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#93

 まず大前提として、エイイチを沼の底へと引きずり込んだアダルトゲームは【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】を置いて他にない。かつてクロユリの元で、エロに限らず様々なジャンルのテキストゲームに没頭した。それでもエイイチが深い感銘を受けて、信奉するまでに至ったゲームは唯一これしかないのだ。


 一見すると軽薄に映るエイイチも、単純にそうとは決めつけられない。数年を共に過ごしたクロユリへまったく欲情しなかったことからもうかがえるが、エイイチが真に心を動かされるのは【洋館住んで和姦しよ♪和洋セックちゅ♡】のメインヒロイン――すなわち狼戻館の四名に限られるのである。


 件のエロゲーの影響力はあまりに大きかった。過去を忘却し、記憶はホラゲーに塗り替えられてなお、マリへ恋してしまうほどに。これこそ奥底に秘めるエイイチのハーレム愛(原動力)が未だ冷めやらぬ証拠。マリの心配は杞憂に終わるだろう。

 ある意味で一筋をつらぬく、エイイチとはそういう男だ。



◇◇◇



「あれぇ、また来たんかぁ。うれしぃー」


 それはさておき、マリから“浮気すんな”と釘を刺された翌日には、エイイチは謎のギャルシスターと教会で会っていた。


「友達だから」


 だ、そうである。

 諸説分かれることだろうが、エイイチの価値観では異性の友達と二人きりで会うことは浮気にあたらない。


 最前列で木製のチャーチチェアに寝そべっていた少女は、エイイチが近づくと仰向けのまま両手を広げる。

 ハグで迎えようとでもいうのだろうか。さすがに異性の友人間で交わす挨拶ではないと常識が働いたか、エイイチは鼻をかいて誤魔化す。


「あ、はは」


 相変わらずブーツのかかとを遠慮なく長椅子に乗っけている少女。修道服の裾は捲れあがり、膝上まで白い(・・)肌があらわになっていた。

 見下ろすエイイチは、シスターの素行の悪さとは違う理由で眉をひそめる。


「……漂白した? 肌」

「はぁ……? 漂白? あーしわかんない」

「あーし……」


 エイイチはさらに首をひねることとなる。少女はたしか属性過多なボクっ子褐色ギャルシスターではなかったか? フード状のベールから覗く髪色もピンクではなく、より目に痛い金色と淡緑のグラデーションカラーになっている。

 一人称やヘアカラーはまだしも、肌の色を一日で変えられるものだろうか。たとえばドーランでも塗っていたなら話はわかるが、今度はそんなことをする理由に対して疑問が沸きあがる。


「どしたん? えいいちクン。じぃ~とあーしの顔なんか見てぇ……」


 一瞬、少女が輪郭を失ったかのように感じた。人体と空間の境界線が曖昧となり、まるで蜃気楼のごとくシスターの姿がぼやけて映る。エイイチは眉間を摘まむと、頭を振って持参した洋書へ目を落とす。


「今日はちょっと、この本について聞きたくて」

「内容について聞かれてもわっかんないよぉ。言ったっしょ、それたまたま拾っただけだから」


 チャーチチェアから立ち上がると、ギャルシスターは興味が失せたように背を向けて伸びをした。少しだけ振り向くも笑みはなく、眠そうな半目でエイイチを見据える。


「覚えてるぅ? あーしの話」

「そりゃ、覚えてるけど。知りたいのは内容じゃなくってさ」

「じゃぁ~……名前は?」

「昨日の今日で忘れるわけないだろ。『   』ちゃん、だよな」


 エイイチが確認すると、少女は薄く笑った。エイイチが覚えていたことを当然と思っているのか、とくに喜びもなく、どことなく空虚さが滲み出た顔だった。


「そうそう。よく覚えてたねぇ……」


 エイイチは、ふいに重い揺らぎ(・・・・・)のような不快感を覚えて、ハッと上を見る。目線は、高い位置にあるステンドグラスへ。


「え、なになに」


 釣られて少女も天井を見上げるが、なんの変哲もない。それほど教会がめずらしいのだろうかと、横目でエイイチを盗み見る。エイイチはまだステンドグラスを見つめて固まっていた。


「……――ちがう(・・・)」

「え?」


 ひと言のみ呟き、エイイチは人差し指でトン、と自身のこめかみを叩く。視線はまっすぐステンドグラスへ向けたまま。もしかするとその奥に広がる青空を。あるいは望郷の月を超え、もっと先(・・・・)の暗黒の彼方まで見通そうとしている。そのような感覚を抱かせた。


 トン。トン。トン。と一定のリズムでこめかみを打つエイイチ。そんな姿を不思議に思いながら、シスターの少女は疑問を口にする。


「ちがうって、なにが?」


 トン。と、もう一度こめかみを叩いて、エイイチはおもむろに洋書を開いた。片手で器用にぱらぱらページをめくる。ほぼ白紙の本の中に、ぽつんと描かれた文字ともつかぬ一文字を見つけると、また人差し指で側頭を打ってページを進める。


「……えいいちクン……?」


 エイイチはなにも答えない。読み進めて二文字、三文字と発見するたびに軽く頭を叩くだけだ。

 やがて洋書を閉じたエイイチは、ようやく少女へ顔を向ける。微笑をたたえた口もとが、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「『シ――』」


 エイイチの唇を、肩越しに注視していた少女の瞳が大きく見開かれた。


「『――オ・ン』」


 教会内を漂う埃が、ステンドグラスから差し込む陽光を反射してキラキラ瞬いている。

 光の粒子を纏うエイイチがあまりに神々しく見えた。とうに失ったはずの名を呼ばれた。どちらもシオン(・・・)が驚愕するに十分な理由だった。


 しかし胸がうち震えたのも束の間。驚きは畏れに変わり、最大限の警戒心を呼び覚ます。シオンは修道服のフードベールを外すと、完全にエイイチへと向き直る。


「……キミってさぁ……もしかして、とんでもなくヤバいやつ? んな風に見えなかったんだけど、まずったなぁ」


 敵意むき出しの目で、シオンは片手の親指と人差し指を丸く繋げた。そして指で形作った輪っかを、エイイチへ向けて掲げる。


 この緊迫した場面でエイイチは――。


「あ」


 エイイチは、少し腰を折って前屈みになった。


「……?」


 突然に腰が引けたエイイチを見て、困惑した様子でシオンは眉をひそませる。

 だが困惑しているのはエイイチも同じだった。さっきまでのミステリアスな雰囲気は霧散し、非常に焦りつつ股間を一生懸命に押さえている。


「あ、あれ? おかしいな。こ、これはちがうんだってシオンちゃん! なんか急にうずいちゃったっていうか……な、なんでだろ!? なんでかなあ!?」


 ギャルっぽいシスターが指輪っかをしている。

 よもやたったそれだけの理由でエイイチがこのような醜態を晒していると、シオンは夢にも思うまい。そもそも“狼戻館の住人以外に欲情しない”とはいったいなんだったのか。


「ちょ、そのポーズやめてもらっていい!? そしたらすぐおさまると思うから! まじでまじで!」

「…………」


 なぜほんの一時でも、こんな男を神々しいなどと思ってしまったのだろう。片手を下ろすシオンの蔑んだ瞳は、内股で慌てふためく黒髪(・・)の男を映し続けるのだった。




 ――さて、これは激動の幕開けに過ぎない。

 かつてエイイチと狼戻館の前に立ちはだかった猟幽會も、現在はそれぞれに新たな道を歩んでいる。少なくとも、今は狼戻館の敵となることはないだろう。

 エイイチを取り巻く環境は大きく変化した。それなりに長い時が流れたのだ。過度な心身への負荷によって真っ白になったエイイチの髪が、再び黒々と生え揃うほどには。


 次なる脅威が迫る前に、猟幽會の面々においておそらくもっとも気になるであろう人物の行く末をここに記しておこう。



◇◇◇



 薄暗い路地の奥まった場所。どこかの店の大きな発電機が羽音のような唸りを響かせている。

 雨でも降っていたのか、濡れた地面をスキンヘッドの強面が這いずっていた。


「……ハァ……ハァ……ついに、我は見つけたぞ。この地球(ほし)の、もう一つの次元。裏の世界をな」


 男は名をイレヴンという。いや、アルテミスと名乗ったのだったか。

 飛行船での最終決戦に敗れたイレヴンは、地表への墜落後もまだ息があった。幽世と現世を隔てていた広範囲の結界は、マリの一撃によって粉砕された。だからイレヴンは現世へたどり着くことができたのだ。

 両下肢は吹き飛び、内臓にも深刻なダメージを負っている。腕で這うことしかできないが、もはやどうでもいい。


「グゥ……ッ、ハァ、ハァ、じき、傷など再生する。そのあかつきには蹂躙の限りを尽くし、今度こそ地球を月の支配下に置いてくれようぞ……!」


 四、五階建ての小規模ビルに囲まれた飲食街の路地裏で、鉄筋コンクリートに切り取られた狭い夜空へとイレヴンは吠えた。身体機能をほぼ失い、それでも首を伸ばして不敵に笑っていた。

 こんな劣勢の状況においてもイレヴンは自らを地球へ絶望を与える存在として疑わなかったし、事実そうなっていた可能性が高い。

 だが。


「……キミさぁ。人間じゃなさそうだけど、ちょっとふつうの化物でもないよねぇ」


 ぬかるみを踏む編み込みブーツ。背後の声に、イレヴンは上半身をひねって振り向いた。

 暗い路地に立っているのは女だ。目深にフードベールをかぶっており表情は見えないが、これまで猟幽會が争ってきた幽世の住人とは、纏う空気が違うとイレヴンは直感する。


「裏の次元の者か。どちらでもよい、ちょうどよかった」

「もしかしてぇ、アタシの結界破ったのもキミだったりするのかなぁ」

「女体か、さらによい。回復を待たずとも、貴様を新生アルテミスの身体としてくれよう」


 互いに一方通行の言葉を投げ合い、相容れないことは確定となった。

 イレヴンはうつ伏せたまま修道服の少女へ片腕を伸ばす。皮膚を突き破り、幾本もの触手が少女へ迫る。

 少女は身動ぎもせず、親指と人差し指を輪っかに繋げると、輪の中心へイレヴンを捉えた。このとき少女はわずかに嗤ったかもしれない。


「雑召喚~」


 イレヴンの周囲に、路地裏一帯に濃い影がおちる。緩慢に見上げれば、頭上には夜空と入れ替わって巨大な顎が出現していた。


 硬質な鱗に覆われた顔。縦に割れた瞳孔を、瞬膜が水平に横切る。大きく裂けた口には鋭利な牙が生え揃い、吐く息は極めて高い熱を帯びていた。


 現代における空想上の生物。架空の存在。ファンタジー(幻想)。

 それは、いわゆるドラゴン(竜)だった。

 虚空に浮かぶブラックホール紛いの穴から巨顔を押し出し、ドラゴンは咆哮と同時、イレヴンを飲み込むほどの大顎を上下へとひらく。


「な、ん――……」


 そして、ひと噛み。

 ドラゴンの牙は掘削機のごとくアスファルトごとえぐり取り、イレヴンを丸呑みにした。断末魔の悲鳴すらも一緒くたに飲み下し、無機質な瞳は次に修道服の少女を標敵とする。

 少女が指の輪を閉じると、上空のサークルも急速に収縮していく。あわや首が切断されるというところで、ドラゴンは暗黒の穴へと顔を引っ込めたのだった。


 あとには、何も残っていない。

 路地裏は夜にふさわしい静寂に支配され、人の多い通りから微かに談笑の声が届くだけだ。

 削れた地面を見下ろし、少女は身震いする。


「あはぁ。すっごいの出たぁ……」


 眠気も吹き飛ぶ衝撃だ。興奮に頬を上気させつつも、シオンのまぶたが半分より高く持ち上がることはなかった。


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