いっぱく
「う~ん」
あれから少し経ち、日も暮れる。
博士は医務室にミツホを届け、一子との会話を終えて、今日一日にすることがなくなる。
本来なら、宿舎で待機し、体力を温存すべき時間帯だ。
「無理だよなぁ」
そんな時に、博士は悩んでいた。
何故なら、博士には就寝するための部屋が用意されていないのだ。
初日は医務室で寝込み、二日目はデータベースのある部屋で徹夜をし、仮眠はそこで取った。
医務室は病人以外を受け入れず、二日目に使ったデータベースの部屋はどうしてか入室すら禁じられていた。
「だからって……誰かの部屋を借りろって……」
博士はその旨を踏まえて、一子に聞いたのだ。
すると一子は、誰かの部屋に泊めてもらえという至極真っ当な意見を述べた。だがこの指示には、女性限定というこの場所で、博士には大きな壁になった。
見ず知らずの、犯罪者の爆弾男を、誰が一晩部屋に入れてくれるだろうか。
博士は最初、一涙の希望を持って一子の部屋を聞いた。そうしたら「同室に他の子がいるから駄目」と言われ。二人部屋を一人で使っている知り合いを二人教えてもらった。
それが同部隊の、ミツホとふたばだった。
博士はまずミツホのことを考えて、どうみても了承するはずも無いから却下。
すると確率は低いものの、ふたばの部屋へ訪問する以外になかった。
博士は今、訓練から帰ってくるであろうふたばを、案内された部屋の前で待っていた。
「でも、やっぱり断られるよなぁ」
博士は正直、駄目元でこの場所に来ていた。
聞くのも博士には相当勇気がいる。意識はほとんど、ほかの場所ばかり考えていた。
「博士?」
突然、声がかかった。
博士はビクリと肩を跳ね、ゆっくりと声の主へ振り返る。
「たしか、ふたば……さん?」
「さんはいらない。どうして?」
ふたばが、綺麗な姿勢を一ミリも動かさずに、博士の前に立っていた。
どうしてとは、博士がどうしてここにいるのか聞いていた。博士は意図を汲む。
「えっと、今夜一晩を、共に……」
「……」
「すいません冗談です! ねぐらがなくて、空いたベッドを使わせてもらったらなぁ……って、おねがいします」
「…………」
ふたばは無表情のまま、低姿勢の博士を見つめた。彼女の瞳は仄暗く、心の底を覗いているようにも見える。
やがて飽きたのか、一言も発さず、ひとり部屋の中へ入っていった。
「やっぱ駄目か……」
「博士」
と、振り返らずにふたばが言った。
「寝るだけなら、大丈夫」
「ほ、ホントですか! ありがたい」
*
博士が部屋に入ると、右と左で一つずつベッドあった。右のほうには何やら木彫りのくまなどが飾られている。
ふたばは迷わず右に行く。どうやら熊のある方がふたばのベッドだ。
「おじゃましま……す」
おそるおそる博士が部屋に入る。
ふたばは博士など構わずに、床に広げた紙の上で小刀を用意して、引き出しから取り出した木の円柱を削り始めた。
「木彫り……?」
「趣味」
規則正しいリズムで、コリコリと削れる音が部屋の中に響いた。
それだけだった。
「あ、あの」
博士は気まずくなって口を開く。話題を適当に探して、言った。
「どうして、一人部屋なんですか?」
「前にいた人が、この前の戦闘で死んだ」
振り返りもせずに、淡々とふたばが言った。
「す、すみません。へんなこと聞きました」
「……」
それっきり、また木を削るだけの音が部屋を埋めた。
博士は気まずそうなまま、もう寝てしまおうとベッドの上に倒れようとして、
「ミツホを、怒らないでほしい」
唐突に、ふたばが喋り始めた。
博士は最初驚きながら、ミツホの話題と聞いて強く出た。
「やっぱり、ミツホには何か理由があるんですか?」
「敬語はいい」
「……ミツホが俺を嫌っている理由を、教えてくれ」
話している間も、木の削れる音は止まらない。ただ口だけが動く。
「教えられない。ミツホが言わないと意味がない。隊長も、博士に理由を教えはしなかったはず」
その答えに、博士は納得の行かない顔をするが、ふたばは続けた。
「ミツホは、理屈じゃ動かない。だからとても気難しい。彼女に必要なのは正論じゃなく、誠意だ」
ふたばの声は相変わらず抑揚が無いが、ミツホを気遣っていた。
博士は少しだけ、ふたばの認識を改めた。無愛想で人と喋らない人間なのではなく、必要なことを必要な分だけ話すのだ。二人のことを見かねた、同じ隊員のフォロー。
つまり、博士以上の、理屈に滞った人間だ。
だから博士は、ある程度の理屈と、少ない感情を持って答えた。
「俺は、喧嘩吹っかけた相手に誠意を見せるつもりはない」
「構わない。理屈で行動することも、感情で行動することも、どっちも間違いじゃないと思う。自分を生きやすくするのも、自分を尊重するのも勝手。結局人は、死んだら何も残らないから」
ふたばの言葉は極端で、博士の耳には強く響く。
「ただ、博士がもしミツホと仲直りをしたいと思ったら、念頭に置いて欲しい」
その言葉を最後に、ふたばは手の動きを止めた。
「はい」
「……え?」
止めたあとに、ベッドの上にあった木彫りの熊を持ってきて、博士に渡す。
「プレゼント」
博士はその木彫りの熊を何気なく受け取って、怪訝な表情をする。
「木彫りは嫌い?」
「木彫り以前に、貰う理由を知りたい」
「……友好のしるし。作るのは好きだけれど、もう作り終えたものはいらないから」
ふたばの手と、木彫りを受け取った博士の手と重なる。博士はひんやりと冷たいふたばの肌に触れて、そこから動かなくなる。
「作品は作るたび精巧に、綺麗に仕上がる。それは当たり前。トレインも一緒、銃撃型は特に、自身の作業にかかっている。自分は、完成品ではなく過程の中で自身の満足するものを見つける」
ふたばはじっと博士を見てから、ゆっくりと手を放す。
博士はその手の感触に、まるで金縛りがあったように動かない。
「チェストとの戦いは、今まで味わった中で、何にも越えがたい、自身を作る過程だった。この戦場にいるのは、そういうこと」
ふたばは一度目を瞑り、次に開いたときには、少しだけ表情を柔らかくする。
表情につられて、博士の金縛りが解かれた。
「そういうこと、ね」
「だから、作り終えたものはいらない。あげる」
「それって、いらないもの押し付けてないか?」
「友好のしるし」
返すわけにもいかず、博士は木彫りをそのまま脇においておく。
「……」
「なんとなく、ふたばの言いたいことはわかったよ。とりあえず過程が大事な」
ふたばがこくんと頷く。
博士はふたばを一瞥してから、すぐ溜息をついた。
「これが子犬ねぇ……」
博士が言う。
隣で室内専用の電話が鳴った。ふたばはすぐに反応して、電話を受け取る。
「この辺はどうにも、シェパードな気がする」
ふたばは、はい、いいえの簡単な受け答えを数秒してから、電話を切った。
「博士」
「ん?」
「両手を、前ならえ」
ふたばが、前ならえをしながら指示をする。
博士は怪訝に思いながら、同じように前ならえをして、
「へ!」
手錠を、付けられた。
「博士、あなたに管轄AIからの連絡があった」
ふたばが手錠をしっかりと繋ぎとめてから、話し始める。
「博士のトレインは、チェストよりむしろ私達に危害が及ぶ可能性があり、模擬戦を観戦していた多数からそれを示唆する連絡。爆弾を抱え、犯罪者である博士の危険性を認め、今後戦闘以外での拘束具の着用を強制されます」
呆然として聞いていた博士が、振り切れるように講義した。
「ち、ちょっと待ってくれ、だからって一般人を拘束する理由にはならない!」
「それだけじゃない、博士はどうやって、トレインのデータを閲覧できた?」
「そりゃ、普通にこの軍にあるパソコンを起動して――」
「軍のパソコンは、アカウント無しで閲覧できない。私達の敵は、チェストだけじゃない。同盟のない他国からのスパイだっている。厳重なセキュリティと、管理体制が敷かれています」
「そんなこと言われても、ただパソコンを開いただけだぞ」
博士は思い出す。パスワードなど設定すらされていないデータベースで、勝手に取り出し、保存しただけだった。
「博士は元々、株式操作のハッキング犯として、罪状に囚われている。そんな博士が、アカウントのないパソコンに乗り込んだとしたら、どう疑うか」
「……言い分はわかる。でも――」
ふたばは人差し指で、博士の口に触れる。
「これで波風を立てると危ない。下手をすれば博士はスパイの疑いがかけられて、すぐさま銃殺される可能性もある。それなら、まだ活動が制限される程度の、手錠で済んだのがラッキー」
ふたばの理屈が、とても合理的で、博士を冷静にさせた。
ただ博士は、納得が出来ない。
「誰かが、俺を陥れているんじゃないのか?」
「それはわからない」
ふたばは答えるが、博士にとってはせん無いことだった。
力なく、博士は笑う。
「はは……これじゃ、トイレで尻も拭けない」
これで博士は胸の爆弾、無実の罪、軍でのスパイ、明日の初陣と、乗り越えなければ行けない障害が更に増えたこととなる。
もしこれらを乗り越えても、博士には学歴も、求めるAI学科も無い。
「いっそのこと、死んだ方が楽なのかもな」
博士は自分で言って、暗くなる。
自暴自棄に陥りそうになったその時、ふたばが博士の肩をちょんと叩いた。
「……あげる」
ふたばの手には、木彫りの鳥があった。
沢山あった中から、ふたばはそれを取って博士に渡した。
「のーぺいん」
「?」
「元々英語が上手くなかったから、仲間を安心させるために使っていた」
ノーペイン。痛くない。
「これを言えば、大体は安心してくれる」
「そりゃ……ふたばを心配した人が安心してるんだろ」
「……」
またふたばは考え込んで、今度は――
「サムズアップ」
一子の、真似をしていた。
「はは……」
博士がまた、笑う。
ふたばは無表情だったが、あの手この手を使って、今日あったばかりの博士を元気付けようとしていた。理屈が動力源でも、ふたばにだって感情はあった。
「たしかに、子犬かも」
「……元気でた?」
「手錠つけられた時よりは」
皮肉だったが、博士の声は明るくなった。
「博士には生きていて欲しい。それはきっと一子も思っている」
「……どうして?」
「それはミツホが、博士を嫌う理由と一緒」
その理由が解らない博士は、溜息をつき、受け取った木彫りの鳥を見る。
「鳥……か」
博士はふと、ミツホのことを考えてみる。
「せめて、あいつが俺に謝るまでは、頑張るか」
そうして、博士のいつ終わるかも解らない夜の一日が、終わった。
爆弾を抱え、二つの犯罪を疑われた、目標が世界に無い理屈っぽい博士。
感情を優先させ、炎のように鋭く熱い少女、ミツホ。
太陽のように暖かく、力も強く分別を持った隊長、一子。
理屈を重んじ、過程を信条としながらも思いやりを持ったふたば。
先行きの見えない中で博士は、まだ生きている。