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淡々晋書  作者: ンバ
第六十八、顧栄伝
254/313

七、江南の志士を紹介するよ

7.

時南土之士未盡才用,榮又言:「陸士光貞正清貴,金玉其質;甘季思忠款盡誠,膽幹殊快;殷慶元質略有明規,文武可施用;榮族兄公讓明亮守節,困不易操;會稽楊彥明、謝行言皆服膺儒教,足為公望;賀生沈潛,青雲之士;陶恭兄弟才幹雖少,實事極佳。凡此諸人,皆南金也。」書奏,皆納之。

(訳)

当時、江南の士は

いまだ悉くが才能を用いられておらず、

顧栄はまた述べた。


「陸士光(陸曄)は貞正にして清純で

その資質は金玉きんぎょくと申せましょう。


甘季思(甘卓)は忠実にして誠心を尽くし

膽略の才幹は殊に素晴らしきものです。


殷慶元の性格は大らかですが

明確な規定(聡明なるはかりごと?)を有しており、

文武において用いる事が出来ます。


わたしの族兄の公譲は

節義を守ることに明るく

困窮しても志操をえません。


会稽の楊彦明、謝行言は

いずれも儒教を服膺しており

公衆の要望を叶えるに足ります。


賀生(賀循?)、沈潜は青雲の士です。


陶恭兄弟は、才幹に乏しいと雖も

実務については極めて優秀です。


およそこれらの諸人は

みな、南方の金石にございます」


上奏されると、

これらの進言は全て納れられた。


(註釈)

東晋は、晋の皇族が

ゆかりのない江南に亡命して

興した王朝なので、

土着豪族には気を遣わざるを得ない。


「これから取り立てるべき

江南の有力人物」については

呉の四姓だった顧家に

聞くのが一番手っ取り早い。


顧栄が元帝に紹介したのは、


陸機・陸雲と同族の、陸曄りくよう

この時すでに還暦に差し掛かる年齢だが

孝行な事で顧栄から高く評価された。


甘季思かんきしは、あの甘寧かんねいの曾孫であり

陳敏をやっつけた時に

一緒に行動してた甘卓かんたく

甘寧の子供の描写アッサリだったから

お家断絶したんかと思ってたけど

よかったよかった。


殷慶元いんけいげんは呉の殷礼いんれいの孫、殷祐いんゆうのこと。

殷礼はかつて顧栄の伯父の顧邵こしょうから

高く評価されていた。

その顧邵の甥が、こんどは

殷礼の孫を推挙した形になるんだね。

殷祐は顧栄の死後、

彼を賛美する上奏文を認めている。


賀生がせい(がしょう?)はたぶん

孫権に仕えた賀斉がせいの親族。


謝行言、のとこは人名かどうか

判別できないけど、だとしたら

豫章よしょう太守の謝氏系統??


楊彦明ようげんめいは、司馬冏しばけいの部下だった頃に

「自殺してぇ……」って

漏らしてた友人です。

ここ以外には出てこないのかな?


会稽の楊氏でググったら

ヒットしたのが、

後漢末期に、零陵太守をつとめた

会稽郡烏傷県の楊琁ようせんでした。

引退を願って、家(会稽)で死んだ。

楊彦明はこの系統か?

信憑性30パーセントくらいです。


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