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振袖乙女。

 




 数日後の疋田屋である。


 六畳一間の畳部屋で、い汚く眠る乙女が一人。

 言わずとしれた、辻花友禅である。


 今日も今日とてお守り役の疋田守貞が起こしにくるかに思えたが。


 スパンとふすまを開けたのは、水色地に秋桜(コスモス)柄が愛らしき振り袖に、白き帯を結びし娘であった。

 この者、数日前に水色白エプロンのロリィタ服を破られし乙女、名を鹿角紬(かづのつむぎ)と言う。

 短い付き合いになるが、お付き合いくださりたし。


「お姉様っ! 朝でございます!」

「うう、連日の出動で疲れているのだ、もう少し眠らせてくれ……」

「そうでございまするか。で、ではわたくしめもお隣に……!」


 ぽうっと頬を染めていそいそと隣に潜り込もうとせし紬に、まどろみから覚醒した友禅は飛び起きた。


「か、鹿角!? 何をしている、というかなぜお前がここにいる!?」


 紬は、一転真面目な顔ですっと畳の上に正座をすると、秋桜咲きし両の振りをぽんと後ろに流し、見事な所作で三つ指をついた。


「わたくしめは野暮天変態に正装を破られ、おのれの未熟さを痛感しました。ですが、お姉様に救われ、お姉様のハイカラ姿に新たなおのれの道を見いだしたのです。つきましてはお姉様のおそばにてその心髄を手取り足取り教えていただきたく押し掛けた次第でございます」

「その話はすでに野暮天対策協会で断ったはずっ。私もまだこの道を歩み始めたばかり、教えることなどなにもないと言ったではないか。というか近いぞ鹿角」


 初期の真面目の顔もふっとばし、ぐいっとせまりくる鼻息も荒き娘を友禅は押し戻す。

 結局押し切られた、今や水色振り袖娘となった紬は残念そうにつぶやく。


「紬、と呼び捨てでかまいませぬのに」

「くどい。乙女たるもの、情報交換はしてもおのれの魅力はおのれで探求して行くものだ」

「……はい」


 しゅんと青菜のようにしおれる紬に、困り果てた友禅はぽつりと言った。


「だが、その振り袖はお前によく似合っていると思う。帯締めの紫を差し色にするとはよく考えたな」

「ありがとうございますお姉様!」


 ぎゅっと抱きついてこようとする紬をひらりとよけて立ち上がった友禅はさっさと押し出しにかかった。


「さあ、私は着替える。外で待っていろ」

「で、では私がお手伝いをば。うふふ、お姉様の柔肌……」

「いらん。と言うか、私は娘同士の色恋に偏見はないつもりだが、お前、のそれはちょっと暑苦しいぞ。もしや……」


 友禅の疑いの視線に、紬はとんでもないと首を振った。


「わたしはただお姉様への敬意と愛情があふれているだけであります! もちろん、交戦後の検査は陰性でありました!! って、お姉様~~~~!!」


 抵抗がゆるんだ紬をすかさず廊下へ押しやりふすまを閉めた友禅は、そうして衣桁にかけられし、白の中振り袖に笑いかける。


「おはよう、母者。今日もいい天気だ」


 そして、傍らにかけられし襦袢を羽織ると、箪笥の引き出しより、今日の一着を選びにかかったのであった。






 乙女色ともいうべき紅梅色に、白く染め抜かれた梅模様が愛らしき中振り袖を身につけ、ぐっと大人びた黒地の帯を結んだ友禅が茶の間に入る。

 ちゃぶ台の前ではうきうきとした紬と、手ぬぐいと割烹着が恐ろしく板についている守貞が青筋を浮かべて待っていた。


「紬、なぜそう自然に座っている」

「いいんだよ、鹿角ちゃんは朝飯の支度まで手伝ってくれたんだ。今日の卵焼きは彼女が焼いたんだぜ。お前よりもよっぽど家事能力は上だよ」

「えへへ、ありがとうございます」

「何、だと……」


 輝かんばかりの黄色も美しいだし巻き卵と、奥ゆかしくはにかむ紬を愕然と見つめる友禅を、守貞は半眼でにらみつけた。


「それよりも友禅、おせえぞ。着替えにいったいどれほどかかってんだ」

「乙女たるもの、一着を選ぶのに妥協してはならぬからな。どうだ守貞、今日も可愛かろう?」


 友禅が袖を広げてくるりと回ってみせれば、文庫に結びし帯のたれがゆらりと揺れた。


「きゃあっ可愛いですお姉様!」

「ふん。ともかく朝飯だ。今日は戦友を迎えに行くんだろう? さっさと食って行ってこい。鹿角ちゃん、で良いかい。食べるだろう?」

「はい、ありがとうございます♪」

「そう、なのだが……もうちょっと見てくれてもよかろうに」


 素っ気なく顔を逸らして茶碗に飯をよそり始めた守貞に、友禅は少々不満げに頬を膨らませる。

 その様をみた紬がおや、と言った風に首を傾げたのであった。





 **********





「もし、誰かいませんか」


 友禅たちが朝食を終えたころ、疋田屋の方から呼び声がした。

 その声に驚いた友禅と紬は、皿を流しに運ぶのもそこそこ、疋田屋の店舗へ駆けつけた。


「麗子! 退院は午後ではなかったのか!?」


 頭の包帯も痛々しいが、ピンタックのブラウスにアシンメトリーな黒のティアードスカートを合わせた、控えめなゴスロリ服を身にまとった麗子は、華やかな着物をまといし友禅を一瞬まぶしげに見つめた後、儚げにほほえんだ。


「私が無理を言って午前中にさせてもらったのです。この数日変態どもの残党狩りに飛び回ってくれたあなたに迎えに来ていただくなど、申し訳ないと思ったので」

「そんな、私とお前の仲だ。そんなこと気にしなくてもいいだろうに」

「いいえ、迷惑をかけました。そして、ありがとうございます」

「麗、子?」


 緩い縦ロールを揺らしてすい、と優雅に頭を下げたゴスロリ娘に友禅は困惑する。


「あの野暮天変態を倒してくれたことに感謝を。ですが、あの下劣男にさんざんひっかき回されたこの失態は己の身を持って償わなければ……」

「戦乙女をやめる、と言ってはくれるなよ」


 ぎくりと肩を揺らした麗子が顔を上げると、やわらかな笑みを浮かべる友禅の姿がある。


「お前が置いていってくれた編み上げブーツは、袴にとてもよく似合った。私の足にもぴったりで、初めて履いたのに靴擦れ一つしなかった。お前から借りたリボンも、私の心の支えとなったのだ。あの真正変態に勝てたのは、お前があのとき私を叱咤しに来てくれたからでもあるのだよ」

「でも、でも!」

「それにな、私が安心して背中を預けられるのは、”黒薔薇乙女”である麗子、お前だけなのだよ。

 お前以上に妖しく可憐なゴスロリを着る乙女を私は知らぬ。

 私はこれから少しずつ、和と洋を融合させた着こなしを探求したいと思う。麗子、力を貸してほしい」

「……私を、必要としてくれると。戦乙女に、戻ってくれるというのですかっ」

「ああ。だが、これからもゴスロリもロリィタも着ないだろう。……いや、もしかしたらちょっとは着るかもしれないが」


 乙女であるからな、と震える麗子に茶目っ気たっぷりに言った後、友禅は晴れやかに宣言する。


「私は着物が好きだ、振り袖が大好きだ。だが時代は変わる。着る物も変わっていく。新しい服がどんどん増えていくなかで、古き着物など忘れてしまうのかもしれない。

 だが、それならば、時代に合わせて着こなしを変えてゆけば良いだけのこと!

 古き可愛さも大事にしつつ、新しき時代を取り入れ挑戦をする事が”振袖乙女”たる私の道だ!」

「ゆ、友禅っ!」


 化粧が崩れるのもかまわず泣き崩れる戦友(とも)を、友禅はひしと抱きしめた。

 その傍らで紬がもらい泣きをハンカチで押さえる姿は一幅の絵のように可憐で美しい。


 それを奥から見ていた守貞は、ふっと口元に笑みを浮かべると。


「茶でも用意してやるか……」


 湯を沸かす為に台所へ引っ込んでいったのだった。





 **********





 散々泣いた三人乙女は、疋田屋の店内で友禅の私物の着物と麗子のトランクから出したゴスロリ服で、着こなし談義である。


「でもでも先輩! 着物は襟を抜いてうなじと半襟見せるから可愛いんですよ? 中にシャツを着込むなんて野暮ったいだけじゃないですかー!」

「いいえ、そんなことはないわ。こんな立ち襟のブラウスで小物もレースの手袋やミニハットを合わせてぐっとシックに見せれば……ね?」

「わっ、なんか可愛いかも!」

「袴をロングスカートだと思えば、ずいぶん洋小物をあわせられるのね。これにも、もう少し何かたせれば」

「ならばいっそのこと、靴下をはいてストラップシューズを合わせてみるか」

「っ! それです!」


 試しに並べてみたその組み合わせを囲み、わいわいきゃいきゃい姦しくさえずる三人娘に守貞が声をかけた。


「おおい、茶だぞ。ついでに茶菓子も用意したから取りに来い」

「ああ、すみません。つい、夢中になりまして」

「いいんだよ。まあ、うちに紅茶なんてしゃれた物はないから、緑茶にどらやきなんだがな」

「まあ、うれしいです! 甘い物は入院中に食べられなかったので」


 気恥ずかしげに横縞のニーハイソックスに包まれた足を崩して立ち上がろうとした麗子を、友禅が制した。


「私がやるよ。君は客人だ。座ってろ」

「え、ええ」


 戸惑いつつも座り直した麗子に代わり、背筋を伸ばしたまま優雅に立ち上がった友禅が、守貞について台所へ行く。

 四人分の茶碗と茶托が乗った盆を友禅が持ち、守貞がどらやきを乗せた皿を持ち上げる。


「よかったな、友禅。友が元気になって」

「ああ、本当によかったよ」

「俺もうれしいぜ。あの直後から正装用の女袴を仕立ててくれないか、っていう注文がいくつも入ってな。疋田屋の閑古鳥もしばらくはなかなそうだ」

「そう言えば麗子も、自分用の袴を仕立ててもらえないかと口にしていた」

「そうかい! 第一線で活躍する戦乙女が興味もってくれたのか」


 上機嫌の守貞は、友禅がおもしろくなさそうにちらりと見たことなど、気づかない。

 ふと、進路をふさぐように友禅が一歩前へ出てきたのを守貞はいぶかしくみた。


「どうした友禅」

「私の袴姿は、可愛かったか?」

「? 当たり前だよ。振り袖の新たな魅力を引き出したのは、間違いなくお前の功績だぜ」


 あっさりと言い放つ守貞の不思議そうな顔に、むっすりとする友禅である。


「……そう言う意味ではないのだがな」

「なにか言ったか?」

「いいや」


 ショウガナイ、守貞ノ鈍感ハ今ニ始マッタコトデハナイカラナ……

 ぼそぼそと続けられた言葉を聞き取れず、守貞が腰を屈めたそのとき。

 ふわりと乙女の甘やかな香りが鼻腔をくすぐった。


「覚悟しておけよ、守貞。必ずお前の一番になってやるからな」


 唇が耳に触れんばかりの距離でささやかれた守貞が硬直する。

 その間に衣擦れの音をさせて離れた友禅は、そのいたずらめいた瞳、桜色に染まる頬、まさしく乙女の表情でそれは愛らしくほほえんだ。

 そうして友禅が軽やかな足取りで乙女たちの園へ戻る中、ずるずると廊下へ座り込んだ守貞である。


 顔はもとより耳どころか、首までゆでだこのように真っ赤に染まっている。


「もうとっくに一番だっての……」


 ぼそりとつぶやかれたその言葉を、拾う乙女はいなかった。







**********









 赤、青、黄、白、緑が華やかに染め付けられた市松模様の着物に、赤の帯をお太鼓に結びし娘は、だが、そのおさげ髪に結んだ愛らしきリボンを揺らしながら、たそがれの街を息を切らして走っていた。

 髪をまとめるリボンが、その焦りを表すかのように左右に揺れている。


 娘が恥じらいも捨てて走ることなどよほどのことである。

 実際娘の表情は、おびえと焦りを含んでいる。


 人通りの少なき夕暮れの町、お三味線のお稽古帰りの娘は、近所の甘味処であんみつを食し、友人と姦しきおしゃべりに興じた帰りであった。

 友人は近所であったが、娘は少々家が離れており、また、母からは変態注意報がでているから早く帰っておいで、と言われていたにも関わらず、である。

 幸か不幸か、野暮天変態について口伝でしか知らなかった娘は、母の言いつけを守るために、うっかり人通りの少なき近道を選択してしまったのだ。


 明かりのなき夕暮れの道は見知らぬ道のようでおどろおどろしく、それだけで娘の心を不安にさせた。

 自然に逸る娘の足に、ひたひたと合わせるように迫る足音に気がついたのはいつだったか。

 

 気のせいかしら? でも、立ち止まるのも恐ろしい。

 いっそ、振り向いてしまおうかしら?

 好奇心も手伝って、そっと背後を窺った瞬間。

 

 娘はそれを見た瞬間、脱兎のごとく走った。

 この目に映ったものが信じられず、だが、立ち止まっては捕まると、娘は着物の裾が乱れるのもかまわず走る。


 ああ、あのような恐ろしく、おぞましいものがこの世にあっただなんて!!


 必死に逃げていた娘だが、哀れ。彼女は鈍足であったため、背後の足音に悠々と先回りされていた。


「おぉーじょぉーおぉーさぁーんん――――?」

「ひっきゃあああ――――!!」


 声をかけられた娘は驚きと恐怖のあまり草履をもつれさせ、その場にしりもちをついた。

 その拍子に足首をひねってしまった娘は、震えながら目の前の人影を涙を浮かべて見上げるしかない。

 無理もない。

 その男は、どこからどうみても変態としか言いようのない姿をしていた。


「うひょひょひょ! 良ーい髪してるねぇおじょおさん」

「っ……!!」


 恐怖のあまり声のでぬ娘にむけて、男はその犬面で(・・・)にたりと笑った。

 比喩でも何でもない。

 優雅な異国人が連れ歩くたれ耳が愛らしいはずのゴールデンレトリーバーの首そのままの男は、舌を出して荒く息をしながら、娘に迫っているのだ。

 本来のレトリーバーであれば愛らしきたれ耳で娘を和ませてくれたであろうが、この犬面にそのような愛嬌などみじんもない。

 ギョロリと血走った眼にだらしなく開けられた口は、毛深き半裸と妙に色とりどりの腰蓑一丁の姿と相まって、おぞましいの一言である。


 その舌先から、だらだらと滴る涎に、娘は着物が地面にすれるのもかまわず後ずさる。

 だがそのそぶりが気にくわなかったらしい犬面の変態は、娘の豊かなおさげ髪を鷲掴みにした。


「でぇもねぇ、なぁんでおさげ髪なんかにしてるかなぁ。ほうら見て、僕みたいなツインテールの方がずうっと可愛いだろう?」

「いたいっ!!」


 無理矢理体を起こされた娘がちらりと見やれば、確かにレトリーバー面の男の両耳には、ちょこんとリボンが結ばれている。

 隆々とし毛深い半裸に、そのリボンはシュールの一言で、見るに耐えず、娘はすぐに目をそらす。

 そこでふと気づいた。男の腰に巻かれている道具に。そして、腰蓑の正体に。


「でもまあいいやあ。これから僕が完璧にしてあげるからねえ」


 男が、娘の下げ髪を無造作に離すと、その背からメリメリと肉の裂ける音と共に新たな腕が出現する。

 新たな腕で腰に手挟んでいた道具の中から、整髪剤らしき瓶詰めと櫛を取り上げる。

 最後に色とりどりのリボンによって形作られた腰蓑から2本のリボンを引き抜いた犬面の変態は、舌をだらりと垂らしてニタニタ笑った。


「さあ、僕が可愛いツインテールにしてあげる。二度とほかの髪型にできないように、たあっぷり接着剤を使って、ね?」

「い、いやっ……!」


 櫛をベロリとひと舐めし、娘たちの命ともいえる髪を無惨にしようと迫る犬面変態に、娘が涙を散らす。


 その瞬間。

 娘の前を、白き振り袖が横切った。


「ギャオンッ!!」


 それだけは犬のような悲鳴を上げた犬面変態が脇の塀に叩きつけられるのを、呆気にとられて眺めた娘は、己の前にすっくと立つ救い主を見上げた。


「ふん、乙女の髪を乱暴に扱うなど、万死に値する」


 それは、牡丹咲き誇る中振り袖に、臙脂色の最近見始めた女袴を身につけし娘であった。

 だがぬばたまの黒髪を飾りしリボンから、足をつつみし編み上げブーツにいたるまでの一部も隙のない乙女ぶりよ。

 その和洋折衷の華やかな美しさに思わず見とれていた娘は、傍らに立った紺色の女袴と、艶やかな黒ストッキングに包まれし足とフリルにはっとする。


「わあお姉様、さすがです! 長刀であの巨体をふっとばすなんてっ」

「もう、いきなり走り出すなんて、先走るなとあれほどいったのに!」


 その紺色の女袴に、愛らしき水玉を散らした水色の中振袖を合わせた乙女と、バラのコサージュも華やかなゴシックロリィタに包みし縦ロールの乙女たちの声に、白振り袖の乙女が振り返る。


「いいだろう、麗子。おかげで新たな犠牲者がでる前に、一人の娘を助けられたんだ」

「そうではなくて、走り出すときは私たちにも声をかけなさいと行っているのです、友禅!!」

「妙に口うるさいな。守貞みたいだぞ、麗子」

「全く、ああ言えばこう言うっ!」


 そんな仲良き言葉にほっこりしていた娘は、だが塀にめり込んでいたはずの犬面変態が立ち上がったことに恐怖する。


「せっかくツインテールを増やそうとしていたのに、なんだぁお前ぇ?」

「野暮天対策協会より派遣された戦乙女だ。野暮天変態、貴様を成敗する。おとなしく治療薬の接種を受けるが良い」


 すっと長刀を構えるその乙女に対し、犬面変態はその長き口から牙をむくことで応えた。


「いやだよ。せっかくツインテールを布教する力を得たんだ。何で手放さなきゃいけないんだい?――それよりも、君もいーい髪してるねえ。でもいけないよポニーテールなんか、馬糞臭い。君からツインテールにしてあげるよおおおぉ!!」


 言うや否や恐ろしき跳躍力で乙女に迫りし犬面変態に、娘はあっと悲鳴を上げたが。


「説得できるとは思っていなかったが、しかたないな」


 ちいさく嘆息せし乙女は長刀を構えると、きっとした表情で迎え撃つ。

 その乙女のあまりの凛々しさに、娘がぽうっと見とれているうちに、勝敗は決する。


 鋭利な櫛を構えし犬面変態が、跳躍のさなかに見たのは、紫のリボンに飾られし黒き束ね髪が軽やかに匂やかにひるがえる様であった。

 その袴姿の躍動感、白き振り袖の可憐に揺れる様と相まって。

 一瞬、一瞬だけ、犬面変態は思ってしまった。

 

 ポニーテールも悪くないかも、と。


「ツインテええええええエル!!」

「乙女の結い髪は、乙女にのみ選択する権利があるっ!」


 一閃っ!!!


 振り抜かれた長刀の刃にかかった犬面変態は、その腰の道具をバラバラと散らして地面に伏す。

 見る間にほどけてゆく犬面の中で、リボンの腰蓑を残されたのは、せめてもの情けか。

 否、乙女にさらしてはならぬものを隠すためである。


「今日もすてきでしたお姉様!」

「うむ、束ね髪の良さをわかってもらえて何よりだ。だが、ついんてーるというのも悪くないかもな」

「きっとお姉様なら何でも似合いますよ!」

「いや鹿角。乙女たるもの、自分に似合うものと似合わないものの区別は厳密にする必要があるぞ」

「ですが何事も、ものは試しですよ」

「うむ。それもそうだな。だが麗子、着物を着てみると言っていたのに、全然そぶりがないじゃないか」

「それは、その……胸の収まりが悪くて」

「……すまぬ、麗子、ちょっと殺意がわいてきた」

「私っお姉様のお胸は可愛らしくて好きですよ!!」

「あ、あのっ」


 変態が倒れたと見るや姦しきおしゃべりに興じ始めた三人乙女に、娘は勇気を出して声をかける。

 乙女たちに一様に振り向かれ、娘はひるんだものの、その場に手をつき頭を下げた。


「助けていただいて、ありがとうございました」

「娘さん、逢魔ヶ刻には変態も惹かれてやってくる。次からは気をつけるのだぞ」


 白き振り袖の乙女に諭された娘はしゅんと肩を落とすが、黒きフリルに彩られし縦ロールの乙女が、すっと黒ストッキングに包まれし足を折り、娘の傍らに膝をついた。


「でも、間に合って良かった。足をひねっているのでしょう? おうちまで送っていきますわ」

「では私たちは巡回に戻ろう。紬、今度は向こうの地区だ。確かガーターストッキングの女が幼い少年を惑わし誘拐するという情報が入っている」

「それはいけませんね。でもお姉様と二人っきりの巡回ですか。うふふふ」

「……鹿角、ちょっと気持ち悪いぞ」


 縦ロールの乙女の、その妖しきも華やかな笑みにぽうっと見とれつつ、差し出された手にすがりつつ立ち上がった娘は、水色振り袖の乙女との会話が耳に入り別れを知る。

 娘は立ち去ろうとする、白き振り袖乙女に向かって慌てて尋ねた。


「あの、あなた様のお名前はっ!」


 娘の問いかけに、黒き束ね髪と深き紅の袴を翻して振り返った乙女は、それは可憐な笑みで朗らかに言った。


「私は辻花友禅。振り袖袴を愛する、戦乙女だ」






 文明開化の声も高き明治の世。

 多くの乙女がフリルとスカートをまとう中、振り袖袴を誰よりも可憐に翻し、編み上げブーツで軽やかに駆け抜けた一人の乙女の物語、これにて閉幕!!





≪完!≫



 

乙女語録



文庫結び (ぶんこむすび)……現在において、浴衣などを着る際に最も多く結ばれている結び方。格にもよるが袋帯(細帯の倍近い幅の帯)などで結べば正式な場でも通用し、応用範囲が広い。乙女の愛らしさを存分に引き立たせてくれる。


ティアードスカート (てぃあーどすかーと)……ティアード(tiered)は、段々に重ねた、積んだの意味。ティアードスカートは、段で切り替えたスカート、横に何段も切り替えたスカートをさす。乙女のロマンティックさを存分に満たしてくれる。


おさげ髪 (おさげがみ)……女性の髪型の一つ。髪を後ろに下げる髪型のこと。主に明治時代は、後ろで束ねて大きなリボンで飾るスタイルのことを指す。女学生の間で大流行した。

三つ編みお下げとはまた別。


ツインテール(ついんてーる)……女性の髪型の一つ 。左右で結ぶスタイルを指す。結び位置によってラビットスタイル、レギュラースタイルなど細分化されており、毛先の変化による派生も合わせるとかなりの種類に及ぶ、奥の深い結び方。

人気の高い萌え要素。


ポニーテール (ぽにーてーる)……女性の髪型の一つ。後頭部の高い位置で結ぶスタイルを指す。毛先が馬の尻尾のようにたれていることから。人気の高い萌え要素。しばしば野暮天変態の間でもツインテール派とポニーテール派で骨肉の争いが繰り広げられている。


乙女 (おとめ)……過ぎ去っていく少女ではなく、ただお家に諾としたがう娘でもなく、年齢を理由に諦めるでもない。自らの一念で運命を選び取る、可憐にしてしなやかな精神のあり方のこと。

稀に男子にも現れるが、素敵なものを素直に愛し、愛でる。その姿勢こそ乙女。




ご愛読、まことにありがとうございました<(_ _)>

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