13. あたしはあたし あなたはあなた その⑧
危機一髪! クリスタとリックの前に現れたのは……。
(※バトルシーン続きます)
アマンダからの火炎弾を振り払ったテスは、そのまま身体を大きく跳躍させた。『紅棗楼』の敷地の南側に広がる華鳳池の上空まで、重力を無視して軽々と移動する。空中に浮揚する小さな身体は、ゆらゆらと水中花のように揺れながら、アマンダを挑発するかのように手招きをした。
残酷な微笑みを顔に張り付けたまま――。
後れを取ったアマンダも、テスを追って空中に踊り出る。月光の明るい秋の夜空に、かげろうのような影がふたつ。
ただしこのかげろうたちは月下に飛び交うだけではなく、発火能力によって生み出した火炎を操り、攻撃を仕掛け、相手の息の根を止めようと躍起になっていた。
空気が震える。その度に彼女らの掌からは、強力なエネルギーが、炎と姿を化して放出されていく。暴れ狂う炎は、咆哮を上げて敵に襲いかかる。容赦など無い。
(相手を焼き尽くすまで、自分が燃え尽きるまで、止めないつもりかい!?)
火炎弾の流れ弾が、池の周りに設けられた石造りの灯篭を破壊した。ガラガラと音を立てて崩れていく。灯篭に及ばず目標を逸れた火炎の球は、周りの建造物に被害を与え続けていた。争うふたりの能力者の目には、それは映ってなどいないのだろう。
絶え間ない火焔攻撃と共に、今度は池から大きな水柱が立ち上がった。
テスの念動力が池の水を引き上げ、これを水鉄砲の要領でアマンダにぶつけ、叩き落とそうとしている。次々に立ち上がる水柱に、大量の水しぶきがあたりに撒き散らされた。
危うく攻撃を避けたアマンダだったが、勢い余って空中でバランスを崩す。上体が後ろにひっくり返りそのまま落下するも、水面にたたきつけられる前に体勢を戻し、再び浮上していった。そして、負けじと同じ戦法をテスに打ち出す。
ふたりは互角の……いや、テスの方が機動力は高いだろうか。一歩も引かない、高度な超常能力の応酬を繰り広げていた。
(こんなの、おかしい。あれはテスでもアマンダでもない! 別人だ!)
クリスタは思わず視線を外してしまった。
♢ ♢ ♢ ♢
「遅なって悪かったなぁ」
黒レザーのジャケットにパンツ。明るい茶色の短髪に四角ばった顔立ちの青年が、灰青色の垂れ目をウィンクさせてそう言った。
「これでも、メッチャ急いだんやけどな!」
ロングコートを羽織った長髪の青年が、額に掛かる金髪を描き上げながらにこやかに振り返った。ずり落ちたメガネのブリッジを、急ぎ持ちあげるのも忘れない。
ブレイク前のロックバンドのメンバーかと見間違えそうな身なりではあるが、間一髪のクリスタたちの前に現れたのは、レチェル4からテスを追い掛けて来た優秀な諜報員コンビだ。
といってもクリスタやリックにとって、彼らは見知らぬ人でしかない。妙に親しげに話しかける正体不明の人物が、ふたりも増えたと警戒心を募らせていた。
そんなクリスタの心の内を視たのか、
「ああ。姐さん達とは初対面やったな。安心しい! 味方や、味方!」
「心配しなさんな。怪しいもンやない……言うても信じられんやろけど、一応姐さんらを救いに来たヒーローや思といてェな!」
確かにふたりとも長身の美形で、TVのヒーローアクションムービーだったら、主役を張っていそうである。大袈裟なしぐさでの自己主張、振り撒く笑顔が場違いに爽やかなのも、ステレオタイプのスーパーヒーローを連想させた。
しかし、
(目の奥が笑っていないぞ!)
どこからともなく現れたこのふたりの青年のおかげで、テスの避けた火炎弾の直撃を身代わりに喰らうという惨事を避けられたのは間違いない。
さらに、しきりと連発する「姐さん」とは自分のことらしいとクリスタは悟ったが、この馴れ馴れしい男たちが本当に味方かどうかまでは信用できずにいた。恐慌状態に突入寸前のリックを庇い、身構えた深緑色の大きな瞳が青年たちを睨み付けてしまう。
「そう警戒せんといて。言うても、怖しい思いさせてしもたしな。無理も無いか。堪忍なぁ」
とメガネの金色長髪優男風が言えば、その言葉尻を体育会系アゴ割れ垂れ目顔が引き受けてしゃべり出す。
「なんたって、『紅棗楼』の庭園迷路やんか。おまけにセキュリティ厳しうてなぁ。おいそれと、この華鳳池まで通してくれへんかったんよ。その前に雑音には悩まされるし、エラい邪魔も入ったしな。それで遅なったんや。ほんま堪忍。
どや、姐さん立てるか?」
そう言いながら近づいてきた垂れ目男が、座り込んでいたクリスタに手を差し出した。しかしどう説明されても、今の彼女の心理状態では、突然の介入者たちの言葉を半分も信用できない。というより、語れば語るほどふたりが胡散臭く見えるのはなぜだろうか。
「自分で立ち上がれます!」
青年の手をパシリと払い除け、勢いよく腰を上げたまではよかったが、フラついて、結局黒レザーの垂れ目男に支えられる羽目になってしまった。
「威勢がエエのは感心やけど、ムチャはあかんな」
意外にやさしい声でたしなめられ、恥ずかしさと悔しさでクリスタの頬に一気に熱が昇った。垂れ目男はそれを見て見ぬふりで、
「姐さんは強いけど、門外漢や。これ以上関わったらケガするで。あとは俺らにまかしとき」
そう言って、口の端を上げてみせた。
彼の言うことは正しい。今のテスは普通ではない。超常能力を使い戦う幼馴染は、クリスタの知るテスではなかった。狂気染みた微笑みを浮かべ、特別な能力の恩恵を堪能するかのごとく、アマンダを攻撃している。
それはアマンダも同様だが、どこか苦しそうなアマンダに比べ、親友の方は楽しくて仕方ないようにも見えるのだ。それが、恐ろしく感じられた。
クリスタの知るテスは、こんな攻撃性は持ち合わせていない。他人を苦しめて、そこに喜びを見出すような性格でもない。親友の姿かたちを写した全くの別人、もしくは……
(これが能力者なのかい!?)
目の当たりにした超常能力と非人間性に、多少ならずも恐怖感を抱いていたのはリックだけではなかった。今のテスは、クリスタとは別の次元にいる。
いつも自分の後ろをついてきた泣き虫の幼馴染ではない。手痛い裏切りにあっても気づかないばかりか、別れ方さえわからず親友に相談する、ふわふわとした頼りないテスではないのだ。
(能力ってのは、開花すると人格にまで影響しちまうんだろうか?)
(だとしたら……非能力者のあたしの手には負えない!?)
クリスタには、それがショックだった。恐怖感を押しのけてしまうほどの大きなショックだった。それから、消失感に襲われた。しかし、はたしてそれが本当に消失感なのか、そんなことさえ混乱した今の彼女の思考には答えが見つからない。それでも彼女の頭脳は答えを弾きだそうと苦心する。
せめぎ合う理性と感情が、どうしても譲歩してくれない。諍いを繰り返す。クリスタは息苦しくなった。
「無理せんとき」
目の前の垂れ目男は、慰めでも同情でもない声でそう言った。仕方のない現実なのだから、認めろということなのか。
けれども、そこを素直にうなずけないのがクリスタ・ロードウェイだ。
「そりゃあ、そうだけど……。だからって、訳のわからない知らないヤツに親友を任せられないよ!」
「けどな。姐さんにはどうにもならんやろ。餅は餅屋言うてな、ここはおとなしくしといたほうがエエ」
「でも!」
「でもや言われてもなぁ」
困った垂れ目男は、いっそう眉を寄せて困り顔を作る。そこに金髪メガネが割って入ってきた。
「いや、この姐さんの言うことにも一理あんな。突然現れた不審人物、しかも能力者なんぞ信用ならん思うわ。しかも、この状況やし。
あんなあ。俺らは、『能力者』であるテスの監督係なん。差し障りがあるんで、詳しい身分は明かせんけど、信用して欲しいんよ」
態度は相も変わらず軽々しいだが、ふたりの目の奥に緊迫感と責任感がちらりと覗いたのを、クリスタは見逃さなかった。子供の頃から大人の世界で仕事をしている彼女は、こういったことには鼻が効く。
虚と実を嗅ぎ分ける感性なら、多少なりとも自信がある。でなければ、彼女が身を置く華やかな世界では生き残ってなど行けない。
理由はさておき彼らがテスを助けたいのは本心だと、クリスタのアンテナは察知した。
(くやしいけど、ここはこいつらを信用するしかないか)
なにをどうすれば暴走するテスを止められるのか、クリスタにはわからない。だが、目の前のふたりは、なんらかの策があるのだろう。だから、この場に飛び出してきたのに違いない。
やみくもに心配する自分と違い、テスの今の状態をきちんと理解しているのだ。テスの監督係とか言っていたではないか。それはそれで疑問なのだが、その追求は後に回すべきだろう。
ただ、このままこのふたりのペースに巻き込まれてもいいのか――? やはり不安が捨てきれないクリスタだ。
「ちうか、姐さんにはこっちのにいちゃんの面倒見ててもらわんと」
クリスタをなだめる垂れ目男の横で、長髪メガネ男が座り込んだままのリックを指さした。初めて能力者と遭遇し、その超常能力戦をじかに目撃、体験した。命からがらの思いをしたリックは、蒼白な顔でガタガタ震えている。
「大丈夫か、このにいちゃん?」
「まあ、こっちの反応の方が、素人さんとしては普通なんやないの?」
「確かに。姐さんの肝っ玉が特注サイズなんやろなぁ」
ふたりの青年は同じタイミングで同じように頷いた。褒められているのか、呆れられているのか定かではないが、彼らの都合で話を勝手に進められてしまうのは面白くない。
それにしても、顔立ちもファッションもぜんぜん違うのに、ふたりの青年たちの行動は、時に合わせ鏡を見ているようだとクリスタは思った。
ただし、今はそんなことよりも優先すべきことがある。彼女は顔を上げた。
「どうすればいい?」
「おっ! 姐さん、切り替え早いな!」
「フフン。大胆な女性は好きやで。ファンになってしまいそうや」
どうしても茶化すのは止められないようだが、ふたりはクリスタのことを邪魔扱いはしなかった。それどころかテスの親友としてのクリスタの存在を、よく知っているように感じた。
「名前を教えてよ。そのくらいはいいだろう。それとも、それも秘密事項?」
クリスタの顎がツンと持ち上がった。ぷっくりとした紅い唇が、不満げに突き出される。
「ほおぉ! そう来よったか」
「やっぱファンになりそうや。ナダルがミューズと仰ぐだけある!」
青年たちは、クリスタが人気デザイナー、ロマン・ナダルのブランドミューズを務めていることも承知している。やはり油断はできない相手だと再確認し、心に留めた。
「俺はアダム。相棒はディー云うんや。よろしくな」
垂れ目のアダムは右手を、ずり落ちそうなメガネを気にしつつディーは左手を上げ、彼女がげんなりしたくなるほど爽やかにほほ笑んだ。
アダム&ディー、さすが美味しいところは外しません。このタイミングの良さが、このコンビの強みなのかも。