五・六、廃太子要請、酒色に溺れる息子
5.
惠帝之為太子也,朝臣咸謂純質,不能親政事。瓘每欲陳啟廢之,而未敢發。後會宴陵雲臺,瓘託醉,因跪帝床前曰:「臣欲有所啟。」帝曰:「公所言何耶?」瓘欲言而止者三,因以手撫床曰:「此座可惜!」帝意乃悟,因謬曰:「公真大醉耶?」瓘於此不復有言。賈后由是怨瓘。
(訳)
恵帝(司馬衷)が太子となると、朝臣は咸、
「純粋かつ質朴であらせられ
政治をご自身でおこなうことはできません」
と言った。
衛瓘はつねに恵帝の廃位について
啓上しようとしてはいたものの
思い切って発言する事ができずにきた。
その後、陵雲台にて宴会が催された際に
衛瓘は酔っ払ったことに託け
そこで帝の座する前に跪拝して述べた。
「臣には啓上したき事がございます」
帝は言った。
「貴公は何が言いたいのかね」
衛瓘は言おうとして
やめる事が三度に及ぶと、
そこで、手で座を撫でて言った。
「この座を惜しまれるべきです!」
帝は内心で(衛瓘の言いたいことを)
悟ったが、そこでごまかして言った。
「貴公はまことに酔いすぎではないのか?」
衛瓘はこうして、
二度と言おうとはしなかった。
賈后(賈南風)は
この事から衛瓘を怨んだ。
6.
宣尚公主,數有酒色之過。楊駿素與瓘不平,駿復欲自專權重,宣若離婚,瓘必遜位,於是遂與黃門等毀之,諷帝奪宣公主。瓘慚懼,告老遜立。乃下詔曰:「司空瓘年未致仕,而遜讓歷年,欲及神志未衰,以果本情,至真之風,實感吾心。今聽其所執,進位太保,以公就第。給親兵百人,置長史、司馬、從事中郎掾屬;及大車、官騎、麾蓋、鼓吹諸威儀,一如舊典。給廚田十頃、園五十畝、錢百萬、絹五百匹;床帳簟褥,主者務令優備,以稱吾崇賢之意焉。」有司又奏收宣付廷尉,免瓘位,詔不許。帝后知黃門虛構,欲還復主,而宣疾亡。
(訳)
衛宣は公主を娶るも
しばしば酒や色(に溺れること)が
過剰な事があった。
楊駿はもとより衛瓘と不和であり
一方で自身が権力を独占せんとした。
衛宣がもし離婚したならば
衛瓘は必ず位を辞すると考え、
こうして遂に黄門らとともに彼を非難し
帝に宣公主を取りあげるよう諷諭した。
衛瓘は恥ずかしく感じるとともに
懼れを抱き、老いている事を理由に
官位を辞退した。
かくて詔が下された。
「司空の衛瓘の年齢は
致仕(退官)には満たないが、
遜譲して年をかさね、
精神や意思が衰えぬうちに
本懐を遂げようとしている。
きわめて真摯なる風格は
実に我が心を感動させた。
今、そのこだわりを聴き入れて
位を太保に進め、
公位を以て第に就かせよ。
親兵百人を支給し、
長史、司馬、従事中郎の掾属、
大車、官騎、麾蓋、鼓吹など
諸々の威儀を配置する事は
旧典と一切合切同様にせよ。
廚田十頃、園五十畝、銭百万、
絹五百匹を支給せよ。
座敷や帳、簟や褥の
主たる者はゆたかに備えさせる事を
務めとして、吾の賢者を尊崇するという
意思をかかげるように」
有司は再度上奏し
衛宣をとらえて廷尉に付託し
衛瓘の位を召し上げようとしたが
詔により許可されなかった。
帝は、その後
黄門による虚構であった事を知ると
公主を帰して復縁させようとしたが、
衛宣は病疾で亡くなってしまっていた。
(註釈)
289年11月、司馬炎が病で倒れる。
そうなると、誰を遺命の場に呼ぶか、
後継者の補佐を誰に託すか、
今後のキャスティングボードを
握るのは誰になるのか、
という話になってくる。
楊駿(皇后楊芷の父)は、
対立している衛瓘を失脚させようと
酒と色事に溺れているという
息子の衛宣に目をつける。
衛宣は素行不良であるから
公主と離縁させるよう唆せば
衛瓘は引退を申し出ると踏んだが
果たしてその通りとなった。
衛瓘の六人の男子は、
叔父に位を譲る清廉さで
称えられたんじゃなかったっけ。
それとこれとは話が別ってか。
ところが司馬炎は衛瓘の態度に感動して
おそらく楊駿が考えていたより
良い待遇での引退を許した。
有司は官位の剥奪を願い出るも
司馬炎は許可を出さない。
これが、武帝紀によると
290年春正月の出来事。
衛瓘も70歳近いから
そろそろ政界から身を引いて
余生を過ごしたいとこだったんだろうけど、
あとから讒言であることがわかり
結局復帰する羽目になった。
ここで完全に下野してれば
もう少し長く生きられたかも。
衛宣は直後に病死してしまっており
この逸話のためだけに
作られたキャラみたいな印象。




