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淡々晋書  作者: ンバ
第八十二、孫盛伝
274/313

一、太原からきた清談家

三国志の裴註でおなじみ、孫盛です。

1.

孫盛,字安國,太原中都人。祖楚,馮翊太守。父恂,潁川太守。恂在郡遇賊,被害。盛年十歲,避難渡江。及長,博學,善言名理。于時殷浩擅名一時,與抗論者,惟盛而已。盛嘗詣浩談論,對食,奮擲麈尾,毛悉落飯中,食冷而復暖者數四,至暮忘餐,理竟不定。盛又著醫卜及易象妙於見形論,浩等竟無以難之,由是遂知名。

(訳)

孫盛そんせいは字を安国あんこく太原たいげん中都(ちゅうと)県の人。

祖父の孫楚そんそ馮翊ひょうよく太守、

父の孫恂そんじゅん穎川えいせん太守であった。

孫恂は郡に在って賊と遭遇し

殺害されてしまった。


孫盛は十歳のとき

難を避けて長江を渡った。


成長するに及んで

博くを学び、言論に長け、

名称と道理の是非を分析する

清談家となった。


この時、殷浩いんこうが一時の名声を独擅していたが

ともに論を以って対抗できた者は

ただ孫盛のみであった。


孫盛が嘗て殷浩を詣でて談論した際、

食事に対し(て目もくれず)

力一杯振るった払子ほっすの毛が

悉く飯の中に落ちてしまった。

食事が冷め、再びあたたかくなる事が

再三再四に及び、暮れに至っても

飲み食いの事などは忘れており

理論はついに決着を見なかった。


孫盛は一方で

医学と卜筮について言及した

「易象妙於見形論」を著した。


殷浩らはとうとう

これを非難する事ができず、

この事で遂に名を知られた。


(註釈)

三国志の裴註でお馴染みの孫盛そんせい

東晋の軍人(兼歴史家)。

彼の文章は言い回しが小難しい。


「石に漱ぎ流れに枕す」の孫楚そんそは祖父。

祖父の方も晋書に列伝あり。


ホームの太原郡はもろ匈奴の本拠地。

孫盛は10歳のとき、

永嘉の乱を避け江南へ逃げた。


生活は困窮していたようだが

成長して清談にはまり、

桓温かんおんの竹馬の友、殷浩いんこうとともに

弁舌の剣で切り結んでいた。


殷浩の家に乗り込み、

食事も忘れてああだこうだと激論を交わし

手にした払子をブンブン振るう

ヒートアップぶりで、

抜け落ちた(払子の)毛が

食事に入り込むほどだったという。


医学と卜筮の書「易象妙於見形論」を

著した際に、殷浩は論破できなかった。

が、劉惔には論破されたらしい。


裴松之も孫盛の論を引用したあと

結構否定してくるので

(呉書18の評、姜維伝など)

なんとなく論破されてる側

というイメージが強い。


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