32 熱く甘く、楽しく感傷的に
小規模だが音楽演奏特化型のステージが完成した。
観客の収容人数は、詰めて昇降用の階段を含めても二百名に満たないが、演奏側の音量を考慮して、この規模が最適と判断したのだろう。
半楕円形のステージの広さは、奥行と幅がおよそ十五メートル。
高さはおよそ八十センチで、左右に階段がある。
「とにかく音を出してみよう。時間もないからな!」
冒険者を引退し、運動不足体型の渡辺が汗を流しながら指示すると、【カルペ・ディエム】のメンバー達が自分の担当楽器を手にステージへ上がっていく。
ステージ前に立ち、腕組みをした颯波が言う。
「硬度は部分的にも変えられるし全取っ替えでもすぐにやってやる。気になる点は遠慮なく言え!!」
「へい! 親方!!」
「誰だ今のは!? 俺ぁ棟梁じゃねえぞ、この野郎!!」
言いながら笑みを浮かべている。そして犯人は無関係のシャツ裏表女である。
現代のバンドのようにミキサーを通して音を調整するわけではないし、他の楽器との音量バランスが難しいドラムセットも存在しない。
自分の担当楽器を鳴らして、どのぐらい響くか、届くかを調べるだけなのだが、残響が強すぎたり音の抜けが悪かったりすると、やはり拘りが出てくるのだろう。徐々に熱が入り始めている――
観客席に座って眺めている雅人達にも、渡辺の声が飛ぶ。
「聞こえにくい楽器があったら言ってくださーい!!」
静香は素人ながら気になった点を遠慮なく指摘し、颯波が床や壁の硬度や表面構造を調節して音の響きを変えていく。
「乃愛もトランペットの響きとかチェックしてみたら?」
相変わらず鈍い雅人の言葉に、左隣に座る乃愛は「いい」と答える。さらにその隣に座っているレオノーレは、「ほんとに?」と尋ねている。
『何かおかしい』と感じていたとしても、雅人達はその違和感に至るまでの経緯を知らないのだ。
すると雅人の右隣に大家が座り、視線はステージを見据えたままで言う。
「見なよ、いい歳した大人がバカみたいに走り回って。だけど、もし『いいバカ』と『悪いバカ』があるなら、あれは『いいバカ』なのかもしれないねえ」
「『バカ』は外れないんですか?」
「小賢しい人間には、あんな楽しそうな顔はできないだろうよ」
「そういうもんですか……」
「私は――」
喧騒の中、かろうじて聞き取れる程度の小さな声で、乃愛が切り出す――
「ああいうのがないから……分かんないから……」
「なくてもいいんじゃないの?」
「雅人君には分かんないって……」
「それも含めてだよ。俺だって乃愛が何を抱えてるのか知らないけど、乃愛が楽しそうにしてたら俺も楽しい。それでよくない?」
「なんで楽しいの?」
「それを俺が分かってたらこうはなってないだろ」
「何それ……」
気にかけてくれる人がいる――中学生時代の乃愛もそうだったのかもしれない。
けれどそれは目指す場所が同じだからで、「みんなで行こう!」と言われても、やはり同じ温度にはなれなかったのだろう。
一瞬の沈黙を破って、後ろから意外な人物の声がする。
「熱くなりゃいいってもんじゃねえんだぜ?」
「それをアンタが言うかね」
「うるせえババア!! と、とにかくだ、ガーッと進むと間違ってても止まれなくなるんだよ。進む怖さより止まる怖さが上回るっつーのかな……」
「陣内さん……それで……」
「何が言いたいんだよ!? 俺は一歩一歩踏み締めながら進んでるっつーの!」
「それで……陣内さん……」
「マー坊てめえ!? 俺みたいな凡人は、『ここまで』ってのがあるんだよ」
「格闘技、辞めるんですか?」
「そ、その話はいいだろっ! とにかく乃愛は見てる方向が違うって話だ!!」
不器用ながら、正反対に立つ人間のこともちゃんと理解している。
乃愛は共に進む人間が苦手なだけなのだ。
『分かってるよ』でも『分かってあげるよ』でも同じなのだ。
だから殻に籠もるしか選択肢がなくなる。人と接触すればどちらかになる。
だが、分かる気がない、もしくはその能力が欠落している人間ならどうか――
「俺はやっぱり乃愛の演奏が聞きたい」
「どうなってほしいの? 雅人君は」
「そういうのじゃなくて、俺のためにってのはダメかな?」
「えー」
「そこまでかよ!?」
すると乃愛が雅人の顔をじっと見つめて言う。
「じゃあ、雅人君は何をしてくれるのかな?」
「え!? 俺? うーん……拍手?」
「いらない」
「ハグとか?」
「死んで」
「どうすりゃいいんだよ!?」
「私を楽しませてよ」
「どうすればいいんだ?」
「考えて」
「漫画でも描くか!」
「それいいね」
「いいのかよ!?」
「私を見てて」
「うん」
「私を見ないで」
「うん?」
「つまり――――ああ、そういう……」
「何が?」
いつのまにか、二人の周りには誰もいなくなっていた。
途端に気恥ずかしくなって「あれ? あれ?」と首を振る雅人に、立ち上がった乃愛が言う。
「告るならちゃんとしろってこと!!」
そして、レオノーレのいる場所へ走り去ってしまった――
一人取り残された雅人は、突然ボールをぶつけられたように頭をぐるぐる回して呟く。
「いや、だって、俺は……その……」
間が悪い男は、自分の感情にも無頓着だった。
なんのことはない。
自覚してしまえば、これまでの自身の行動が『そういうもの』だという事実を、受け入れるしかなくなるのだ。
篤志は言った。『進めば止まるのが怖くなる』と――
逆もまた然りで、『進むのが怖い』から止まっていたかったのだ。
乃愛はピタゴラ装置をスタートさせてしまった。
男としての不甲斐なさに頭を抱えて懊悩する雅人のところに、静香とメリンダがやってきた。
「メリンダが雅人君と話したいことがあるらしい」
「俺、英語無理ですよ?」
「だから私が代弁しよう。『困っているなら火遊びでもしますか?』だそうだ」
「極端に導火線が短い爆弾でしょそれ!?」
「『やーいヘタレー!』だそうだ」
「今、ひと言も発してませんでしたよ!?」
雅人が美女二人におちょくられているあいだも、【カルペ・ディエム】と賢也のサウンドチェックは続いていた。
ふと雅人が気付いたときには、綺麗な音が過不足なしに客席まで届くようになっている。
さらに下段の客席に視線を落とし、ニヨニヨと笑みを浮かべてこちらを見ている紗苗を発見する。その隣に並ぶのは同じポーズのイスクラだ。
「紗苗さんは愛する男性の一番カッコイイところを見ていてください!!」
「賢ちゃんはいつでもカッコイイんですー!」
大声で交わされたそのやり取りに、賢也に対する渡辺(彼女いない歴=年齢)の態度が少し冷たくなった。
楽器ごとのサウンドチェックが終わると、あらためて薄雪荘の住人と冒険者達が観客席に座り、リハーサルが行われる。
そこには何故か乃愛も参加していた。
何かが吹っ切れたのか、ただ雅人の近くにいたくなかっただけなのかは、本人にしか分からない。
打楽器の担当者は、スネアと小さなタムが二つとアゴゴがひとつにセットされたものを肩から吊り下げている。立ち位置と音響効果によって、他の楽器や生歌との音量バランスは取れていた。
賢也のソロ曲はギターと歌のみ。ライブは【カルペ・ディエム】の演奏がメインとなるが、転生した元地球人のためなのかオリジナル曲は演奏せず、地球で有名な曲をカヴァーするようだ。
楽譜は紙にコード進行を書いてあるだけの簡易的なもので、聖隆がレオノーレとイスクラ達と手分けして作った譜面台を使う。
乃愛はアドリブで参加できそうな曲に自由に入ることを許可され、渡辺や賢也と相談しながら、手渡された五線譜にその場で音符を書き込んでいる。
気難しい少女の相手など、音楽家である大人達は慣れたものだ。演奏するかしないか――それがすべてなのだから。
そして賢也だけでなく【カルペ・ディエム】のメンバーも、乃愛の技量には一目置いているようだ。
そんな光景をメリンダと並んで座って眺めていた静香が言う。
「さすがだな。普通は『ご自由にどうぞ』と言われても及び腰になるだろう」
「確かに。あの変わった楽器の演奏も見事なものですね」
「ノーサンブリアン・スモールパイプスだが、ノーサンバーランドのない世界では名称も変わるべきのだろうか?」
「地球由来でしたら、そのままでよいのでは――あら、ワーズワースですね?」
いきなり反応したメリンダが言うには、賢也が歌うその曲はウィリアム・ワーズワースの『ルーシーの歌』の一部らしい。
賢也のオリジナルではなくカヴァー曲のようで、ステージ上では金髪の女性ミュージシャンも喜んでいる。
乃愛のスモールパイプスにも歓喜していたその女性は、フィドルとボーカル担当のようだ。
賢也は時折演奏を止めて、トランペットを手にした乃愛と何か話し合っている。
「娯楽の少ない世界です。明日は大いに盛り上がることでしょう!」
「うむ。楽しみだな!!」
明日が終われば地球に戻れる日が来る――――
薄雪荘の住人達にとって本来なら喜ばしい現実も、今はまだ、すぐ開けられる箱の中に入れて、蓋をしておきたい気分なのかもしれない。
「通しで一回やっておきましょう!!」
渡辺の大きな声が響き、約一時間ほどの通しリハーサルが始まった。




