一・二、八王の狭間に佇む/韓信・白起の再来
石勒載記序盤の難敵、
白起・韓信に比された苟晞伝です。
1.
苟晞,字道將,河內山陽人也。少為司隸部從事,校尉石鑒深器之。東海王越為侍中,引為通事令史,累遷陽平太守。齊王冏輔政,晞參冏軍事,拜尚書右丞,轉左丞,廉察諸曹,八坐以下皆側目憚之。及冏誅,晞亦坐免。長沙王乂為驃騎將軍,以晞為從事中郎。惠帝征成都王穎,以為北軍中候。及帝還洛陽,晞奔范陽王虓,虓承制用晞行兗州刺史。
(訳)
苟晞は字を道将、河内山陽の人である。
少くして司隷部の従事となり、
校尉の石鑒からその器量を重んじられた。
東海王・司馬越の侍中となり、
招引されて通事令史となり、
陽平太守に累進した。
斉王・司馬冏が朝政を補佐すると
苟晞は司馬冏の軍事に参画した。
尚書右丞に拝され、左丞に転任して
諸曹の取り調べ、査察の立場となると
八坐以下の者はみな側目して
苟晞の事を憚った。
司馬冏が誅殺されるに及んで
苟晞もまた連座で免官となった。
長沙王・司馬乂は、驃騎将軍となると
苟晞を従事中郎とした。
恵帝が成都王・司馬潁を征伐すると
北軍中候となった。
帝が洛陽へ帰還するに及んで
苟晞は范陽王・司馬虓のもとへ走り、
司馬虓は承制して
苟晞を行兗州刺史に用いた。
(註釈)
武帝司馬炎が亡くなったあと、
超グダグダの八王の乱の時期ですね。
もう、流れ見てるとバカバカしくって
八王の事績とかいちいち
覚える気になれません。
(歴史クラスタにあるまじき発言)
ど貧乏の出身であり、
バカ八王の間を転々とする苟晞。
どいつもこいつもすぐ潰れるから
新しい就職先見つけるのが大変そう。
2.
汲桑之破鄴也,東海王越出次官渡以討之,命晞為前鋒。桑素憚之,於城外為柵以自守。晞將至,頓軍休士,先遣單騎示以禍福。桑眾大震,棄柵宵遁,嬰城固守。晞陷其九壘,遂定鄴而還。西討呂朗等,滅之。後高密王泰討青州賊劉根,破汲桑故將公師籓,敗石勒于河北,威名甚盛,時人擬之韓白。進位撫軍將軍、假節、都督青兗諸軍事,封東平郡侯,邑萬戶。
(訳)
汲桑が鄴を破ると
東海王・司馬越は
その討伐のために出撃して
官渡に宿次し、
苟晞に先鋒となる事を命じた。
汲桑はもとよりこれを憚っており、
城外に柵を設けて自衛した。
苟晞がまさに至らんとすると
軍を留めて兵士を休ませ、
まず単騎を遣って禍福を示した。
(戦って禍を選ぶか、降って福を選ぶか)
汲桑の一団は大いに震え上がり、
柵を捨てて夜中に遁走すると
籠城して守りを固めてしまった。
苟晞はその九つの砦を陥落させ、
遂には鄴を平定、奪還した。
西に呂朗らを討ち、これを滅ぼした。
その後・高密王の司馬秦が
青州の賊、劉根を討つと
汲桑ともとの将、公師籓を破り
石勒を河北に敗走させたので
苟晞の威名は甚だ盛んとなり、
当時の人は韓信や白起に擬えた。
位は撫軍将軍、仮節、
都督青兗諸軍事まで進み、
東平郡侯に封じられ、食邑は万戸となった。
(註釈)
司馬潁の復讐を挙兵の名分にしていた
公師籓・汲桑・石勒を
こてんぱんにした苟晞と司馬越。
石勒載記見る限りだと
石勒VS苟晞は
かなりいい勝負だったんだけど
司馬越の加勢で一気に形勢逆転。
普通の賊相手だったら
これで二度と浮き上がってこれない
どころか、トドメ刺してただろうけど、
石勒はその「普通」から
一番縁遠い存在だったのだ。




