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#94

 桜の木の枝から枝へと、ずんぐりむっくりな二羽のエナガが飛び交っている。山が満開の桜色に染まったころ、狼戻館にも新しい風が吹きはじめた。


「じゃーん」


 効果音を口ずさみ、マリがハイソックスで華麗なターンを決める。二学年を示す青いリボンが胸もとで揺れ、同時に紺色のセーラー服のスカートがふわりと舞った。


 ナプキンで口を拭うツキハの湯呑みへ、アヤメが丁寧に緑茶を注ぐ。センジュは真剣に納豆をかき混ぜており、エイイチは味噌汁の椀を傾けてゴクゴクやっている。今朝は食事を貰いにやってきたガンピールも、骨付き肉を前足で押さえてかぶりつくのに夢中だ。

 早朝のダイニングルーム。だれも、なんの反応もマリへ返さず見向きもしない。


 しかしアヤメだけは目撃した。お椀で顔を隠すようにしながら、マリのスカートがひらひら捲れるたびにチラ見するエイイチの姿を。

 ホラーゲームの世界と認識しながら、本能に抗えないのだろうか。そうなのだとしたらこの男、あまりにもチョロすぎるのではないか。とんだムッツリだ。意識をアダルトゲームに転換させるのは案外簡単なのかもしれない。

 澄ました顔で味噌汁の具材を咀嚼しているエイイチは、アヤメからそのような考察をされていることにまるで気づかない。


「じゃーん、じゃーん」


 届いた制服のお披露目を無視され、ムッと顔をしかめながらマリは右へ左へターンを繰り返した。

 都度スカートは下着がみえるぎりぎりのラインまで浮き上がり、これにはエイイチも身を乗り出して凝視する。

 ようやく自身に興味を引きつけることができたので、マリはたいへん気分がよかった。さらなる舞いを見せつけようと、フィギュアスケーターばりに回転する。


「じゃーんじゃーんじゃーん」

「お、おお、おおお……」

「いい加減に馬鹿げた真似をおやめなさい! みっともない!」


 ツキハの怒りを買うのも当然だろう。ズダン! とテーブルへ叩きつけられた拳には、馬鹿丸出しの二人だけでなくアヤメとセンジュまで身を震わせることとなった。


「浮かれるのも結構だけれど、学校は勉学に励む場所。予習のひとつくらいは済ませているのでしょうね?」


 鋭いツキハの視線を受け流し、よく手入れされた黒髪にさらりと指を通すマリ。椅子を引いて腰をおろすと、堂々たる態度で腕と足を同時に組んだ。フフン、と不敵に笑いながらマリは言う。


「高校程度の教科書、読むまでもないよ。むしろ知識の披露は控えなきゃ。優秀すぎてわたしだけ浮いちゃうかもだし、そこだけは心配かな」


 マリのこの発言は、またもやだれの賛同も得られなかった。皆あきれているのだ。

 だが返答がなかったのは、ぐうの音も出ないからに違いないと。そう確信するマリの余裕は崩れない。


「じゃあ、エイイチくん。それ食べたら行こっか」

「え、ど、どこに?」

「学校の下見。送り迎えしてくれるんでしょ? なら、ルートの確認しとかないと」


 もはやエイイチに地質調査の仕事をさせる気など、館のだれ一人として無いのではなかろうか。今日も今日とて、エイイチは住人の私用に駆り出されて行ってしまった。


「……めちゃくちゃ調子に乗ってんな。マリのやつ」


 皆センジュと同じ気持ちだったが、エイイチの送迎を許可すると約束した手前がある。歯痒くとも、ツキハとて静観する他ない。

 狼戻館におけるナワバリや封印システムを例に、異形はルール・約束事に重きを置くものだ。枷は、異形が人と関わりを持つためのもの。そうでなければ、血生臭い争いに発展しかねない。

 人間社会を粉々に破壊するか、人が脅威に抗い異形を滅ぼすか。どちらにせよ、少なくとも狼戻館の住人が望む未来ではなかった。


「わたくしは、書斎に戻るわ。クロユリ先生がそろそろ町に戻られるそうだから、少しお電話をね」

「例の……マリ様の呪いの件、ですか?」


 アヤメの質問でわずかに足を止めるも、ツキハは何も言わず部屋を出ていく。

 とくに気にする様子もなく、アヤメは食器を片付けはじめた。センジュは後頭部に手を組んで、椅子を揺らしながら天井を眺める。


「ツキハも素直じゃねーよな。まあ、マリも似たとこあるけど」

「素直じゃないのは、センジュ様もでしょう」

「はあ!? な、なんであたしが」

「よろしいではないですか。三姉妹なのですから」

「あたしは別に心配なんかしてないったら!」


 墓穴を掘った直後に、センジュはハッと口をつぐんだ。ツキハのことを素直じゃないと指摘はしたが、その理由をセンジュとアヤメのどちらも“心配”などとは言語化していなかった。

 アヤメは口もとを緩めながらも、センジュの失言については聞き流して作業を続けている。


「……アヤメさんさぁ、ちょっとあたしに付き合ってくれない?」

「午後なら手は空きますが……付き合うとは、何をでしょうか」

「ひとりで鍛練するのもいいけどさ、やっぱたまには欲しくなんだよね。相手が」

「なるほど。そういうことでしたら、構いませんよ。私もたまには適度な(・・・)運動をしたいところです」

「へぇ、楽しみー」


 二人が微かな火花を散らす中――。

 骨を噛むのに飽きたガンピールは、後ろ足で顎を掻く。まだ散歩に出るつもりはないようで、窓の外のエナガが飛び立った枝へと顔を向ける。黒く大きな瞳には、陽気な春の彩りがいっぱいに映し出されていた。



◇◇◇



 山を下り、田んぼを抜け。少しだけ栄えた商店街を通り過ぎれば、町に一つしかない高等学校が見えてくる。


「ほら、エイイチくん! 早く、こっちこっち」


 小走りに先を行くマリが振り向いて、エイイチへ手招きをした。

 ただの下見にも関わらず、わざわざ制服に袖を通したマリは、なるほどたしかに浮いているかもしれないなとエイイチは思う。むろん、マリが主張したような知能のことではない。

 休日のため学校に生徒の姿はなかったが、田舎町と呼んで差し支えない環境において、マリの優れた容姿はあきらかに際立っていたのだ。


「いま、行くよ」


 校門のすぐ側に植えられた桜の花弁が風に運ばれてきて、マリは片目をつむって長い黒髪を押さえた。

 顔も仕草も、単純にかわいい。性格は――……今日のマリはかわいいかもしれない。


 マリの目前までエイイチが歩いてくると、二人して校舎を見上げる。


「わぁ……」


 都心の高校に比べれば、規模もそれなりでしかなく先鋭的なデザインでもない。それでもマリの表情は華やいでいた。長らく着ることのなかった制服に身を包み、もうすぐここへ通えるのだ。結界で山を閉ざされ、さらにはナワバリによって自室でずっと過ごしていたマリが、眩しく校舎を見つめるのは当然だった。


 そして、もう一人。


「……エイイチくん?」


 エイイチもまた、マリと違わぬ顔で学校を見上げていた。憧れのおもちゃを前に固まる子供のような、夢見た景色にうち震えるかのような。今にも泣き出すのではないかとさえ、マリに思わせる佇まいをしていた。


「あ、ああ、ごめん。なんか、えっと……そう、感傷っていうのかな」


 ばつが悪そうに目もとを擦るエイイチ。

 マリは、再び校舎に視線を移しながら問いかける。


「エイイチくんは、館に来るまでの記憶がないんだよね? 昔は、学校に通ってたのかな」

「そりゃ、まあ……学校にも行ってたはず。思い出せないけど」


 マリはエイイチの出自を知っている。現在のエイイチ以上に。だから、エイイチが過去に高校へ通っていた事実など存在しないこともわかる。そんなエイイチが学校を見て、どのような感情を抱いたのか、今のマリにはわかってしまう。


 きっと、多くのアダルトゲームや美少女ゲームの舞台となった場所だから。「洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡」をプレイして、狼戻館にさえ憧れた男だ。ゲームに熱中した記憶は失われても、込み上げるものがあったに違いない。


 しばらく間を置いて、マリはエイイチの肩を突っついた。


「ね。ちょっとそこに立っててくれる? ちがう、もっと奥」

「いや、勝手に入っちゃまずいんじゃないの?」

「門開いてるし、大丈夫だよ。わたしだって、ここの生徒になるんだし」


 半ば強引に背を押され、エイイチは校門をくぐって敷地内に立たされる。すると、エイイチを置き去りにマリが門の外へと駆けていく。


「お、おーい? マリちゃん、これいったいなんのつもり?」


 不安がるエイイチをよそに、マリはまた駆け足で舞い戻ってきた。まるで意味がわからなかった。


「あ~遅刻遅刻! ギリギリアウトだよ~!」


 極めて棒な台詞を発しながら、マリはエイイチの隣を駆け抜けていく。意味不明に過ぎるも、やけに覚えのある言葉と感じる。


 強い風が吹く。黒髪をたなびかせて振り向くマリが、瞳を大きく開いてエイイチを見つめる。

 エイイチの唇が、自然と動いていた。


「――何を見ている、女」


 時が止まったかのごとく静止するエイイチとマリ。二人のあいだを、桜の花弁のみが舞うように流れていく。


「……よく覚えてたね、エイイチくん」

「ついこの前、マリちゃんの部屋で見たんだ。漫画」


 二人が再現したのは、マリが大切にしている【ノベルティック・ラブ】その冒頭シーンである。エイイチはきちんとマリの意図を理解し、演じたのだ。


「そっか。そうなんだ。記憶が戻ったのかと思った」


 だが、どちらでもよかった。大事なのはそこではない。この出会いは、作中のヒロインがヒーローと(つがい)になる第一歩。マリはどうしても、実際の学校でエイイチを相手に演じたかった。


 エイイチとマリは、やがて声を出して笑い合う。


「――……うん。下見はこんなものだね。商店街で買い物していこうよ。わたしがおごってあげる」

「いいの!? ……百円?」

「五百円」

「五百円かぁ~!」


 どうやらマリの財布は厳しい様子。けれど田舎の商店街だ。放課後の買い食いとしては、これくらいで十分なのかもしれない。


 その後も二人の笑顔は絶えることなく、この日はエイイチがホラーゲームへの疑いを持つことなど一切なかった。


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