33 一歩踏み出せば、それは名前のある感情
時は約一時間ほど前に遡る――――
中央大陸北東の国、エリベルア王国の北端にいた冒険者が、最寄りの町のギルドから中央大陸北部方面の各冒険者ギルドへ電報を飛ばした。
リレー形式で伝わったのは、『ノデールク消滅。無色』という短文。
『ノデールク』とは中央大陸の北の海にある島国で、人口二十万人以下の小さな国に起こった悲劇は、他国からの攻撃によるものではなく、大規模自然災害が発生したわけでもない。
その元凶こそが『無色』――『現時点では識別不能の魔王』を表す言葉だ。
被害に遭ったとされるノデールクには、ランクS冒険者も滞在していたのだが、安否は不明。そのため、近隣国のランクS冒険者に緊急対応が要請された。
エリベルアの西の隣国であり、薄雪荘が転移した国でもあるグノレノク民主国のギルドにも、その情報は到達している。
暫定的に【朽葉の魔王】と命名された赤い肌の人型魔族は、その後、海を超えて南下すると、再びエリべルア王国に上陸。
魔王単体であれば隣国まで一時間かからずに移動可能だが、監視担当のランクA冒険者の報告によると、配下に加える魔族を増やしながら、ゆっくりと進行しているようだ。
逃げも隠れもしないその大胆な行動は、冒険者への挑発だろう。
いずれにせよ、予想される目的地は――――
§
充実したリハーサルを終え、【カルペ・ディエム】は一旦町へと戻る。
「このまま泊まっていけばいいのではないか?」という静香の問いに、メリンダが答えた。
「食料の問題もありますが、彼等にも家族がおりますので」
「なるほど。『ディナーは家族と一緒に』ということだな」
するとメリンダが静香の耳元に唇を寄せ、小声で囁く。
「別れは唐突に起きるものなのです」
静香は無言で首肯し、朗らかな笑顔を浮かべるミュージシャン達を見る。
薄氷の上にある命――――そう思うには、あまりにも自然体なのだ。
そんな彼等に向けて、静香が大きな声で言う。
「みなさん! 明日は元気一杯楽しみましょう!! はい、渡辺氏!」
渡辺が同じ内容を復唱すると、みんな笑顔で応える。
「ヨロシク!!」
慌ただしく始まって終わる日々――今日も変わらず。
夕食時はあまりの雅人弄りに、しまいには「乃愛! 好きだあぁぁぁっ!」などと叫び出し、耳まで朱に染まった乃愛にビンタを喰らうという大惨事に発展した。
そんな様子を少し離れた場所で眺めていたレオノーレに、聖隆が歩み寄る。
「まだ感傷に浸るには早いんじゃないか?」
「そんなのじゃないわよ。ずっとマイペースな人達だなって……」
「この世界で一年、十年暮らすのとは違うんだ。ああやって騒いでいないと、不安なのかもしれないぞ?」
「そうかもね……だけど、ちょっと羨ましいかも」
「一緒に馬鹿騒ぎしたいのか?」
「そうじゃなくて、聖隆がね」
「僕が? どうして?」
レオノーレは質問には答えず、立ち上がって住人達の集まる場所へ向かった。
「難しい年頃だなあ……」
「まったくだな」
聖隆の隣に颯波が立っていた。
「気配を消していきなり現れないでくださいっ!!」
「ちと問題が起きた。北の国、ノデールクが消し飛んじまったらしい」
「っ!? 今日ですか?」
「そうだ。俺が行ってやれたらよかったんだがな……悪いことをしちまった」
「でも向こうにはミュリエルさんが――まさか……」
「それだけの相手ってこった」
ミュリエルとは、颯波と同じランクSの女性冒険者だ。
それほどの実力者が守りきれなかったからこそ、国がひとつ消えた。
顔色を失う聖隆の肩を叩き、颯波が言う。
「これ以上は俺達が続かせねえ。――そうだろ?」
「は、はい。ですが……僕にはまだ実力が足りません」
「誰がお前さんに魔王と戦えって言ってんだよ。やることがあんだろ?」
「――はい!」
なんの力も持たされずに転移させられた人々――
彼等を守るのも、冒険者の仕事だ。
「やあ、聖隆氏。そんなところに一人で立って、どうしたんだ?」
既に颯波は立ち去った。
聖隆は、努めて明るい声で静香に答える。
「寂しくなるなあ……って噛み締めていたんですよ、一人で」
「そんなに私のことが!?」
「なんで一人に限定されるんですかっ!? みんなですよ、みんな!」
「私も寂しいぞ? どうにかこの世界に残れないだろうか?」
「そう考えるのは、一人に限定されるでしょうね……」
「命を燃やし尽くすように生きたいわけではないぞ? 私は享楽的なのだ」
「他のみなさんと日本で人生を謳歌してください」
「ならばこの世界を諦める代わりに、聖隆氏にもひとつ言わせてもらおう」
「なんですか?」
「聖隆氏が死ねば私が悲しむ。みんなも悲しむ。それを忘れないで欲しい」
「はい……ありがとうございます」
「いや、そこは感謝ではなく、もっとこう、一人の男として――」
「あー。静香ちゃんまで逢い引きしてるー!」
酔っ払って上機嫌の紗苗がやってきた。
鋭い観察眼を持つ女性だ。泥酔状態でなければ、二人の微妙な距離感を察していたことだろう。
「『まで』とはなんだ? 明日が本番だというのに浮かれすぎだ。部屋に戻るぞ」
「明日本番なのー? 静香ちゃんエロエロエロエロー」
紗苗の口からキラキラしたものが――
聖隆と同じ表情で顔を見合わせてから、紗苗を引き摺って連れて行く静香の後ろ姿を見ながら、誰にも聞こえない声で聖隆が呟く。
「うーん……本当に感謝してるんだけどなあ」
同時刻――腕を組み仁王立ちする乃愛の前で、土下座している人物がいた。
「ついテンパって錯乱状態になりました。本当にごめんなさい」
「人生最悪の日だよ……」
「わたくしめは、どのようにいたしますればよろしいのでしょうか……」
「卑屈になれば許されると思ってるところが、もう無理」
付き合い始める前に破局を迎えつつある二人にレオノーレが歩み寄り、ひれ伏す雅人を指し示しながら、乃愛に向けてひと言。
「モラッテイイ?」
「ちょっと!? ノーレまで錯乱してるの?」
「ニホンゴワカリマセン!」
「俺……せめてもの罪滅ぼしに、この世界に残るよ」
「消えるでしょ!?」
何がなんだか分からない混沌に叩き落とされる乃愛。
レオノーレは立ち上がった雅人に付いた土埃を払い、左腕にしがみ付いた。
「なっ!?」
「レオノーレ……ごめんな、残ってやれなくて」
「日本語っ!?」
あわあわする乃愛に、腕を離してくるりと一回転したレオノーレが言う。
「オワルノハ、カンタン」
「ノーレ……」
そのまま歩き去ってしまったレオノーレを、呆然と見つめる乃愛。
レオノーレが伝えたかったことを理解したのか、雅人は真剣な表情で乃愛に向き合う。
「俺はほんとにダメだなあ。レオノーレにも無理させた……男と接触するのが苦手なんだろ? 俺の腕を掴んだ手が震えてたし、以前にも思い当たることがある」
「うん……『話したくない』って言ってたけど、たぶん家庭内暴力だと思う」
「レオノーレにもちゃんと謝るし、乃愛にもちゃんと謝る。ごめんなさい」
「もういいよ。私、Sじゃないし」
「えっ!?」
「どういう意味!?」
「俺は乃愛に助けてもらいたい」
「……どういう意味?」
「もっと他人の気持ちが分かる人間になれるように――」
「無理」
「そんな!?」
「私の気持ちは分からなくていいから」
「じゃあ俺の片思いってこと?」
「さあね?」
笑顔でそう言うと、レオノーレの後を追って走り去る乃愛。
プラスになりかけていたのがマイナスになり、再びプラスマイナスゼロに戻っただけの状態だが、雅人は穏やかな顔で見送っている。
たったひとつ――それさえあれば、彼は幸せな気分になれるのだろう。
「ノーレ!!」
「ヘンペック」
「違うって言ってるでしょ!?」
乃愛はレオノーレに追い付き、笑顔の二人が夕暮れの中を部屋に戻っていく。
他の住人達も各々部屋に戻り、いつものように聖隆だけが外に残る。
賢也の部屋も、明日が大事だからなのか紗苗が酔い潰れたからなのか、静けさを保ったまま時間が流れていく。
ところが――――
「う……」
「うるせえなっ!!」
夜中に騒音問題が発生する。音の発生源は二〇三号室。静香の部屋だ――
隣室の雅人と篤志がクレームのために、本来は禁止されている行動に出る。
ノックされたドアを開け放った静香は、肩から妖怪ギターをぶら下げていた。
エレキギターの素音だけなら小さいはずが、電池で使える小さなアンプに、くるくると巻かれたカールタイプの『シールド』と呼ばれるコードが繋がったものを、左手に携えている。
「なんでオタ女が練習してんだよ……」
「昼の演奏見てやりたくなったとか?」
「いやいや、今から彼等に混ざるのは無理だろう。触発されたのは事実だが」
「『妖怪ギター漫談』ってことでいいんじゃないですか? 前座で」
「誰が前座のギター漫談で大ウケだ! 失敬だな雅人君は!! 弾けるのはたったのワンフレーズだからな。さっき別のポジションでも弾けるようになったが」
「大ウケとは言ってませんよ……そのフレーズだけでどうにかなる曲なら、大丈夫なんじゃないですか?」
「そんな曲あるのかよ?」
「知らないのか!? 『素人でも弾きたくなる世界三大フレーズ』の一つなのに」
「それって論争が起こる面倒臭いパターンのやつでは?」
そんな論争があるかは別として、『リフ』とも表現される同じフレーズを繰り返す演奏は、世界的に有名な曲の中にも数多く存在する。
賢也ならば知っている可能性はあるが、目下の問題は時刻と音量なのだ。
「とにかく明日も早いんですから、音は小さくして、早めに寝てください」
「そうだな、すまなかった。小さな音で弾きながら寝よう」
「器用すぎでしょ!?」
「オタ女の場合、そのまま朝になったら弾きこなしてそうだけどな」
「『有り得ない』とは言い切れないとこが怖いんですよ……」
呆れる二人が部屋に戻ってからは、問題になるほどの音は収まった。
明日は朝から【カルペ・ディエム】がやって来て、昼過ぎには観客が来る。
異世界で丸一日を過ごす最後の日を前に、ぐっすり眠る者、寝付けない者。
それぞれの夜が更けていく――――
五日目終了。




