③なぜ男はカツカレーを頼んだのか
三人はカツドンヤを出ると、5分ほど歩いて同じ国道沿いのマメヤに入った。全国チェーンの喫茶店だ。モーニングが充実していることで有名だが残念ながら夕方はモーニングをやっていなかった。
三人はゆったりとしたテーブル席のソファに腰掛け、それぞれ飲み物を注文した。ホットコーヒー、ウインナーコーヒー、ホットミルク。
「礼二、なんだよミルクって。牛乳なんて家で飲めばいいだろ」
「うるさいなあ克也君。ここはホットミルクもおいしいんだよ」
「だってホットミルクって牛乳あっためただけだろ。なあ司」
「そんなこと言ったら克也のコーヒーだって入れただけだがな」
「はあ?コーヒーだぞ。ちゃんと店でコーヒー豆を炒って…」
「知らなかったの克也君。マメヤのコーヒーは希釈してるだけだよ。工場から持ってきた原液を割るだけ」
「…マジで?」
「いいじゃないか。おいしければ何でも」
そう言って司はミルクの溶け始めたウインナーコーヒーをゆっくりとすすった。つられるように礼二と克也もそれぞれミルクとコーヒーを口に運ぶ。克也は少し衝撃を受けた。こんなにおいしいコーヒーが店内で焙煎してないなんて…しかし口に含む温かく苦いコーヒーの旨みに、そんなことはどうでも良くなった。
旨いものは旨い。それでいいか、と克也は思った。
同時に、旨くないものは頼むはずがない、とも思った。そう、やはり、カツドンヤでカツカレーを頼むわけはないのだ。
三人はカツドンヤからここマメヤに場所を移した。飲み物に500円を払うのは少々高く思えたが、仕方がなかった。
場所を移してしっかり話したかったからだ。
なぜカツドンヤで初老の男はカツカレーを頼んだのか。その理由を追求したかった。
「さて」
克也はコーヒーカップを置いた。
「礼二、聞かせてくれよ。なぜあのおじさんはカツカレーを頼んだのか」
克也の言葉に礼二もカップを置いた。唇が牛乳で少し白く染まる。
「ああ、そうだったね。あのおじさんがカツカレーを頼んだのはなぜか」
礼二は紙の布巾を手に取り、牛乳で白く濡れた口を紙の付近で軽く拭いてから言った。
「僕はこの問題を考える時、まずカツカレーとは何なのか、から考えたんだよ」
「カツカレーとはなんなのか?カツとカレーだろ」
「そう、克也君の言う通り、カツカレーとは、カレーライスにトンカツを合わせた料理なんだ」
あまりにも当たり前のことを得意気に指摘する礼二に、克也は呆れてしまった。
「当たり前と思うかもしれないけど、当たり前の積み重ねが推理って言うでしょ。そして真実を見抜くためには、物事の本質が見えていないといけない。
カツカレーの本質はトンカツとカレーライスの融合。ならトンカツとカレーライス、それぞれの本質を考えれば、自ずとカツカレーの本質も見えてくるんだ」
礼二の言葉に、司が少し頷いて言った。
「本質直感というやつだな」
なんだかよく分からない言葉が飛び交い、克也は少し混乱した。頼むはずのないカツカレーを頼んだ理由。それを考えるためにはカツカレーの本質を見抜かなければならない。そしてカツカレーの本質を見抜くためにはトンカツとカレーライスの本質を暴かなければならない。
…段取りとしては理解できるが、ただ不味いカツカレーを頼んだ理由を考えるにしては大げさではないか。そう克也は思った。
「本質ってなんだよ。材料のことか?とんかつは豚肉とパン粉と、カレーライスは米とスパイスから出来てるが」
「克也の言うように材料全てを抜き出して言ったらきりがないな。そもそも細かい調味料までは俺たちには分からない」
礼二は頷いた。
「そう、確かに詳細を観察するのは大切だね。でも物事の本質を知るには視野を広く持つ必要があるんだ。対象物の全てを捕らえつつも、なおかつ抽象的ではなく具体的な答え。それこそが物事の本質で、直感でしか見えてこないもの」
「本質直感というやつだな」
「もういいよ司、本質直感は。
で、礼二、カツカレーの本質ってなんだよ」
訊きながら、克也は自分が二人の空気に飲まれているのを自覚した。俺たちが知りたいのは男がカツカレーを注文した理由なのに、カツカレーの本質の話になってしまった。
胸中に当惑を抱く克也をそのままに、礼二は答えを出した。
「これは僕にしか解けない問題だった。背は高いけれど痩せている僕にしか解けなかった。
僕の本質直感によると、トンカツとカレーライスの本質とはカロリーが高いこと。そしてその二つが組み合わさったカツカレーとはまさに高カロリーの権化。
つまりおじさんは、カロリーを摂るためにカツカレーを頼んだ。もう少し柔らかい言い方をすると太るためにカツカレーを頼んだんだ」
礼二の言葉を、克也と司は黙って聞いていた。
克也は考えた。礼二の言葉は正しいだろうか。
確かにトンカツもカレーライスも高カロリーの食べ物である。トンカツは油で揚げているし、カレーライスも意外とカレールーのカロリーが高く、ダイエット中には避ける必要がある。
カツドンヤの他のメニューはどうだろう。カツドン、ロースカツ定食、チキンカツ定食…メニューは豊富だが、確かに高カロリーのトンカツにカレーの組み合わせは他のメニューよりカロリーが高くてもおかしくはない。
ではニコイチやイクイクカレーでカツカレーを頼めばよかったのではないか。いや、油で揚げたカツとカレーのどちらが高カロリーかと問われれば、おそらくカツに軍配が上がる。おいしいかどうかはともかくとして、カロリーを取ろうとするならば、カレー専門店のカツカレーよりカツ専門店のカツカレーを選択するだろう。
太りたかった、という理由はどうかと思うが、世の中には太りたくても太れない人種がいるし、目の前にいる礼二も背は高いのにひょろっとした痩せ型だ。また太りたい、という理由でないにしても、今日の自分達のように、お腹が減ったからたくさんカロリーを摂りたい、と考える場合も有り得る。
礼二の推理に反論したかったが、一応の筋は通っており決定的な矛盾はないように、克也には思えた。
しかし司がすかさず反論を唱えた。
「それは違うな。礼二の推理は間違ってる」
司の強い口調に、礼二は眉を顰めて珍しく不快な表情をした。
「あの男がカロリーを摂りたかったというのは有り得ない」
「どうして言い切れるの?」
「単純な話だよ。なぜなら彼はカツカレーの竹を頼んだからだ。カロリーを摂りたいなら松を頼んだはずだろ」
克也は思わずあっと声に出した。礼二にとってもこの指摘は予想外だったらしく、口をポカンと開けている。
「でも…カツカレーは竹があるの?松しかないんじゃない?」
「いや、カツドンヤは全てのメニューに松竹梅のサイズ指定がある」
「そうだったね。ただ、あのおじさんが竹を頼んだかどうかは分からないでしょう。ほら、僕たちは遠くから見ていただけだから」
礼二の反論は正しかった。三人の座席は初老の男からそれほど遠くはなかったが、具体的な量まで知ることは出来なかった。また例え量を視認できたとしても、カツカレーを頼んだことのない三人にとって、それが松、竹、梅のどれに該当するかは分からないはずだった。
「礼二は気付かなかったか。あのカツドンヤでは、店員が料理を運んでくる時、竹以外のメニューには必ず松、または梅、と口に出していた」
克也は思いだした。三人が頼んだのはカツ丼の松、ロースかつ定食の竹、チキンカツ定食の竹の三種類。店員はチキンカツ定食の竹を勘違いして、梅を持ってきた。そのとき、確かに「チキンカツ定食の梅」と言っていた。またカツ丼も「カツ丼の松」と言った。しかしロースカツ定食のみ「竹」とは付けなかった。松竹梅の内、竹はいわばレギュラーサイズだ。あえてメニューの後ろにサイズをつけて言わないのだろう。
そして、店員がカツカレーを持ってきたときは。
「店員は確かに「カツカレー」としか言っていない。もし男が松を頼んだなら必ず「カツカレーの松」と言ったはずだ。よって、男が頼んだのはカツカレーの竹でしかありえない」
松とはつまり大盛りである。もし初老の男が高カロリーのものを食べたかったのなら、必ず大盛りの「松」を注文したに違いない。
しかし彼は並盛りの「竹」を注文した。だから、カロリーを摂りたいという理由でカツカレーを頼んだわけではない。
「俺も司に賛成する。礼二の推理は間違っていると思う」
克也が言って、礼二は少し不満そうにしたが、やがて苦笑を浮かべて口を開いた。
「そうだね。確かに僕の意見は間違っていたみたい。ああ、謎が解けたと思ったんだけどな」
礼二が残念そうに肩をすくめ、克也も溜め息をついた。
これで振り出しに戻った。やはりこの謎は解けないのか。
克也が諦めかけた時、司が口を曲げて微笑んだ。
「俺は解けたぞ、なぜあの男がカツカレーを頼んだのか」
司の言葉に、礼二と克也は思わず背筋が伸びた。
「司くん、本当?謎が解けたの」
「ああ、俺には分かった」
「訊きたいな、司の意見を」
司は二人を交互に見て、得意げに話し始めた。
「礼二が推理に使ったのは本質直感だった。しかし礼二には使いこなせなかったようだ。直感的に物事の本質を知るなんて、本物の名探偵にしか出来ないらしい」
「おい司、お前も前置きをするのか」
克也の言葉を無視して司は続ける。
「しかし礼二の発想を俺は継承する。本質直感が無理なら、俺が使うのは逆説推理だ」
「…逆説?逆の考え方をするってことか?」
「矢吹駆の次はチェスタトンだね」
克也には礼二が言った人名がなんのことだか分からなかったが司は頷いた。
「物事の真実は全て逆さまなんだ。逆に言えば、逆さまだからこそ謎が生まれる」
「逆ばかりだな」
茶化すなよ、と司は呟く。
「ではこの謎の逆とは何か、を考える前に、そもそもこの現象の謎とは何か。克也、分かるか?」
名指しされて、ビクリと体が反応する。
「だから、男がなんでカツカレーを頼んだか、だろう」
今さらなにを言わせるんだ、と克也は少し苛立つ。
「それは謎ではないだろう。謎を分解しなければ、その核はつかめない」
要領を得ない克也に代わり、礼二が顎に手をやりながら応えた。
「なんでカツドンヤでカツカレーを頼んだか、が本当の謎だね。カツドンヤのカツカレーはまずいことで有名なのに」
「礼二の言う通りだが、まだ具体的に言い直せる。
なぜカレー専門店が隣にあるのにカツ専門店でカツカレーを頼んだか、これが本当の謎だ」
司の声には自信がこもっていたが、克也にはあまりピンと来るものがなかった。確かに司の言うことは正しいのだが、その「言い換え」に意味があるのか疑問に思えたのだ。
克也はぐっと残りのコーヒーを煽ってから、その疑問を口に出した。
コーヒーは既に冷めていた。
「司はなにが言いたいんだ。大体、逆説の話じゃなかったのか」
「ここで逆説が出て来るんだよ。
もう一回言い直すぞ。なぜカレー専門店が隣にあるのにカツ専門店でカツカレーを頼んだか。
これを逆にすれば、それがそのまま答えになる。
つまり男は、カレー専門店が隣にあるからカツ専門店でカツカレーを頼んだ」
司の言葉が、克也にはよく分からなかった。
疑問が答えになるなんて、そんな馬鹿なと思った。カレー専門店が隣にある、という立地条件が、疑問からそのまま答えに直結するはずがないじゃないか、と怒りすら覚えた。
「いいか、カツドンヤのカツカレーは元々不味いと評判だ。にも拘らず男はカツカレーを頼んだ。それを目当てに注文したんだ。なぜなら、隣がカレー専門店だから」
しばらく考えて、克也の頭にも司が想定する答えが浮かんだ。
「まさか司はこう言いたいのか。あの男は、ニコイチカレーかイクイクカレーの関係者だった…」
克也の言葉に、礼二も推理の意図に気付いて続けた。
「そうか、あのおじさんの目的は、敵情視察!」
驚く二人に、司はゆっくりと頷く。
「そうだ。不味いカツカレーを注文したのは、ライバル店のカレーを味見する必要があったからだ。
知っての通り、カツドンヤが出来たのは最近だから、このタイミングでカレー屋の店員が敵情視察に来てもおかしくはないし、この辺りにカツドンヤはないから、他の店ではなく隣のまさにライバルとなる店に来店してもおかしくはない。
昼過ぎに来たのは確実に食べるためだな。腹を満たすために来店するわけではないから、混雑するお昼時より夕方を選んだ」
克也は驚くと同時に戦慄も覚えた。まさかあの初老の男がスパイだったとは…いや、お金を払って食事をしただけだからスパイと呼ぶべきではないか。
年齢やシルクハットをつけて気取っていたところから、店員というよりは、経営者や開発関係に近い人間かもしれない。克也にはそこまでの判断は出来なかった。
「加えて言うならニコイチではなくイクイクカレーの関係者の可能性が高い。あそこの売りはカツカレーだから、同じくカツドンヤのカツカレーを注文したんだろう」
そう言って、司はウインナーコーヒーを飲み干した。いつの間にか上に載ったクリームは完全に溶けている。飲み干したカップを皿に置くと、カランと乾いた音が響いた。
克也も同様にコーヒーを飲もうとしたがカップは既に空だった。一度手に取ったカップを再び皿に置くと、やはり乾いた音が響く。
ふと礼二の方を向く。礼二はもう飲み終えただろうか。冷めたミルクがおいしいとは思えないが。
見ると、礼二はカップを両手で包み、考えていた。カップの中にはまだミルクが残っているようだ。
「僕は、司くんの推理は間違っていると思う」
思わぬ言葉に、克也だけでなく司も意表を突かれたようで、怪訝そうに礼二を見つめる。
二人の視線を浴びた礼二は、それでも特に緊張はしていないようで、はっきりと自分の意見を言った。
「だって食べ終えるのが早すぎるよ」
一瞬、克也は自分のコーヒーカップに視線を落とした。すでに飲み終えた自分や司を非難しているのかと疑ったが、礼二が言ったのはあくまで初老の男の食事についてだった。
「司くんの意見だと、あのおじさんはライバル店の関係者で、カツカレーの味を確かめるために注文したんだよね」
司は黙って頷く。
「だとしたら食べるのが早すぎるよ。
思い出してみて。おじさんのカツカレーが届いたのは僕たち三人の注文が届いた後だった。おじさんがカツカレーを食べ始めたのは僕たちより後だったんだよ。
僕たちは全員お腹が減っていた。激しい部活の後だったから。
おじさんは、部活終わりのお腹をすかせた高校生より後に食べ始めたにも拘らず、食べ終わるのは誰よりも早かった。会計まで済ましてしまった。
ライバル店のメニューを味わうには、あまりにも早過ぎないかな」
克也の隣で司が、言葉に詰まったように唾を飲み込んだ。
克也もまた、礼二の言葉に体が硬直した。
確かに、と頷いた。
わざわざライバル店に来ておいて、あんなに早く食べ終わるのはおかしくないだろうか。確かに初老の男は食べるのが異常に早かった。腹をすかせた自分達より。しかも、克也、司、礼二の三人は、男がカツカレーを注文したことに驚きながらも、決して食べるのをやめなかった。全員黙り込みながら、食べるペースは決して衰えなかった。
ライバル店のメニューを食べにきたのに、大して味わわずにさっさと食べ終えて帰ってしまう。
その行動は矛盾していた。
礼二の反論は正しい。司の推理はもっともらしかったが、しかし彼の推理もまた違っていたのだ。
「そうだな」
小さい声で認めた司は、テーブルに肘を突いて頭を抱えた。
反論に成功した礼二も嬉しい様子はなく、残ったミルクを静かに飲み干す。
克也もまた天を仰いだ。
俺たちは届かないのか、この謎の答えに。カツカレーを頼んだ理由に。
悩む克也を尻目に、司は伝票を取り立ち上がる。
「帰ろう。俺たちの負けだ」
会計に向かおうとする司は、しかし立ち上がったままレジを見つめ、二人を振り返った。
「おい、会計はセルフって書いてあるが」
二人は司の指す方を見る。彼の言う通り、レジの上には「セルフレジ」と書かれたパネルが吊り下げられている。レジ台の横には精算機がある。精算機の横にはリーダーが置かれている。リーダーでレシートを読み込ませ、精算機で料金を支払う仕組みらしい。
「すまん、俺、ああいうのが苦手なんだよ。礼二か克也がやってくれないか」
司が恥ずかしそうにする。その仕草に礼二と克也の頬が綻び、緊張した場が少し和んだ。
いい加減覚えなよ、と言いながら礼二が立ち上がり司からレシートを受け取る。
司は頭が回るようでいて意外と電子機器に弱い。克也はカツドンヤでのやりとりを思いだしていた。司はカツドンヤでもタッチパネルに苦戦し、礼二に教えられていた。今時の高校生が珍しい。まるでおじいちゃんみたいだな、なんて思ったものだ。
そこまで思い出し、そして思い付いた。
克也は思わず立ち上がる。突然起立した克也に、礼二と司が注目する。同じテーブルを囲んで、三人はただ立っていた。
「どうした、克也」
心配するような司の言葉に、克也は返事をした。
その目には、真実を掴んだ確信が宿っていた。
「間違えたんだ」
呟くように言う克也の言葉には、しかしはっきりとした力があった。
「あの男は、カツカレーを注文なんてしていなかった。
問題自体が違っていたんだ。なぜ男はカツカレーを注文したか。この問題文自体に誤認があった。
そもそも男はカツカレーを注文していなかった」
克也の言葉に、礼二は隣に立つ司を見る。司も克也の言葉の意味が分からず、疑問を投げかけた。
「どういう意味だ?確かに男はカツカレーを食べていた。カツカレーを注文していたじゃないか」
克也は頭をふった
「違う。カツカレーが来ただけで、実際注文したところを見たわけではない。注文はタブレットだったから」
「でも実際、カツカレーを食べていたわけだから、それはつまり、カツカレーを注文したってことじゃないの?」
礼二もまた疑問を口に出した。
「礼二の言う通りだが、だからつまり俺がいいたいことは」
二人の疑問に、克也の頭の中で推理が進み、ついに一つの絵が完成した。
「男は、カツ丼を注文したかった。にも関わらず間違えてカツカレーを注文してしまったんだ。
男はカツカレーを注文するつもりなんてなかった。
つまり、間違い注文だったんだ」
克也の言葉に、また礼二と司は顔を見合わせた。
しかし今度は、二人の表情に困惑はなかった。二人の眼の中にもまた、真実の糸口を見つけた光が宿っていた。
「聞かせてくれよ、克也の考えを」
「僕も聞きたいな」
二人の言葉に力を得たように、克也が大きく頷く。
「まず前提として、カツドンヤのカツカレーは不味いと評判だ。加えて隣にはカレー専門店が二軒ありどちらもメニューにカツカレーがある。だからあえてカツドンヤでカツカレーを頼むなんて有り得ない」
三人は同時に頷き、礼二が口を開く。
「それは事件の大前提だね」
「ああ、そしてカツカレーを頼むはずがないのにその男はカツカレーを頼んだ。なぜか。
その答えは一つしかない。注文を間違えたからだ」
ここでも司は頷きながら、口を挟んだ。しかしその口調には非難の色はない。
「なぜ注文を間違えたんだ?」
「タブレットだったからだ。
男はタブレットを使うのが苦手だった。男は初老であり、さらにこの辺りには同じカツドンヤがないばかりか、タッチパネルを使う店舗すら皆無だ。そうだったな、礼二」
礼二は頷く。
「なら男がタッチパネルに不得手でもおかしくはない。
しかも、カツカレーは一番の人気メニューであるカツ丼と同じページにあり、カツ丼のすぐ下にあった。間違えてタッチする可能性は高い」
実際、タッチパネルに慣れていない司は注文するものとは別のメニューをタッチしてしまっていた。
「でも、間違えてタッチしたら直せばいいよ。僕が司くんにしてあげたみたいに」
「出来なかったんだ。メニューの削除は少し分かりづらい位置にあった。司もやり方がわからず、礼二にやってもらっていたからな」
司は苦笑いするが、その笑みを隠して反論する。
「店員にやってもらえばよかったじゃないか。
間違えてカツカレーのメニューを押してしまって、削除できなかった。これは分かる。俺も同じだからな。
しかし、何もそのまま本当に注文してしまうことはないじゃないか。店員にやり方を聞けばいいし、何なら店員を呼んだついでに口頭で注文を伝えてもいい」
ここが一番の関門と見え、礼二と司は克也の様子を伺っていたが、彼には考えがあった。
「出来なかったんだよ」
「なぜ」
「恥ずかしかったから」
克也の言葉に、場が沈黙する。彼の言葉が正しいかどうかを吟味するように。
二人が言葉を飲み込んだのを確認して、克也は続けた。
「タッチパネルの使い方が分からないのは、少々恥ずかしいことだ。しかしその程度の恥ずかしさなら、普通は店員に聞くだろう。聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥とも言う。
しかしあの男はそれが出来なかった。
プライドが高かったから」
再び場が沈黙する。しかし今度の沈黙は決して暗くはなかった。三人それぞれが、推理の行き着く先を見据えていた。
司が言った。
「確かに見栄を張っているようには見えたな。そう、あの男は、ブランド物のバッグを持っていた。おまけにシルクハットまで」
「そうだ司。また金持ちだからこそ、意図と違う注文で損することも気にならなかった。それよりも店員にタブレットの操作方法を聞く恥ずかしさを気にした」
また礼二が言った。
「お金持ちといえば、釣り銭はいらないって言って受け取らなかった。今時珍しいね」
「そうだ礼二。釣り銭を受け取らないなんて、見栄を張っていると思わないか」
三人は頷きあった。暗い雰囲気は霧散していた。
真実を掴んだ手ごたえを感じていた。
三人はレジへ進み。克也が金を払い、店を出てから司と礼二が克也に金を返した。
言葉はなかった。
克也、司、礼二、全員で掴んだ勝利だった。
「この臭い、カレーですか」
夕方過ぎに社長室へ戻った初老の男に、女性の秘書が声をかけた。
「あれ、匂うかな」
初老の男はわざとらしく鼻を鳴らしてにおいをかぐふりをする。
「構いませんよ、対外的な予定はありませんから。
しかし今日はカツドンヤに行くと言っていませんでしたか」
男は手を振った。
「カツドンヤに行って、カツカレーを食べてきたんだよ。仕事の関係で遅い昼食になったから、一気に食べきってしまった」
秘書が首をかしげ
「わざわざカツドンヤでカレーを?」
と疑問を投げる。
「気分が変わったんだよ」
男はその理由を説明した。
「カツドンヤに行ったら、三人組みの高校生が入ってきたんだ。その会話を聞いていたら、どうもその三人の名前が、克也、司、礼二と言うらしいんだよ」
「…それで?」
嫌な予感がしつつも秘書が話の続きを促す。
「克也、司、礼二だよ。『カツ』ヤ、『ツカ』サ、『レイ』ジ。カツツカレイ。カツカレイ。繋げて読んだらカツカレーだろう。だからカツカレーを頼んだの」
聞いて損をしたというように秘書がうな垂れた。
その様子を見て、男は肩を竦めて言い放った。
「食事の注文なんて、気分で決めるものさ」




