厚みのある、しっとりとした艶を放つ外套を纏っていた。どこにも綻びのないその生地の縁には、見たこともないほど細やかな銀の刺繍が施されている。仮面の向こうからどこか飄々とした柔和な声で口を開いた。
やはり貴族様の馬車だ……と思いながら、私はその人の様子を窺っていた。
「夜分に突然の訪問をお許しください。この村に、何やら風変わりな娘がいるという噂を耳にしましてね」
それはひどく人当たりの良い、やけに親しみを感じさせる声だった。まるでもっと以前から彼を知っていたかのような気持ちになる、柔和な響き。けれど、その滑らかすぎる声の響きには、本物の感情がどこにも引っかかっていないような、説明のつかない不気味さがあった。
「は、はい……。娘は確かに風変わりではありますが、あなた様のお眼鏡にかなうようなものではございません」
両親が恐縮しながら返答をしたのを聞いた後、仮面越しの視線がゆっくりと私の方を向いた。
「……そこのお嬢さん、こちらへ来てくれませんか?」
耳を疑うような言葉に、お父さんとお母さんが弾かれたように私を振り返った。
「ほら、何をしている! 早くしなさい! お貴族様がお前なんかを見たいと言っているんだ!」
お父さんの低く鋭い叱咤に、私はびくりと肩を揺らした。拒みたいけれど、そんなことをしたらどうなるかわからない。
凍えきった体に鞭打ち、泥に足を取られながら、私はのろのろと、逃げ場のない足取りで馬車の前へと進み出た。
馬車に取り付けられた燈灯が夕焼けのような淡い色の光を放っている。
その光蟲の明かりの下に晒された私をじっと見つめ、その人は「ふむ」と何かに納得したように小さく頷いた。それから私の隣で平伏しているお父さんに視線を戻すと、歌うような軽やかさで告げた。
「私は珍しいものを集める収集家でしてね。どうでしょう、この娘を私に譲っていただけませんか? 謝礼は弾みましょう」
あまりに突飛な申し出に、お父さんは呆気に取られたように顔を上げた。戸惑いと、領主様に無断で私を売ることへの不安が混ざったようなその沈黙を読み取ったのか、仮面の方は宥めるように声を和らげた。
「この土地の領主殿には私から伝えておきます。彼のおじい様の代から、懇意にさせていただいているので」
「領主殿」という言葉を聞いた瞬間、お父さんは呪縛から解き放たれたかのように肩の力を抜き、何度も何度も泥の中に額を押し付けた。
「ああ……ありがとうございます。それならば、それならば、何も案じることはございません」と、掠れた声で喜びを露わにする。
お母さんもまた、それまでの険しい表情が嘘のように和らぎ、胸元で手を合わせて何度も救われたような溜息を漏らしていた。
不意に、背後の板戸がわずかに揺れた。
その隙間から、フローラがこちらを覗いているのが見えた。
怯えているのか、あるいは私を案じているのか。板戸の向こうにある彼女の瞳に宿る感情までは、私には読み取れなかった。
ただ、その視線に気づいたのは、きっとこの場で私だけだったと思う。
両親は金貨のことで頭がいっぱいだし、あの貴族様も私という「珍しいもの」を値踏みすることに夢中で、家の中に残された子供のことなど興味もないのだろう。
泥にまみれて何度も何度も感謝を繰り返すお父さんのことを、その人は静かに見下ろしていた。
その人がわずかに動くと、影のような御者が音もなく傍らに寄り、懐から古びた紙を差し出した。
その人はそれを白い指先で受け取ると、またあの、歌いかけるような優しい声で話し始めた。
「この娘は、たった今から私の所有物です。両親であろうと、私に無断で関わろうとしないこと。いいですね? 当然、私の所有物を傷付けることも禁じます。まあ、今後関わらないのであれば当然守れる契約でしょう」
柔らかく、つい逆らわずに従いたくなるような不思議な響きを湛えたその声に、お父さんは何度も激しく頷いた。その人は御者の持つ壺から炭のような黒い汚れを指に付けると、羊皮紙を指し示した。
「では、取引の証としてこちらに、指で印を」
お父さんは一瞬の躊躇もなく、真っ黒に汚れた親指を羊皮紙に力強く押し付けた。
まるで自分たちを苛む厄介者を、一刻も早く売り払ってしまいたいかのように。
その人は満足げに頷くと、まるで大切な品物でも渡すかのように、恭しく、それでいて淀みのない動作で七枚の金貨をお父さんの手にそっと乗せた。
雨の夜に、厄介者の私を大金で買うという、あまりにも信じがたい出来事が目の前で起きている。
領主様が村の人間を連れて行くこと自体は、それほど珍しいことではないのかもしれない。
けれど、護衛も連れずに御者一人でこんな夜更けに訪ねてきて、不気味だと疎まれる私をわざわざ買っていくなんて。この人は、どこか普通ではないのだと思う。
お父さんとお母さんは、信じられないものを見るような顔で手のひらの上の金貨を見つめ、それから顔を見合わせた。次の瞬間、二人の顔は見たこともないほどの歓喜に歪んだ。
私は、いきなり売られたことへの絶望よりも、もっと別の、逃れようのない恐怖を味わっていた。
見てはいけないものが、私のこの忌まわしい目に映り込んでしまったからだ。
優雅で柔和な態度の内側にあるのは、人間とは全く異なる底知れない森の深淵のような何か。
連れて行かれた先で、獣のように皮を剥がされて飾られることになるのかもしれない。けれど、不思議と逃げ出そうという気は起きなかった。
家族からも村の人たちからも疎まれる私が、こうして大金に変わり、お父さんやお母さん、フローラを幸せにできるのなら、いっそ飾られた方がマシなのかもしれない。
それに、この底知れない気配の中に、かつて寄り添ってくれたことのあるあの黒い獣と、ほんの少しだけ似たものを感じたから。
「さあ、おいで。君は今日から私のものだよ」
その人が差し伸べた手は、まるで迷える子羊を導くかのように優しく、穏やかだった。
振り返ると、両親はその金貨をきつく握りしめていた。
板戸の隙間に、フローラの影が見えた気がした。
……戻る場所なんて、もうない。
こわばった指先が、わずかに持ち上がる。
触れた瞬間に引き剥がしてしまいそうで、息を止めたまま、それでも私は手を引っ込めなかった。
その人の指先が、触れた。
そのまま、逃げることも、拒むこともできないまま、私はその手に自分の体重を預けた。
面白かったり、続きが気になったらブクマやポイントよろしくお願いします




