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淡々晋書  作者: ンバ
第八十二、司馬彪伝
216/313

一、好色薄行の歴史家

1.

司馬彪,字紹統,高陽王睦之長子也。出後宣帝弟敏。少篤學不倦,然好色薄行,為睦所責,故不得為嗣,雖名出繼,實廢之也。彪由此不交人事,而專精學習,故得博覽群籍,終其綴集之務。初拜騎都尉。泰始中,為秘書郎,轉丞。注莊子,作九州春秋。以為「先王立史官以書時事,載善惡以為沮勸,撮教世之要也。是以春秋不修,則仲尼理之;關雎既亂,則師摯修之。前哲豈好煩哉?蓋不得已故也。漢氏中興,訖于建安,忠臣義土亦以昭著,而時無良史,記述煩雜,譙周雖已刪除,然猶未盡,安順以下,亡缺者多。」彪乃討論眾書,綴其所聞,起于世祖,終於孝獻,編年二百,錄世十二,通綜上下,旁貫庶事,為紀、志、傳凡八十篇,號曰續漢書。


(訳)

司馬彪しばひょうは字を紹統しょうとう

高陽こうよう王の司馬睦しばぼくの長子である。


宣皇帝の弟・司馬敏しばびん

後継として出された。


少くして篤学で倦まなかったが

好色・薄行で、

司馬睦から責められる所となり、

故に後嗣となれなかった。


名族の出継(継子を廃して他者の嗣子とする事)

であったが、実際にこうして

廃嫡される事になったのである。


司馬彪はこの事に由来して

人と交流せず、専ら学習に精を出していた。


故に諸々の書籍を博覧し

総集のつとめをやり遂せた。


当初は騎都尉きといに拝された。


泰始たいし年間(265〜274)に

秘書郎ひしょろうとなり、じょうに転任した。


荘子そうしに註釈をつけて

九州春秋きゅうしゅうしゅんじゅう」を作成した。


これを以て主張するには、


「先王は史官を立てて時事を書かせ、

善悪を掲載する事で

※沮勧(勧善)を為しましたが

世を教化する要点を押さえておられました。


『春秋』が修正されなかったのは

則ち仲尼ちゅうじ(孔子)がこれを理めたからです。

関雎かんしょおわるのは則ち

師摯ししがこれを修めたからです。

(※師摯=魯の名楽師。

彼の演奏する「関雎」は孔子を唸らせた)


前代の哲人が

どうして煩瑣を好みましょう。

蓋しやむを得なかったのです。


漢氏の中興から建安の終わりまで

(光武帝から献帝まで)

忠臣・義士もまた明らかでしたのに

当時には良い史官がなく

記述が煩雑でありました。


譙周しょうしゅう(陳寿の師匠)が

已に刪除(削除)したと雖も

なお全てが除かれたわけではなく

安帝、順帝以降は缺乏が多いのです」


司馬彪はかくて

多くの書について討論し

そこで聞いた所を纏めて

初めは世祖せそ(劉秀)から

終わりは孝献こうけん(劉協)までの

二百年分、十二世代を記録し

上下を綜合、庶事を旁貫して

紀・志・伝の凡そ八十編を編纂し、

号して「続漢書ぞくかんじょ」といった。


(註釈)

司馬彪は

司馬懿(二男)の弟の司馬進しばしん(六男)の孫。


スケベで素行不良だったので

字はぐなのにも関わらず、

後嗣から下ろされてしまった。


続漢書ぞくかんじょは、三国志の註釈に

たまに出てきたり、

范曄後漢書にない志の部分を

補填していたりするのですが、

司馬彪の著作だったんですねぇ。


司馬懿の弟、司馬孚しばふの後継から

資治通鑑の司馬光しばこうが出てるので

そう考えるとスゲーな。


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