ブラックコーヒーとマシュマロシート
ブラックを一口含む。
苦みとコクが広がる。程よい酸味、深みのある香り。
――うまいな。
やっぱり、コーヒーはこうでなくては。
その瞬間、早瀬がじっとこちらを見つめながら言った。
「岩村、あなた変わってるわね」
いきなりそれかい?
「グダバで甘いもの頼まずブラック。しかも、ミルクも砂糖もなし。変わってるわね」
確かに、店内を見渡せば周りのテーブルには甘いフラペチーノ系のドリンクばかり。ブラックコーヒーを頼んでいる人間は、ほぼいない。
「いいか。今は女だが、男なんだって」
儂がそう言うと、早瀬は軽く肩をすくめる。
「それにしても、珍しいことには変わらないわ」
風が楽しそうに笑いながら、ストローをくるくる回す。
「でも、レイって本当に男の子なの? こうして見ると、どこからどう見ても女の子よ?」
「そりゃ、今は女の体だからな」
「でも、仕草とか話し方とか、どこか中性的なのよね。それがまた面白いの」
早瀬がじっと観察するような目でこちらを見てくる。
――なんか、落ち着かない。
「まあ、どっちでもいいんじゃない? 可愛いから」
「おい、風。なんでそういう結論になる」
「だって、事実だし?」
風はくすくす笑いながら、マンゴーフラペチーノを口に運ぶ。
儂は軽くため息をつきながら、再びブラックを口に含んだ。
「ところで聞きたいんだが、そっちは今どんな感じなんだ? まだ三日目だけど」
早瀬がストローを回しながら答える。
「こっち? 午前は授業で、午後は今は体力作りね。今日は見学のために技研に行ったんだけど」
「授業はついていけるけど、体力作りはきついよ」
風が大げさに肩を落としながら、苦笑する。
「ベン軍曹、怖いんだよ……」
風がぼそっと愚痴をこぼす。
あの初老の軍曹か。確かに無駄に体がゴツい印象はあるが、儂はあまり話したことがない。
「私たちの担当はベン軍曹だけど、いいほうよ。でも、甲斐少尉のとこは悲惨ね」
「どういうこと?」
アキラがストローを加えながら尋ねる。行儀悪いぞ。
「ガドルとキーン。あいつらは水と油。反発がすごいの、特にガドルね。サブになったことが、よっぽど気に入らないみたい」
「何かあるたびにキーンに突っかかって、キーンもそれを受けるから毎回喧嘩一歩手前まで行くのよ。そのたびに甲斐少尉から制裁を受けてるけど、懲りないの」
早瀬は「これだから男って……」とでも言いたげな顔で話す。
もう一度言う。儂、男。
「そうなんだよね~。何度も言われてるのに、懲りないよね~あの二人」
風がのんびりした口調で言う。
――ふむ、甲斐少尉、大変そうだな。
「私は、メインよりサブの方がきついし、大変な役だと認識してるんだけどね。ありがと、風」
「どういたしまして、ハヤちゃん」
二人とも、いい関係を築けているみたいで何よりだ。
儂はブラックを楽しみながら、ふと思いついて確認する。
「授業でサブの重要性のことはやったのか?」
「したよ。それでもあの態度だから」
早瀬が苦々しげに肩をすくめる。
「プライドか何か知らないけど、いい加減にしないと、たんこぶで身長が伸びるわよ、あの二人」
「それは見てみたい」
アキラはニヤニヤしながらストローを噛む。
やめなさい。ストローは食べ物じゃありません。
そんなやり取りをしていると、風が興味深そうに身を乗り出してきた。
「イワちゃんやミズちゃんは、どんなことしてるの?」
「午前は変わらないけど、午後は今専用シートの計測や開発段階」
「めんどくさそうだね~」
風がのんびりとした口調で言う。
確かに、地味な作業の連続だからそう思われるのも仕方ない。
「めんどくさいというより、慎重にならないといけない感じだな」
「まあ、特機って個人専用機みたいなものだもんね」
早瀬が軽く頷きながら、カップを手に取る。
「でも、シートってそんなに違うものなの?」
早瀬の疑問に、アキラが待ってましたとばかりに目を輝かせた。
「違うの! 計測シートって気持ちいいんだ! もう、あの感触は最高! 早く販売してほしい、『マシュマロシート』を!」
――信者の言葉は重いな。
前を見ると、早瀬と風はそろって「?」の顔をしている。
仕方ない、補足してやるか。
「補足すると、計測シートは体の筋肉の動きや特徴を計測するためのものなんだけど、その開発を担当したカブレラ技師が凝りに凝って、座るとまるでマシュマロに包まれたような気持ちよさのシートになったんだ」
「へえ、そんなのがあるんだ」
早瀬が興味深そうに頷く。
「今、それを一般に売りに出そうと計画してるみたいなんだ。財政難解消のために」
風がふと顔を上げる。
「財政難? そんなにお金ないの?」
「特機の開発には莫大なコストがかかるからな。軍の予算が回るとはいえ、技研としても独自の収益を作らないと厳しいみたいだ」
――だからこそ、『マシュマロシート』の一般販売が、技研にとって重要な計画になっている。
「……で、そのマシュマロシート、試せるの?」
早瀬が興味津々といった表情で尋ねる。
アキラが満面の笑みで頷いた。
「今は技研に行くか、仮眠室にあるね。仮眠室なら試せるんじゃないかな? もう、最高だよ! 一度座ったら戻れないって!」
風が思わず吹き出しながら、カップを手に取る。
「そんなに? じゃあ、私も座ってみようかな」
――また信者が増える予感がする。
「ハヤちゃんも試してみる?」
風が悪戯っぽく早瀬の肩を軽く叩く。
「私は別に……座るだけでしょ? そんなに違うものなの?」
早瀬はどこか半信半疑な様子で、ストローをくるくる回す。
「座るだけ、だと思うでしょ? でもね、違うのよ……」
アキラが妙に神妙な顔で語り始める。
「あれはね、包まれるの。ただ座るんじゃないの。マシュマロに抱かれるのよ……!」
「うわ、信者の布教が始まった」
儂はブラックコーヒーを口に含みながら、静かに突っ込む。
「まあ、仮眠室なら気軽に試せるなら、機会があればって感じね」
早瀬はあくまで冷静だったが、風はすでに興味津々といった様子だ。
「でも、仮眠室にあるってことは、軍の人たちも使ってるってこと?」
「そうそう。今は試験運用中だけど、評判はかなりいいみたい。まだ宣伝して一日しか経ってないのに」
「そりゃそうだ。あれ、気持ちよすぎて起きたくなくなるし」
アキラが当然のように頷くが、儂は眉をひそめる。
「けど、広まるのが早すぎるよ。もしかしたら、水面下で動いてたのが一気に加速したのかもってくらい展開が早い」
実際、儂も不思議でたまらない。
今言った通り、何者かが裏で動いていたとしか思えないほどの広がり方をしている。
――何かの陰謀なのか?
「それ、大丈夫なの? 仮眠室って、一応起きる前提であるんじゃ……」
風が少し心配そうに聞いてくる。
「問題ない。儂も昨日というか今日、仮眠に使ったけど起きれた。すごいスッキリした」
「今日使ったの?」
早瀬が驚いたように身を乗り出す。
「そうだよ。徹夜。詰め込みで深夜三時ごろまでやって、一時間の仮眠。その後起きてまた授業、さらに一時間の仮眠。その後、技研前で会ったんだ」
静かにカップを置く早瀬。
「……なんというか、その……大変なんだね」
ものすごい同情の目で見られた。
「イワちゃん、普通に言うけど、それやばくない?」
風が驚いたようにカップを持ったまま固まる。
「うん、やばいと思う」
アキラも軽く頷き、ストローをくわえたまま言う。
「でも、仕方ないよ。それに、これからのスケジュールはもっと大変だしね」
「アキラはそれを回避しようとしてるしな」
「そりゃそうでしょ。土日は寝てたいし」
早瀬が眉をひそめる。
「どういうこと?」
「本当は二人とも土日なしの予定なんだけど、アキラはそれを回避しようと、土曜日にテストを受けて、全教科100点満点を取れば免除の約束を取り付けてる」
早瀬と風が同時に目を見開く。
「……100点満点? 全教科?」
「そう。100点満点じゃないとダメ。1点でも落としたらアウト」
早瀬がカップを置き、じっとアキラを見る。
「正気?」
「もちろん! だって、寝たいし!」
風が思わず吹き出した。
「そのために努力するの、すごいね……」
早瀬も呆れたようにため息をつく。
「まあ、普通の人はそんな無茶しないわよ」
「だから私は普通じゃないのよ」
アキラは誇らしげに胸を張る。
――確かに、こいつは「楽するために努力を惜しまない」タイプだからな……。
一通り楽しい会話が続き、気づけば30分ほど経過していた。
それぞれのカップの中身も残り少なくなり、場の雰囲気が少し落ち着いたところで、早瀬が提案する。
「さて、服でも見て帰ろうか」
「ハヤちゃん、それいいね!」
風がパッと顔を輝かせ、すぐにこちらを振り向く。
「イワちゃんとミズちゃんも行こうよ!」
儂は一瞬、戸惑った。
――服、か。
自分から買いに行くことはほとんどなかったし、特に今の「女の状態」での買い物なんて未知の領域だ。
「あー……儂は別にいいんだけど」
「何言ってるの! 女の子なんだから、可愛い服を着なきゃ!」
風がにっこり笑う。
「儂、男なんだが……」
「今は女の子でしょ? なら、女子の服も楽しんでみなきゃ!」
――そういうものなのか?
「アキラは?」
念のためアキラに振ると、彼女は面白そうな顔をして言う。
「良いと思うよ。レイがどんな女の子ファッションを選ぶのか、面白そうだし」
「ほら、決まり! 行こう!」
風が勢いよく腕を引き、儂はそのまま席を立つ羽目になった。
そして――気づけば、引きずり回されていた。
ショッピングモールの女性服売り場。
――完全に未知の領域だ。
「岩村、これとかどう? 無難なTシャツとスカートで合わせると、ちょっとカジュアルで可愛いよ!」
「いや、こういうのがいいんじゃない? シンプルなワンピースなら動きやすいし、そんなに違和感ないでしょ」
早瀬と風が、それぞれ違う方向から服を差し出してくる。
そんなに熱心にならなくてもいいだろ!?
「とりあえず、無難なのにしよう。Tシャツとパンツでいい」
儂はそう言って、適当にシンプルな服を手に取った。
しかし――
「却下!」
「全然ダメ!」
まさかのブーイング。
「もっと可愛いの着ようよ! せっかくの女の子なんだから!」
「イワちゃん、これはイベントなの! 女子の楽しさを学ぶために、ここは可愛いのを選ぶべき!」
なんだ、その理論は!?
結局、強引に可愛い系の服を試着させられ、そのまま買わされることになった。
レジで値段を見て、儂は驚愕した。
――高いな、女の子の服。




