陰り逝く下弦の月6
「今までの言葉はすべてあなたの創造から出た妄想に過ぎないってことを証明なさいましたね」
不敵な笑いを佐恵子は浮かべた。
「でも遠からず当たっていると思います。此処に居る北村さんも同じ想いだと思ってますよ」
「ねえ、あなたそうなの?」
佐恵子は初めて不安げに朔郎に訊いた。
「この人に、あなたなんて軽々しく言わないで下さい ! 」
「そうなの、あなた?」
佐恵子はなおも問い掛けた。
「彼女が言っていることは真実だ」
佐恵子の顔が急にこわばって瞳は怒りを露わにした。
女は、まして佐恵子は恋に究極の選択を迫られた時には本能に向かって走る。
「分かったわ、誰があなたなどとやり直すと思っているの。うぬぼれないで!」
涙に咽ぶ最後の捨て台詞と共に佐恵子は立ち上がり玄関に向かって駆け出した。後を追う朔郎の前に綾子は立ちはだかった。
「目を覚まして!」
「このままではあの人が可哀相だ!」
綾子はこの人のこの優しさに惹かれた。そして事実、彼の優しさはより不幸な人に注がれた。表のドアが寂しく閉まる音が彼の心をわしづかみした。彼はゆっくりと綾子を払い除けた。
「ゆくの? あの女なところへ、ゆくの……」
彼は黙ったまま綾子の前を通り過ぎた。
「ばかね ! あなたはお馬鹿さんだわ……」
彼女は通り過ぎる夢遊病者の背中に向かって叫んだ。綾子には呆れ果てて涙さえ忘れていた。それどころか妙に滑稽にさえ思える。
雨上がりの夜は冷え込んでいた。佐恵子に追いついた朔郎は黙って一緒に並んで歩いた。
「また一緒に暮らしてくれるの?」
彼女は病的なほど弱々しい声で尋ねたがその瞳は狂っていた。
「ああ……」
その瞳に向かって正気を誘うように朔郎は力なく応えた。彼女は薄笑いを浮かべた。黄昏の後に続く何処までも暗い闇の中をふたりは歩いた。
ふたりが闇に消えた後に雲間から出た下弦の月が煌々《こうこう》と夜空を照らし出し、冬を告げる最初の木枯らしが綾子の居る窓ガラスを叩いた。
綾子は開け放った窓から下弦の月を見上げた。天空に映える下弦の月は凛として輝いていた。昨夜、同じ月を正幸が見たように、それは寂しいまでの美しさを湛えていた。次第に欠けてゆくこの下弦の月に、綾子の心は浄められていった。
「あの人は寒々とした夜空に冴え渡る下弦の月なのね」
(完)




