わきばら
博士が逃げている間、ミツホはずっと戦っていた。
『ちくしょう……』
ブーメラン型のチェストを相手に、もうかれこれ二桁は撃墜している。
『なんで、上手くいかないんだ……』
でもそれ以上に、ミツホは疲弊していた。
『やっぱり、……がいないと駄目だよ』
ミツホはひとり、弱音を吐く。気づかぬうちに、ミツホは孤立していた。
『なんで、いなくなっちゃったんだよ』
ミツホの体力に、限界が来る。いつも以上に無理をして飛び続けた身体は、体温を著しく消費していた。
精神的にも、彼女は限界だった。
『……助けて』
**
『助けて』
博士の無線から、ミツホの声がした。
「た、助けてくれ!」
だが博士も、助けを求めていた。ミツホの声が届かなかった。
博士を追いかけるチェストは三体残っていた。波のように押し寄せ、博士を執拗に追い続ける。小回りの聞いた一体の蜘蛛チェストが、針を博士に突き刺そうとする。
「うわぁ!」
ガンッと音を立て、博士の肩にあった薄い装甲がはじけとんだ。その衝撃に巻き込まれて、博士の身体が転げ落ちる。
博士はトレインの剥がれた肩を掴んで、蜘蛛チェストを見た。
「あ、あぁ……」
赤い目玉が、無慈悲に光を灯す。もう一度攻撃を仕掛ければ、転んだ博士は避けられない。
だがそこに、思わぬ来訪者が現れた。
金属同士が擦れるいやな音が博士の鼓膜を刺激する。瞬間、二体の蜘蛛チェストが、不意に霧散を始める。
「あ……あ……」
まともにろれつが回らない博士は、それでもその音の正体を見つけた。
ミツホが、落ちてきたのだ。
ミツホは本能的に三枚の翼で自身を囲い、それによって本体は落下の衝撃から免れた。落下地点のチェスト二体と偶然衝突し、飛行速度を維持したままのトレインと衝突した。
二体の蜘蛛チェストが消えてすぐに、ミツホの翼が一枚割れた。一番の衝撃を受けた部位が壊れ、衰弱したミツホをさらけ出す。
残った一体の蜘蛛チェストが、動いた。博士よりもミツホを危険と察し、標的を変える。
博士は早くチェストから距離を取ろうと、立ち上がり背を向け、ミツホを見捨てて逃げた。
だが逃げれば、機敏に反応したチェストが動く博士を狙う。背を向けたのが、命取りだった。まだ大して距離の離れていないチェストは、ただ後ろ足を一本、針のようにして博士を狙い。
地面に、左足ごと突き刺した。
「いっ!」
苦悶の声を上げて、次は動けない博士の胸に、チェストの針が照準を合わせ、
「ふざけんな……」
ミツホのトレインである、三枚目の羽が、ブースターを吹き鳴らして、不安定に回転ながらもチェストに当った。
力の入らないミツホがした、今できる最大の攻撃だった。しかし、安定のない羽はただ、チェストの脚をふらつかせるだけだった。
「馬鹿野郎の、最低野郎だよ、あんた」
チェストが、駆け出した。たくさんの脚を動かして、突き刺さったままの博士を引っ張る。
「ばか……野郎がぁ!」
ミツホが叫び、渾身の力で立ち上がる。満身創痍の身体でも、立ち向かうことだけはやめない。
それが、ミツホだった。
博士は引きずられながら、それを見ていた。
理屈で考えれば、ミツホは立ち上がったところで何の意味も無い。プライドだけの行動に、何の意味があるのか、博士には解らない。
本来なら、博士を見捨てて逃げた方が、ずっと生き残れる。立ち上がれるのなら、博士と同じく見捨てて逃げればよかった。
「馬鹿は……お前だ」
博士が、目に力をこめて、歯を食いしばった。
足を括られた状況で、博士は正面のチェストを見る。チェストの本体である球体は上面のほとんどに目が張られている。
「馬鹿は、ミツホだ。意地ばっかり強くてさ」
博士は激痛のする脚を両手で掴み、腰を上げた。反動で針が傷口をさらに抉り、顔をしかめる。
そして何を思ったのか、刺さっていた前足を掴み、更に深く脚を突き刺す。
「いっ……でもやっぱ、俺も馬鹿野郎だ」
博士の体が、左足を支えにして少し浮いた。そしてチェストの目が無い下半分めがけて、噴射口のある足の裏をくっつけた。
チェストは構わず、ミツホへと向かう。
「支えてくれて、ありがとな!」
博士の脚裏が、爆発する。本来後ろに飛ぶその機能は、刺さった針によって支えられ、爆発はチェストに直接降りかかる。
*
日が暮れ始めた。
「痛い……」
「……」
森の中、博士とミツホは蜘蛛チェストのいた場所から動かず、揃って地面に座り込んでいた。
ミツホは冷たい目で、博士を睨む。ミツホのトレインは後ろ半分がほぼ破け、スカートが辛うじて腰を隠している。
博士は肩のトレインが少々破け、左足は、穴の空いたビニール袋にそっくりな、ボロボロなものに変わっていた。
「一世紀前なら、ばい菌が入って、高熱で倒れたりするのかな」
博士が苦笑いで言った。包帯の巻かれた左足を見つめ、現代の医学に感嘆する。
ミツホは用意していた縫合と消毒機能のついた包帯。支給されたポシェットの中に入っていた、緊急用の医療器具をくれた。
以来、歩きのつらい博士のせいで、その場森の中で立ち往生をしていた。ミツホは意外にも、博士を見捨てず同じように立ち往生。
でも博士に対して、言葉は一切なかった。
「……どうしてあれ以降トレインが追ってこないんだろうな」
「……」
「はぐれた兵に、救助隊とかってくるのか?」
「……」
話しかける博士、睨むミツホ。
互い地面に腰を下ろしながらも、まったく調和しなかった。
「困った……」
博士が言った。冗談ではなく、本当に困っていた。
一度はミツホを見捨てた身として、強いことはいえない。だからといって、このままでいいわけではない。博士はどうすれば良いのか、悩みかけていた。
ただこの状況自体に、博士は精神的な限界が来ていた。
「……なんであの時、俺を助けてくれたんだ」
避けていた話題に、触れ始める。
「俺は最初、逃げたんだぞ。そんな奴ほっておいた方がいいじゃないか。何で逃げなかった。俺なんか見捨てたって誰も咎めないぞ」
糸が切れるように喋りだして、博士は返事が来ないことで、すぐに後悔した。
だが一分くらい時間が経ったころ、本当に思い出したように、ミツホは答えた。
「……負けたくなかった」
ぼそりと、ミツホの言葉に博士は驚くも、すぐに声を返す。
「負け?」
「あそこで逃げたら、あんたと一緒だ。助ければ、あたしの勝ちだった」
「助ければ……」
博士は、理解した。
ミツホはあの時、博士が蜘蛛チェストを倒して、ミツホを助けたと思っているのだ。
助けられたこと、負けた悔しさから、ミツホはずっと黙っていたのだ。
博士は少しだけ可笑しくなって、
「そんなこ……」
そんなことと言おうとして、やめた。
「ごめん。なあ、話をしないか? 俺のそんなことなんだ」
「……」
ミツホが無言のままなので、博士は構わず話した。
「そんなことってのは、このペンダント」
博士は胸にあったペンダントを握り、ミツホの前に掲げた。
「これさ、俺の大切なものなんだ。子供の頃にレイっていう友達がいてな。そいつから貰った一個だけのもの」
ミツホの紅い瞳が、少しだけペンダントに向けられる。
博士はそのまま、ミツホの返事がなくとも、話を続けた。
「理屈で考えれば軽いもんだ。『そんなこと』に、俺はマジになって怒った。許せなかった。でもそれは、ミツホだって一緒だったかもしれない」
博士はミツホのしてきた行動を思い出す。
「ミツホがどういう感情で俺にぶつかったのかは知らない。でも、俺は君の感情を軽く扱ったりはしない。だから、何でも良いから話してくれないか? 寂しいんだ」
博士の、真摯な願いだった。
感情からの声に、ミツホは一つ溜息をついてから、適当にこたえた。
「……チェストは一定以上に人を殺さない」
夕陽が沈む前に、ミツホの右手からトレインのLEDが具現化する。
「今までチェストとの戦いで死亡者が出なかった戦闘が無かった。逆に、年に数回、基地が全滅するとき、殲滅以外は、必要以上に死人の出る戦闘も無い。あたしたちは最初に戦闘をするとき、説明される」
ミツホは膝をかかえて、じっと光を見つめる。
博士はごくりと、唾を飲んでから聞いた。
「チェストは計算して、人を殺してるのか?」
「知らない。ただ何人かは必ず死ぬ、だから戦場に出るなら覚悟を決めろ。最初にそう言われる。私達は誰かの代わりに生きているって。生き残るってことは、代わりに誰かが一定数死んだから帰ったんだ」
森が風にゆれ、ざわつくが、人の気配は無かった。
「私達は、本当の生き残りをかけて戦っている。たとえ必ず殺されるのが解っていても、あたしたちはその数に従うわけにはいかない」
「でも、俺たちが生きているのは、それのおかげなのか」
博士の直接的な言葉に、ミツホが苛立つ。
「だからあんたは嫌いなんだ」
「あ、すまん」
博士は、冗談を言わず素直に謝る。
ミツホは舌打ちをして、仕方なさそうに話を続ける。
「チェストの電波妨害は明け方まで続く。あたしはここがどこかも解らない。だから一日待って、何もなければ救援を呼んで基地に帰る。説明終り」
あとは寝ろと、ミツホは言ってそっぽを向く。
博士は例の如く、ミツホの希望しない方向で行動する。
「なんで、俺のことが嫌いなんだよ」
博士が言った。それだけははっきりとさせたかった。
「……言うことも聞けねぇのかよあんたは」
「ああ聞かない。流石にこれくらいは教えろ」
ぶつけるような言葉で、博士は挑む。ミツホと同じやり方だ。
「なんで言う必要がある」
「理由は色々だが、必要はある。俺の階級がミツホより上だからだ。上司の命令は聞け」
「……はぁ!」
ミツホが素っ頓狂な声を上げる。
「どういうことだよ、博士は階級なしだろ。あたしは星四つある」
「戦闘で上下を付けようって、隊長は言った。ならあの時勝った俺のほうが、今は上だろうが」
「う、うるさい! 知るか、そんなの無効だ無効!」
理屈で攻めれば、断然博士が有利だった。
ただ、ミツホは納得しない。だから博士はミツホの考えで答えた。
「じゃあ、俺があれだけ本気で戦ったことも、ミツホが本気で戦ったことも、ミツホは無効にするんだな?」
「ぐっ」
「人の本気を足蹴にするのか、そうかミツホはそういう奴なんだな」
「ち、違う! ……あ」
ミツホはそう言って、逃げようのない口車に乗せられたことに気づく。
博士は得意げに笑ってみせる。
「……」
ミツホが口ごもる。彼女の中ではもう、言わずに済ますことが許せなくなっていた。ミツホはいつだって本気だった。だからこそ妥協せずにズケズケとものを言い、嫌なことはイヤだとはっきり言う。
だからこそ、ミツホはその仁義通りに、話を始めた。
「……葉子って言う、友達がいた」
「友達? それが理由?」
「黙って聞け、あたしは元々葉子と二人で空を飛んで、空中をメチャクチャに暴れまわる戦い方だったんだ」
博士は、背中の破けたミツホのトレインを見て、言った。
「それって、いつまでの話だ?」
「三日前」
三日前、それは博士がチェストから救出された日。
「その日が、葉子が一定量に入った日だった。あんたを助けて」
博士は思い出した。
「そういえば、俺を助けたトレインも空を飛んでいた。あれはミツホじゃなかったのか?」
「葉子は旋回が得意だった。空を誰よりも自由に飛び、体術で戦う。でも、葉子は担いだ人間を一定以上の旋回の加重から守れない。片手も塞がっていた」
ミツホが言うたび、博士の脳裏にその映像が浮かぶ。ぼんやりとした意識の中でも、ミツホの言葉に思い至ることが多々あった。
「三日前、チェストへの大規模な侵略戦が行われた。そこで博士を最初に見つけたのは葉子だ。葉子は博士を助けようと言った。そういう奴だった。あたしが葉子とはぐれたせいで、葉子は自分の不利をわかっていても、見捨てようとはしなかったんだ」
ミツホが小さく震えた。心に溜まった何かを吐き出すように、ミツホは言葉を選んでいた。
「そんな、アタシの大切だった人が助けたお前が、犯罪者だってわかった時。あたしは理不尽だと思った。なんで、生きるべき葉子が死んで、犯罪者のあんたが生き残ったんだって」
ミツホはもう一度、きつく博士を睨んだ。
博士はその目を逸らすことも、睨み返すこともしなかった。
ただ、口を開く。
「俺は最初、こんな境遇の俺が生き残れない。どうせ死ぬからって、ずっと戦闘を舐めてた。でも、いざ死ぬと思ったら、怖くなって逃げてた」
博士は立ち上がる。左足を動かすと顔をしかめるものの、我慢して空に近づく。
「だから、その葉子って人のことを、俺は理解できない。ミツホもよく解らん。でも、俺はその人が近くにいたら、お礼をいいたい」
空を仰ぎ、大きく息を吸う。
「ありがとう!」
叫んだ。次にミツホを見て、
「ありがとうな!」
叫ぶ。それくらいの言葉しか、博士には思い浮かばなかった。
「冗談は好きなんだがな。いざと言うときは何を言えばいいか思い浮かばん」
空に感謝をしても、何の意味も無い。死んだ葉子に届くとは博士も思っていなかった。
だから、その行動はミツホにしか届かなかった。
「博士は、馬鹿野郎だな」
ミツホが初めて、柔らかく博士に口を開く。
博士も、やっと笑ってミツホを見ることが出来た。
「じゃあ」
博士はそういって、ミツホに近づく。
「ん?」
「とぅ!」
ミツホが気楽にこちらに向き合ったところに、博士がデコピンを食らわす。
「いたっ!」
「ペンダントを馬鹿にした罰は、それくらいで許してやる。だからもう、謝らなくていいや」
すっきりとした顔で、博士が言った。
「ああ、これだけが俺の気がかりだった。とりあえず報復は済ませた。これで恨みっこな――」
「うらぁあああ!」
犬歯をむき出しにしたミツホが、博士をグーで殴った。
「おい! 殴るなよ! しかもグーは痛いだろ。というかチャラだぞ、さっきのは昨日のぶっ!」
「関係ない! あたしは今の行動にすごいむかついた。だから倍反撃する」
「……理屈の通じない女だな」
「うるさい、あたしは自分に正直なだけだ」
ミツホにっと笑い、大きく振りかぶる。
が、すぐさま博士が手を動かして、ミツホのわき腹をつねった。
「な、なにすんだ!」
「ぜいにく」
「ふざけんな、そんなのちょっとしかない!」
ミツホは顔を真っ赤にして、グーが平手に変わる。
「わき腹なら犯罪にならないだろ!」
「そういう問題じゃない!」
それからしばらく、博士の体力が尽きたところで、二人の喧嘩が終わった。