2.西の森(1)
第二王子カーティスは騎士団の職にも就いているため、騎士団にある私室にいることも多い。
政務だけでなく騎士団の運営や騎士の育成にも積極的に参加し、空き時間を見つけては騎士団員の訓練にも顔を出す。本番さながらの訓練に臨むことすらある。騎士団長も認める剣の腕は、エレインなどでは到底敵わない。
孤児院で生活していたエレインが、名誉ある騎士団に入団することができたのは、そんなカーティスの推挙のお陰だ。カーティスに拾われたことは僥倖だったとエレインは思う。
「西の森に魔獣が出た話は聞いたか?」
「さっきちらっと。先月も北で魔獣が出てましたよね」
「最近多いんだよ。今回はエレインの隊も出ることになってるからな」
カーティスは本来であれば目を合わせることすら憚られるような相手だが、この国が小国であることもあり、王族と臣下の距離は比較的近い。
カーティスが堅苦しい対応を好まないこともあり、節度ある軽口であれば咎められることはなかった。
エレインとその弟分のロイは、孤児院にいた頃に第二王子妃が拐かされそうになったのを未然に防いで、カーティスに拾われた子供だ。二人を王宮に連れ帰り、ロイを魔法士団に入団させ、エレインの希望通り騎士団に入団させた。
ただの孤児に何彼と世話を焼いてくれたのはカーティスだった。
◇
騎士団に入団してからのエレインは、他の騎士に負けないように置いて行かれないようにと必死だった。いくら鍛錬を重ねても、骨格や筋力に差のある女性の体では男性に適うことはない。
「瞬発力は高いんだよ。体重が軽いせいか動きは俊敏だもんな」
「剣筋もいいんだよ。避けられない所に打ってくるのは素直に凄いと認める。でも剣が軽いからすぐに落とせる」
「鍛えても鍛えても、筋肉が付かないんだから仕方ないじゃない! 私だってあんた達くらい筋肉付けて、重たい剣を振り下ろしてみたいのよ!」
訓練の休憩時間、他の騎士からの助言に耳を塞ぎたくなった。
「そう言えば、西の魔獣ってうちの隊が討伐に行くの?」
同僚がそうだと頷いた。
「昔は出現が数十年に一度くらいだったのが、近年は増えているみたいだな」
魔獣とは魔性の魔力を帯びた獣だ。炎を吐くものや、毒針を放って攻撃するものもいる。凶暴で見境なく人を襲い、人里を荒らす。ただの獣とは違い知能も高いため、喰うためだけではなく面白がって人を襲うことすらある。
農民などで結成せれた自警団などでは到底太刀打ちなどできず、魔獣が出たと報告があれば騎士団で討伐隊が組まれ、現地へと派遣されることになっている。
ひと月前も北の水辺に魔獣が出て討伐隊が派遣された。重傷者は出たものの、幸い死者を出すことなく任務を終えることができた。
魔力を持つ魔獣相手には騎士だけでは対処できないことも多く、魔法士も同行することになっている。魔法士は魔獣の吐く炎を氷の楯で遮断したり、負傷者が出た場合は治癒魔法でその傷を癒すのだ。
休憩開けに隊長から正式に西の森への討伐指示が下り、翌朝早朝に出立することになった。野営の準備や食料などを荷馬車に詰め込む者、厩舎で軍馬の準備をする者に分かれ翌朝に備える。
湿った朝靄の中、王宮の中庭に魔獣の討伐隊が整列している。騎士が二十名、魔法士が五名。大型の魔獣ではないため小規模編成だ。
カーティスが討伐隊に言葉をかけ、騎士団の討伐部隊は騎士は騎乗する者と馬車に乗る者に分かれ、目的の西の森へと向かう。
エレノアが荷馬車へ向かおうとすると、同僚の女騎士が声をかけてきた。
「あれ見てよ」
女騎士が示した方を見ると討伐隊の一画に、魔法士団の一行がいた。黒と灰色のローブが混じった中に見知った顔を見つけ、エレインの顔が曇った。
「……ロイか」
「女どもが色めき立って、見ていられないわ」
普段であれば厳かに出立するはずが、任務の下りていない女騎士や、王宮の使用人までもが魔法士団の見送りに出てきている。目当ては美貌の魔法士と名高いロイ・フィーザー。
「さすがは美貌の魔法士様ね」
錆色の髪をした十六歳になるロイは、よく知ったエレインであっても見とれてしまうほどに美しい。
鼻筋が通った中性的な顔立ちに、金色の大きめの目が長めの前髪から覗いている。幼さを残したままの少年がひとたび王宮を歩くだけで、王宮で働く女性や貴族令嬢から溜め息が漏れる。
「あの子も行くの?」
「みたいよ」
エレインはふいっと目を逸らすと予定通り荷馬車へと乗り込み、荷物の隙間へと体を滑り込ませた。
今までは一緒の任務を受けることなどなかったのに、と舌打ちしたい気分になった。
騎士団だけは自分の場所だと安心していたら、とうとう職場にまでロイが浸食してきた。
できるだけ顔を合わせないようにしようと考えている内に、エレインはすっかり荷物に挟まれて寝入ってしまっていた。
「よくもまあ、あんな劣悪な環境で眠れるものよね」
目的地に到着して馬車降りたエレインが、腕を伸ばして体をほぐしていると、呆れた顔をした女騎士が声をかけてきた。
エレインは環境が変わると眠れないなどという繊細な神経は持ち合わせていない。夜になれば寝て、昼間でも眠れる時には寝る。
しかし昨夜は、なかなか寝付けない理由がエレインにはあった。
◇
王都から西へ半日の場所にその森はあった。近くにあるのは人口の少ない小さな村のみ。
森の木々や薬草を売って生活している村にとって、魔獣の出現は生活が脅かされるものだった。すぐさま領主は討伐隊派遣の要請を行った。
森から少し距離を置いた場所に天幕や竈の準備をすると、討伐隊の一部は警戒しながら森の中へ入って行った。薄暗い森の中は身を隠す場所が多すぎて、常に警戒しながら先へと進んだ。
魔法士が魔獣の気配を探りながらゆっくりと奥へと進み、その周りを数人の騎士が魔法士を守るように歩く。騎士と魔法士で編成された数組が森の中を探索する。
「討伐隊にお前の弟もいるんだな」
「いるみたいね」
黙々と警戒しながら歩いていると、隣の騎士が小声でエレインに話しかけてきた。
「みたいねって、仲悪いのか?」
「姉離れを推奨しているだけよ」
フィーザーはエレインとロイが王宮に引き取られた際に与えられた名字だ。同じ名字名乗っているため、本当は赤の他人だと知る者は意外に少ない。エレインもあえて言うこともなく、周りの勘違いをそのままにしている。
しばらく森を進んでいると、ぴたっと魔法士が足を止めた。振り返った魔法士が口に指を当てて静かにするよう促すと、騎士達に緊張が走った。エレインも腰に佩いた剣を抜くと、辺りに注意深く視線を巡らせる。
魔法士が魔獣の気配を察知した後すぐに、その魔獣はエレイン達の前に姿を現した。
木陰から現れた狼ほどの大きさをした魔獣が、硬そうな毛並みを逆立てながら唸っている。毒を含んだ瘴気を吐きながら地を蹴って襲ってくる獣に、いち早く反応したのはエレインだった。
襲いかかって来た魔獣に一撃を与えたものの、エレインの軽い剣では致命傷を与えることができない。すぐに二撃目、三撃目を放った他の騎士達によって、ようやく魔獣が動きを止めた。