13. あたしはあたし あなたはあなた その⑦
アマンダが笑っていた。
しかしその笑顔は『カフェ・ファーブルトン』で見せるような、はつらつとした表情ではない。バイトが終わった後で、仲間と楽しくおしゃべりに興じているときの伸び伸びとした表情とも違って、どこか苦痛を堪えているようにも見える。
眸が笑っていないのだ。
顔の筋肉を他人の手で無理矢理引き上げられ、笑顔を作らされているとしか思えない。クリスタは寒気を感じた。
(マインドコントロールされているのでは……)
メリルの言葉が、また脳裏に浮かぶ。
(テスを操ろうとしていたのは、アマンダだ。――けどさ。操られているのがテスひとりじゃないとしたら?)
不意に、とんでもない憶測が名探偵の頭に浮かんだ。
(アマンダも、テス同様誰かからコントロールを受けているって仮説も考えられないものか?)
(誰が、何のために……。そこまではわからん。が、なんらかのいわくと云うか……ウラ事情でもあって、テスを追い詰めているとかなんというか……)
そのアマンダは、テスと睨み合っていた。
さっきからふたりの口から、不協和音にも似た、耳の奥にざらざらと残る声が漏れている。子供の頃に見た映画に出てきた怪獣の咆哮のようにも聞こえる。グロテスクな不快感と恐怖をかきたてる声だ。
(――とすると……だよ。テス窮追の理由……って、いや待て! これ、十分理由にならんか!?)
(テスの『超常能力』!!)
彼女らが、ただ唸り合っているだけとも思えないが、ここは深く考えず、アマンダが親友の注意を逸らしてくれたことをありがたく受け取っておこうとクリスタは思った。非能力者のクリスタには、能力者のふたりの行動のすべてなど推し量れない。
(だけど、これも仮説だ。正解か否かも、今のあたしじゃわかりゃしない!!)
一難は去ったとしても、次の災難は即座にやってきそうだと思う。なんといっても目の前の能力者の間に流れているのは、ショート寸前の緊迫した空気だ。
♢ ♢ ♢ ♢
クリスタは、ふたりの能力者に気付かれぬようリックに合図を送った。
「動けるかい?」
リックが首を振る。思わず顔をしかめてしまったクリスタだが、こうなったらこの大男を引き摺ってでも移動したほうがよさそうだと考えていた。
嫌な予感がする。
しかもそれは、どんどん増幅している。
(そりゃ、あたしは能力者じゃないけどさ。けどね、虫の知らせくらいはあるんだよ!)
身体を浮かしかけたクリスタに、リックが待ったをかけた。
「――な! テ……テスが、は……話し掛けて来ただろ?」
「それ、今じゃなきゃダメかい。出来れば後にしてもらいたいんだけどね」
五月蠅そうにあしらう、クリスタ。それでもなお食い下がりたいリックの口は止まらない。
「あ……あんなんじゃ無ぇよ。もっと……いろいろ……俺が……エヴァ・ノックスビルと、その……――――」
「エヴァ? あー、浮気相手の……」
言ってしまってから、クリスタは急いで口をふさいだ。泣きそうなリックの顔を見て、深緑色の瞳が詫びを入れる。
「頼むから、そこ、いつまでもツッ込んでくれんなよぉ。
いや、だから、それを視たって……責められた。それを――」
彼の脳内にテスが直接話しかけてきた、と言う。
その声のことは知らない。が、リックと言い争いをしているとき、頭蓋骨の内側に響いた声はクリスタも聞いている。
テス本人とは思えない、ゾッとするような冷たい声で、「ウルサイ」と。
テスが能力者であるならば、それは感応能力とかいうものを使ったのだろう。
すると宙に浮かんでいるのは浮揚能力とか云うもので、ならば現在身体から閃光を立ち上らせているのはなんの能力の前兆かと、クリスタは無性に不安になって来た。
こんなところで、のんきに語り合っている場合じゃない。
今のテスとアマンダは人格が別人になっている、本来の穏やかな性格とは全く別の人格にすり替わっている。
しかも、かなり凶暴な人格にすり替わっているのではないかと思える。
「それが、なんだってんだい。あたしだってアマンダに、考えていること読まれたよ」
憮然とした態度でクリスタは返すが、どこか強がりみたいな空気が混じってしまった。それを気付かれないかと内心ヒヤリとしていたが、彼の気がかりは他にあった。
「なんだよ、あいつら……」
「今、巷で話題の『能力者』っていう特殊技能の持ち主たちだと思うんだけどさ。おまえさんだって聞いたことあんだろう?」
リックの目がパチクリと瞬いた。
「……あ、亜種ってやつ……か!?」
「嫌な言いかたするねぇ」
クリスタは顔を歪ませ、リックにきつい目線を送った。あんたが亜種と呼んだひとりは別れたとはいえ恋人だよ、と非難しているのだ。ついでにテスの声が直接脳内に声が届いたのは、おそらく『感応能力』を使ったからだろうと解説した。
「そッ、そんなんじゃないかと思ってたぞ、俺も。けど、それより、なんで冷静なンだよ。おまえ!」
「だから、それは後にしとくれったら。あたしゃ移動したいんだ。ここじゃ、とばっちりが飛んできそうだからね」
立ち上がれない彼の腕を掴み、クリスタは壁づたいに横へと逃げ道を探る。しかし筋肉質の重い身体を曳いての移動はままならない。かといって彼を見捨てひとり移動しようという気は毛頭ない。クリスタは渾身の力を振り絞って、リックの身体を引っぱっていた。
「は? とばっちりって、なにが飛んで来るんだよ」
リックの疑問に答えようとしたクリスタの血相が変わる。
「これだよ!?」
いきなり彼女はリックを突き飛ばした。驚きの声を上げながら、彼はひっくり返る。そして、自分もリンボーダンスさながら上体を後ろに大きく反らせた。
その直後、ふたりの間を火の玉がレーザービームのように通過し、衝撃で背にしていた壁に穴が開いた。
パラパラと、土壁が剥がれ堕ちる音が聞こえる。
「ふぇッ。なななななにするんだよ、あいつらぁ~」
「たぶん、念動力とかいうシロモノだよ!」
リックはちらりと能力者たちの姿を捉え、状況からアマンダがテスに向かって念動力を駆使した衝撃波とかいうものを放っただろうことを悟った。
リックとて、超常能力の知識はある。幼少時代は、物語やドラマの中の人並み外れた能力を駆使して悪を倒すスーパーヒーローに憧れていた分、クリスタより余程詳しい。能力を使った戦闘シーンは、固唾を吞んで夢中になって観ていたクチだ。
だから能力の威力や恐ろしさについても、クリスタ以上に知っていた。
それが、現実になっている。目の前で起きている。フィクションと現実の境界線が捻じ曲がってしまった。混乱が収まらない。リックの身体は大きく震えた。
「ちゃ、ちが、違う! ちがッ……発火……発火能力で、火の玉……それ、それを念動力で……ひょえぇぇ!?」
「ああ。火を操る能力だろ。帯電された静電気を強力な電磁波として放射するとかナントカってニュースショーで解説員が言って――」
身体を起こしながら、生真面目に答えてしまうのがクリスタだ。
「だから、冷静に返してくるなって!」
「あたしだって、十二分に焦ってンだよッ!」
双方、こめかみに青筋が立っていた。怒りと恐怖と焦りの感情が一度に湧き上がり統御不能で、訳のわからない涙が浮かんでくる。おかしくも無いのに笑いたくなる。言葉が出てこない。感情が混乱状態だ。
それでも身振り手振りで会話を成立させ、その場を離れることでふたりの意見は一致した。アイコンタクトを交わすと、急いで身体を床に伏せる。そして床を舐めるような低い姿勢で、こそこそと避難し始めたのである。
♡ ♡ ♡ ♡
あたしの目の前に、「あたし」がいる。
だからって鏡にあたしの姿が映っているってわけじゃない。あたしを取り囲む靄の中に、もわもわっと、そんな存在が感じられるのよ。それの姿が見える訳でもないのに、そこに存在を感じられて、それが「あたし」だって覚ることが出来るのって、なぜかしら?
う~~~~ん、よくわかんないけど、もわもわの「あたし」は偉そうな顔して上から目線であたしを視ている。
見えてないのに、なんでそんなことわかるのかって?
だって、そう感じるの。そうすると視えて来るの。
靄が揺れ動き、空間に少しずつあらわになっていく、ひとのかたち。
これって、能力!? あたしの持つ超常能力の成せるワザなのかしら……?
ほら、感応能力とかってヤツよ!
<ソウダ>
ひょぇぇぇぇ。「あたし」がしゃべった!
あたしじゃない「あたし」がしゃべったわ。
ああ、ややこしい。あたしそっくりの姿をしているけど、それは絶対あたしじゃない。別の存在なんだから!
あたしが言うんだから間違いないわ……って、それならあなたは誰なのよ?
<アタシハアナタデ、アナタハアタシ……>
だから、そういう謎かけはいらないんだってば~~~~!!
<アタシハアナタ……アナタノ中デ……アナタガアナタデアル前カラ……>
<――アタシガアナタデ……アナタハ……タダノ……――>
へ!? なんですって、なんて言ったの?
<アナタハアタシ――ナノヨ>
言いたいことがわかんない。でも我がモノ顔で主張されるのは、なんだか癪に障るのよ。
そう!
あなたと話していると――――
なんだか、むちゃくちゃ……
むちゃくちゃ……
イラっとするんですけどッ!!
♤ ♤ ♤ ♤
非能力者のふたりが右往左往している間に、能力者たちは、肉体を駆使することよりも能力を解放することを選んでいた。非力な肉体で大立ち回りを演じるより、強力な超常能力を使う方が、効率良く相手にダメージを与えることを知っているのだから。
アマンダが右手を上げた。
すぐさま掌に火の球が浮かび上がった。それは急速に膨れあがる。クリスタとリックが異変に気付いた時には、バスケットボールほどの大きさになっていた。
ギョッとするふたりを尻目に、アマンダが腕をしならせ、膨大した火球をテスに投げつける。それは同時に、テスの後方にいるクリスタたちに襲い掛かってくるのと変わらない。
「うわぁぁぁ!」
ふたりは同時に悲鳴を上げ、大きな身体を縮こまらせた。
テスは動かない。直撃を喰らうかと思う距離まで火の弾を引きつけると、直前で右手を大きく払った。そうすると火球は彼女の手の動きに合わせて進路を変え、回廊の外へと飛び出していく。
それを視たアマンダが、第二波を繰り出した。再び火球を撥ね除けるテス。口元には余裕の笑みが浮かんでいる。
アマンダの顔が不服そうに歪んだ。彼女の両手に、また火の球が浮き上がる。さっきより炎の色を強くした球が、同時にしなる腕から放たれる。
シュンと云う、空気を切る音。尾を引いて、生き物のように宙を駆ける炎の塊。真っ直ぐにテスへと襲い掛かる。
次々と火球はテスに攻撃を仕掛ける。小さな身体は、それらを難なくかわしていく。その素早い動作と、浮かぶ残酷な笑みを垣間見たクリスタとリックは、疑惑を確信へと変えた。
(これ、絶対、テスじゃない!)
テスのプラチナブロンドが、炎のように揺らめいていた。重力を無視して宙に浮く姿は、どこか頼りなく非現実的で、キラキラと光を振り撒いて飛ぶ妖精のようにも見える。ただし、途方もなく危険な妖精だ。
そして、また妖精は手のひらに火の球を作り出していた。
ピンポンボールほどの大きさの火球が、テスの手のひらの上にふたつ、みっつとシャボン玉のように湧いている。
朱赤に揺らめく球は儚げにも見えたが、テスが口角を吊り上げると、途端に疾風のごとくアマンダへと飛び掛かる。小型とはいえ、早い動きで正面と側面から襲い掛かる火球を避けきれず、標的は悲鳴を上げる。
同時に、彼女らの駆け引きを垣間見ていたリックが引き攣った声を上げた。
テスの身体から、閃光のようなものが立ち上っている。バレエのマイムのように腕を動かし、手のひらを相手に向けると、再び火球が飛び出した。鋭い音と共に、炎は再びアマンダを強襲する。
彼女の身体が炎に包まれた。一瞬、大きく燃え上がる。今度は見ていたクリスタが声にならない悲鳴を上げていた。
が、すぐに炎は収まり、その中からアマンダの姿が現れた。あちこち軽度の火傷を負ったのか、痛々しい姿であったが、眼だけは爛々としている。唸り声を上げ、身体を震わせると、赤く変色していた熱傷箇所が元の肌色に戻っていく。
「ちょっと、すごいよ! 火傷が治っちまった。あれ、治癒能力とかってヤツかい。便利だねぇ……」
感心し興奮するクリスタの横で、声を失ったリックは声も無く何度も頷くことしかできない。けれども次の危険を察知したのは、彼のほうが早かった。
「ほへっ!!」
という言葉にならない警鐘を鳴らし、クリスタの身体を引っ張った。
回復したアマンダが、発火能力による火炎弾攻撃を再開したのである。しかも火球はさっきより大きく、威力が増していそうなのは、非能力者でも簡単に察しがついたのだ。
放たれた数個の火球は絡み合い、渦を巻いて迫り来る。それをじっと見つめるテス。また払い落とすのかと思った時――!
テスが動いた。火炎弾を回避するため、浮遊する身体は回廊の外へと飛び出して行った。その行動が、後方にいる友人たちを窮地に追い込むとは考えてもいない。
――――だから!
急に視界の開けたクリスタは、我が目を疑った。遮るものが無くなったその先に迫りくるもの。目標を失った炎のかたまりが、彼女たちへ牙を剥こうとする姿を直視する。
避けられない!!
クリスタの身体は恐怖で硬直した。
迫る火球。
――灼熱を覚悟する。
その彼女と彼の前に、影が跳びこんできた。
影の前で、炎がなにかの衝撃に邪魔され、四散するのが見えた。
飛び散る炎の無念の叫びが聞こえたような気がする。
クリスタには、なにがどうなったのかよくわからなかった。ただ炎を避けることが出来たのは認識していた。
(……た、助かった!?)
足先から力が抜けていく。壁に背を付けたまま、ずるずると座り込む。
汗が噴き出してきた。心臓はまだ爆発しそうな勢いで動いている。呼吸困難に陥りそうだ。
そんな顔色を失い、生きた心地もしないままの彼女へと、明るい声が降ってきた。
「ひゃあぁ。間に合うたで!」
「大丈夫かいな、姐さん! そっちのにいちゃん!」
そこにはクリスタたちを庇うように、ふたりの青年が立っていた。
白熱する超常能力戦!
絶体絶命のクリスタとリックの前に現れたのは!?




