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淡々晋書  作者: ンバ
第三十九、王沈伝
273/313

十九(王浚伝)、名誉回復?

19.

太元二年,詔興滅繼絕,封沈從孫道素為浩領公。卒,子崇之嗣。義熙十一年,改封東莞郡公。宋受禪,國除。


(訳)

太元二年(377)に詔が下され

断絶していた家系は復興した。

王浚の従孫の王道素おうどうそ

封じられて浩領公となった。


卒すると、子の王崇おうすうがこれを嗣いだ。


義熙十一年(415)に

東莞郡公に改封された。


宋(劉裕の国)が禅譲を受けると

国は除かれた。


(註釈)

東晋の末期になってから

縁族が再度公に封じられた。


石勒に潰された影響で、少なからず

「石氏に立ち向かった晋の忠臣」

みたいなフィルターがかかったか。

それは彼にとってイイ事なのかねぇ。



王浚評価。


戦闘 ★★★★★★★ 7


和演を返り討ちにして

(雨が降ってきたのは作り話くさいけど)

鄴にいた司馬穎をボコった。


掠奪や婦女暴行をはたらく鮮卑を

ちゃんと沈静できているので

軍団指揮能力、統制能力は一級。


王弥や苟晞と同じ位でも

いいかなぁと考えたけど

その強さは祁弘や段部に頼る部分が

多かったかも? と判断して★7。



戦略 ★★★★★★★ 7


八王の乱で見せた処世術は見事、

機を見るに敏で、しっかりと

実りだけを手にしている。

段部に抜け目なく取り入ったのもうまい。

幽州に大勢力を築けたのはまぐれじゃない。


自身の実益優先で動くので

并州の劉琨と足を引っ張り合い

結果的に石勒を利してしまい、

最後まで彼の演技を見抜けず敗死した。


石勒が王浚に

笑裏蔵刀計を仕掛けたのは

石勒の母親が亡くなった

すぐ後だったのというのも

なんか意味深だ。



内政 ★★★★★ 5


後半の凋落ぶりが評価に影を落とす。

墓地を破壊する倫理はともかく

灌漑自体は別に悪くないと思うし

利殖やコスト管理には長けていた印象。


人格 ★★★★★ 5


その名声は一時期は轟き渡ったが

やはり終盤の印象がよくない。


「蔵に転がる彭祖の死体」

なんて歌作られちゃう。

.

人傑なのは間違いないんだけど

賛否の分かれそうな王浚。

ピーク時はオール★7で

孫堅孫策級だったと思います。


というわけで、

二代続けて本朝を裏切ってしまった

王沈・王浚伝でした。


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