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淡々晋書  作者: ンバ
第百五、石弘伝
231/313

七、天命去り、また何をか言わん

7.

弘齎璽綬親詣季龍,諭禪位意。季龍曰:「天下人自當有議,何為自論此也!」弘還宮,對其母流涕曰:「先帝真無復遺矣!」俄而季龍遣丞相郭殷持節入,廢弘為海陽王。弘安步就車,容色自若,謂群臣曰:「不堪纂承大統,顧慚群後,此亦天命去矣,又何言!」百官莫不流涕,宮人慟哭。咸康元年,幽弘及程氏並宏、恢于崇訓宮,尋殺之,在位二年,時年二十二。

(訳)

石弘は璽綬を齎して自ら石虎を詣で、

位を禅譲する意向を諭した。


石虎は言った。


「(あなたがもし天子として不適格なら)

天下の人々に自ずから議論が起こりましょうに

なぜ、自らこの様な事を論ずるのですか!」


石弘は宮殿へと戻ると

その母親に対し、流涕して述べた。


「先帝(石勒)は、実に

何をも遺す事はないでしょう」

(石勒の直系はこれで途絶える)


俄かに石虎は

丞相の郭殷かくいんに節を持たせて入朝させ

石弘を廃位して海洋王としてしまった。


石弘は落ち着いた様子で

歩いて車に乗り込み、

容色は自若としていた。


群臣に対して言うよう、


「大統を纂承(継承)するには堪えられず、

皆の将来を思うに慚愧している。


これもまた天命が去ったという事だろう。

また、何を言う事があろうか」


百官に流涕せぬ者はなく、宮人は慟哭した。


咸康元年、石弘、及び程氏、

並びに石宏、石斌は崇訓宮に幽閉され

ただちに殺された。


在位二年、二十二歳であった。


(註釈)

僅か22歳で殺された石弘。

最初から最後まで、

石虎のいいようにされてしまった。


石勒も言ってるように

将家の人間としては優しすぎたなぁ……。


ここから、349年まで石虎の時代です。


そこから先は更に楽しくカオスな

五胡十六国時代・中期へ入っていきます。


これにて石弘・張賓伝を終わります。

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