三、石虎、動きます
3.
及勒死,季龍執弘使臨軒,命收程遐、徐光下廷尉,召其子邃率兵入宿衛,文武靡不奔散。弘大懼,讓位于季龍。季龍曰:「君薨而世子立,臣安敢亂之!」弘泣而固讓,季龍怒曰:「若其不堪,天下自當有大議,何足預論!」遂以咸和七年逼立之,改年曰延熙,文武百僚進位一等。誅程遐、徐光。弘策拜季龍為丞相、魏王、大單于,加九錫,以魏郡等十三郡為邑,總攝百揆。季龍偽固讓,久而受命,赦其境內殊死已下,立季龍妻鄭氏為魏王后,子邃為魏太子,加使持節、侍中、大都督中外諸軍事、大將軍、錄尚書事;宣為使持節、車騎大將軍、冀州刺史,封河間王;韜為前鋒將軍、司隸校尉,封樂安王;遵齊王,鑒代王,苞樂平王;徙太原王斌為章武王。勒文武舊臣皆補左右丞相閑任,季龍府僚舊昵悉署台省禁要。命太子宮曰崇訓宮,勒妻劉氏已下皆居之。簡其美淑及勒車馬、珍寶、服御之上者,皆入於己署。鎮軍夔安領左僕射,尚書郭殷為右僕射。
(訳)
石勒の死に及び、
石虎は石弘を捕えて軒に臨ませ、
命を出して程遐・徐光を捕縛し
廷尉に降格させてしまった。
その子の石邃を召して
兵を率いて入朝、宿衛させると
文武の官で逃げ出さぬ者はなかった。
石弘は大いに懼れ、
石虎に位を譲ろうとしたが、
石虎は言った。
「主君が薨じて世子が立ちましたのに
臣が何ゆえに敢えてこれを乱しましょう!」
石弘が泣き、
頑として譲位しようとすると
石虎は怒って言った。
「もしそれに堪えられずば
天下は自ずから
大いに議そうというもの、
どうして予め論ずるに足るものでしょう」
かくて、咸和七年に
逼りてこれを立て、
年号を改めて「延熙」とした。
文武百僚は位を一等進められ、
程遐と徐光は誅殺された。
石弘は策文にて
石虎を丞相・魏王・大単于とし、
九爵を加えて、
魏郡ら十三郡を食邑とした上で
百官を総統させた。
石虎は偽って固辞し
久しくしてから命を受けると、
石邃を魏太子として
使持節・侍中・大都督中外諸軍事・
大将軍・錄尚書事の官職を加え、
石宣を使持節・車騎大将軍・
冀州刺史として河間王に封じ、
石韜を前鋒将軍・司隷校尉として
安楽王に封じ、
石遵を斉王、石鑒を代王、
石苞を楽平王とし、
太原王の石斌を移して章武王とした。
石勒時代の文武の旧臣は
みな左右の丞相に補されて
閑職に任じられてしまい、
石虎の府の官僚や
旧くから昵懇であった者は
悉くが台省や禁中といった
枢要に署された。
命じて太子の宮殿を崇訓宮と号し
石勒の妻・劉氏以下全員を
そこへ居住させた。
その美淑、及び石勒の車馬、
珍宝、服御の上物は
みな自分の部署に取り入れた。
鎮軍の夔安に左僕射を兼任させ、
尚書の郭殷を右僕射とした。
(註釈)
石勒が死んだ途端に
野心を露わにした石虎。
手始めに石勒時代の重鎮であった
程遐と徐光を捕えて殺害。
石弘に力関係をわからせると
親族と息のかかった人間を重職に任じ、
石勒の遺産をそっくり収め、
うるさそうな太后は幽閉して
体制を固めてしまいます。
即位をすすめられても
形式上、3回は断らないといけない。
石虎とて例外なく。
石勒18騎のひとり、夔安は
石虎を早くから支持してるくさい。
逯明や孔萇も同様のようで
現場の人たちの評価としても
やはり白面の2代目よりも
前線で命張ってきた石虎が
後継者でいいんでない、って考えになりそ。
次回、太后が石虎を殺そうとします。




