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淡々晋書  作者: ンバ
第三十九、王沈伝
269/313

十三(王浚伝)、王劉の釁隙

13.

其後浚佈告天下,稱受中詔承制,乃以司空荀藩為太尉,光祿大夫荀組為司隸,大司農華薈為太常,中書令李絙為河南尹。又遣祁弘討勒,及于廣宗。時大霧,弘引軍就道,卒與勒遇,為勒所殺。由是劉琨與浚爭冀州。琨使宗人劉希還中山合眾,代郡、上谷、廣寧三郡人皆歸於琨。浚患之,遂輟討勒之師,而與琨相距。浚遣燕相胡矩督護諸軍,與疾陸眷並力攻破希。驅略三郡士女出塞,琨不復能爭。

(訳)

その後、王浚は天下に布告し

中詔を受けたと称して承制した。


かくて司空の荀藩じゅんはん太尉たいい

光祿大夫の荀組じゅんそが司隸、

大司農の華薈かわい太常たいじょう

中書令の李絙りかん河南尹かなんいんとなった。


一方で祁弘きこうに石勒を討たせ

(軍は)広宗こうそうに及んだ。


この時、大変な霧が発生しており

祁弘は軍を率いて

道に就こうとしたおりに

怱卒と石勒と遭遇してしまい、

石勒の為に殺される所となった。


これに由り、劉琨りゅうこんと王浚が

冀州で争うようになった。


劉琨は宗族の劉希りゅうきを中山へ戻して

衆を糾合させ、代郡だいぐん上谷じょうこく広寧こうねい

三郡の人々はみな劉琨に帰順した。


これを憂患した王浚は

遂には石勒の師団を討つ事を中止して

劉琨と互いに拒ぎ合った。


王浚はえんしょうである

胡矩こくを遣わして諸軍を督護させ

段疾陸眷と力を合わせて

劉希を攻め破った。


三郡(代・上谷・広寧)の士女を

追い立てて略取し、砦から出たので

劉琨は二度と係争できなくなった。


(註釈)

劉琨 VS 王浚


劉琨は拓跋たくばつ猗盧いろと組んで

匈奴漢に対抗しており、

上奏して拓跋猗盧を代公にしようとしたが

この代郡が王浚の直轄だったために

追い返されてしまった。


以降劉琨と王浚はバチバチになってしまう。

肩書きは両方晋臣のはずなんだけど。


王浚が独断で天子の代行を名乗ったり

石勒が祁弘を殺害した事で

(劉琨がやった事になってる?)

関係は悪化の一途をたどる。


遂に劉琨は幽州三郡の接収に乗り出し

これを煩わしく感じた王浚は

石勒をいったん放り出して

劉琨と争い始めてしまう。


ハイレベルな武官だった祁弘が

不運にも討ち死にし、

恃みとしている段部のうち

段疾陸眷と段末波は

石勒に靡いてしまい、

烏丸もちらほら裏切り始め、

王浚陣営は衰微していく。

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