18. トランキライザー・ブルー その⑥ ☆
第一話最終回です。
ああ、あたし。
また夢を観ているみたい。
ふわりと、花が開く。
大輪の花々が――。
あたしを包むのはミルクのような白い闇。
その中で、たったひとり。
奈落の底へ引きずり込まれるんじゃないかという不安を抱えながら、ぽつんと佇んでいたの。
それとも、ここが底の知れぬ穴の最も深い場所なのかしら。
不安定な状況なのに、感じるのは濃密で滑らかな肌触り。
その心地よさに、ぼんやりと頭の中が霞んでいくわ。虚ろになりかけたあたしの目に映ったのは、湧くように浮かび上がったのは、大輪の花。
あたしを取り巻くように咲く、美しい花々。
あれは牡丹、艶やかな花の王。
あれは芍薬、優雅な花の相。
そして百合の花。気高く凜として。
peony peony and lilies
呪文を唱えたら、まだ魔法はかかるのかしら?
peony peony and lilies
すると花が揺れた。
揺れて、花びらが次々とがく片から離れ、宙に舞い始める。
はらはら、ひらひら、
舞い上がった花びらは乱れ、あたしの視界を覆った。
(あん! なにも見えなくなっちゃうじゃない)
文句を言ったら、花びらは空間を漂い始める。風もないのに。
なんてきれいなのかしらとボーっと眺めていたら、足元をなにかが転がって行った。
手のひらに乗りそうなサイズで、銀色の鈍く光る丸い物体。
あれは――
あれは「隅の老人」が大切に持っていた懐中時計だわ。お返ししようとして、出来なかった。あの事故以来行方不明になっている懐中時計に間違いないわ。
大変だぁ。追い掛けなくっちゃ。
(待って、待ってったら!)
時計は止まらない。
転がって、転がって、どんどん先に行ってしまう。鈍足のあたしは、時計との距離を縮めることが出来ない。
ああん、むしろ差が開いている。
(お願い、待って!)
(なぜ追いつけないのよぉ?)
どうしても捕まえたくて手を伸ばしたら、足がもつれた。そのまま頭から倒れ込む。
「きゃああ」
地面(!?)に打ちつけたおでこは痛くないけど、目を離したスキに時計を見失う訳にはいかないわ。
急いで顔を上げたら、誰かが時計を拾い上げているのが見えた。
――うさぎだ。
まるぶち眼鏡をかけた白うさぎ。気難しい表情をして。
拾った時計を大切そうに握りしめている。
そう。それはあなたのもの。
奥様からの、最後のプレゼントだったんでしょう?
そう問いかけたら、こちらを見たうさぎが顔をしかめた。不機嫌? ううん、その表情って笑っているのよね。
わかりづらいんだから。
ほら、はらはらひらひらと花びらが舞う。
今度は薄紅色の小さな貝殻みたいな花びらが。
ステッキをついた老うさぎは顔を上げ、花の雨を眺めている。
その顔が嬉しそうに見えたの。
嬉しそうに……。
そうだよね、「隅の老人」。
♡ ♡ ♡ ♡
あたしは弾かれたように身体を起こした。
うわぁ。いつの間にか眠っていたんだ。
トラットリア「アマレッティ」でのディナーを終えて、クリスタとシェアルームに帰って来て。
彼女が先にシャワーを浴びる間に、ちょっとだけ……とソファーに座ったら、そのまま睡魔に勝てなかったみたい。
ふぅ、相当疲れていたのね。
今日は……色々あったから。
それにしても、また夢の中にうさぎが出てきたわ。
どういう意味なんだろう? 懐中時計は無事に老人の手に戻ったと云うことなのかしら。だとしたら、喜ばしいことだけど。
待って、待って。なら、老人は生きているってことだよね? 生死不明の行方不明だってオーウェンさんから聞かされていたけど、時計を取り戻したってことは、どこかで生存しているってこと――よね。
違うのかな。
(彼ノ生死ハトモカクトシテ、時計ハアルベキ場所ニ戻ッタト云ウ事ジャナイノカシラ)
あるべき場所って、どこよ。中途半端な表現ね。
う~ん。老人じゃないけど、相応しいひとの手に渡ったとでもいうのかな?
相応しいひと? それ、誰よ?
(サァネ)
さあね……、って。あ、はぁン。「アタシ」にもわからないことがあるんだ!
でもね。そうだといいよね。本当はあたしが老人に返したかったんだけど、それが叶わないならば。どういう経路を辿ったのかはわからなくても、紛失物が持ち主の元に戻るってことは、嬉しいことだよ。
「隅の老人」も喜んでいるみたいですもん。
でしょ?
その問いに「アタシ」は答えてくれなかった。わからないから、拗ねているのかしらね。それともへそ曲がりの「アタシ」は、「隅の老人」が喜んでいるのが面白くないのかしら。
性格悪いわよ! いいことは素直に喜ばなくっちゃ。
――と、一段落したところで。
サロペットのポケットの中に違和感を覚えた。
(なにか入っている?)
おかしいわね、ポケットは空のはずよ。中に入れておいた「香合」はマオに返したんですもの。頭をかしげながら中身を取り出してみたら……。
ひょえっ! 返したはずの寄せ木細工の「香合」が出てきたッ。
様々な樹木の自然の風合いを活かして作られた贅沢な幾何学模様。それぞれの木々が持つ色合いや木目が織り成す美しい対比。しかもまろやかな丸みを帯びた、マカロン・リスみたいなこの形状。
彼の長い指が、大切そうに触れていた工芸品よ。
(うそっ!!)
(なんで!?)
(どうして戻ってきたの?)
急にドキドキしてきた。どうしたら良いのかわからなくて、意味もなく香合をひっくり返したり表に返したりと手の中で弄ぶ。
(あたし、ちゃんと返したわよ~。覚えているもん、クラビエデス通りを歩いているときにマオに返したこと。その時マオが言ったことも覚えているわ)
あたしに確かめたいことがあって、もう一度こっそり会いに来るよってメッセージ代わりにポケットに滑り込ませておいた、って彼は言ったわ。
(メッセージがわり……?)
あたしは香合をじっと見つめた。
(もう一度会いに来るよって……)
そうよ。今日のお礼に、カフェ・ファーブルトンでお茶を奢るって、約束した。
(来てくれるって、こと? 待っていてもいい、ってこと?)
彼は紳士だから、約束は違わないわよね。
ドキドキは期待感に変わる。
クリスタが言っていた。彼がいなくなったのは、ハイウェイバスの乗車時間が迫っていたからじゃないかって。あたしも、そう思っている。
だって最終便に乗り損なったら、直行便は明日の昼まで無いの。それじゃ1時限目に間に合わないもんね。
だって月は遠いんですもの。
また会いに来てくれたなら、急にいなくなった訳も教えてくれるよね。「ごめん」って笑ってくれるよね。あのすました笑顔で。
その時のために、この香合を、またポケットに入れておいてくれたんでしょ。
だよね?
うふ。それだったら珈琲でも紅茶でも、ベイクドチーズケーキだろうが軽食だろうが、お姉さん奢っちゃう!
イラスト:九藤 朋様
わぁい、なんだか元気が出てきた。笑顔が浮かんでくる。
幸せな気持ちのまま、あたしは両手でそっと香合を包む。そして呪文を唱えるの。
(peony peony and lilies)
(また彼に会わせてください。彼にきちんとお礼をさせて。もっと話もしたいし、そうだわ、クリスタにもきちんと紹介しなくっちゃ。それから、それから……)
ああん、どんどん期待は高まっていくわ。浮き立つような甘い気持ちが膨らんでくるの。
膨張した高揚感が抑えきれなくなったらどうしようって思っ……――、
あれ?
今、なんだか、手のひらの中で異変を感じた。
嫌な予感。
手のひらの中には香合があるのよ。マオから預かった大切な香合。
――なんだけど。
(あり得ない、あり得ない、あり得ないよぉ)
まさか、という思いに心拍数はさらに早くなる。反対に、さっきまで木星までいけそうな勢いでウキウキしていた気持ちは、今度は急下降している。
それでも恐る恐る手を開いて、貴重な工芸品の状態を確認してみなければいけない。
(――ほぇっ!)
寄せ木の幾何学模様の一カ所が、数ミリ盛り上がってズレている。
マカロン・リスみたいに、ピエのついた生地をクリームで貼り合わせたような。コロンとした、それでいてどこにも出っ張りや継ぎ目など感じられない、ツヤツヤぷっくりと上手に焼き上がったマカロン生地みたいな形状だったのに。
幾何学の模様の一部分が外に飛び出しちゃっているの。
(こ、壊し……ちゃった!?)
落ち着け、あたし。
ズレた部品は、元に戻せばいいのよ。そうよそうよ、簡単なことよ。
ゴクリと息を飲み込んで、心を落ち着ける。それから人差し指で、飛び出した部分を抑え、そぉっと元に戻そうと動かしたら――。
別の部分がスルルっと動いて、また別の寄せ木の模様が飛び出してきた。
(えええぇ~)
焦っちゃダメよ。落ち着けぇぇ!
震える人差し指で二つ目の飛び出してきた部分を元の場所に押し込もうとしたら、さらにその横の木片が摘まめるくらい頭を出して来た。よせば良かったんだけど、気になって、ついうっかりそれを摘まんで引き抜いちゃった。
(ひぇぇぇん!)
これはマズいと引き抜いた木片を無理矢理差し込もうとしていたら、きっちりと隙間無く組まれていた幾何学模様の継ぎ目が崩れだした。
なによ、これ。元に戻そうとすればするほど壊れていく。
ああ~ん、おかしいわよ。マオは、この香合は仕組みを知っているひとにしか蓋が開けられない、とか言っていた。だけど蓋は開くのではなくて、壊れていく。
立体パズルを崩すみたいに部品がバラバラになっていくんですけどぉ。
どうすればいいの。どうすればいいの、これ!?
ソファーの上で、崩れた香合を手にしたままあたふたしていると、シャワーを浴び終えたクリスタが戻ってきた。
「テス。おまえさんも早くシャワーを浴びちまいな。スッキリするし、疲れも洗い流せるからさぁ……。って、あれ? なにやってんだい」
不思議そうなアルトボイスが頭上から振ってくる。
天からの救いのような、神々しい声が!
「こ、壊れちゃった、壊れちゃったの。大切なものなのに、壊しちゃったのッ。
どうしよう、クリスタ」
バスローブを羽織りタオルで髪を巻いた彼女は、片手間に水分補給をしながら、あたしの顔を覗き込んだ。
頼もしい救いの女神様は、半泣き状態で焦っている友人を見捨てたりはしないのよ。例え、スッピン湯上がり姿(どんな格好でもクリスタは銀河系一の美人だわ!)でも。
だから急いで両手を開いて、無残な形になった寄せ木細工の工芸品を彼女に見せる。
「なんだい、これ?」
「香合」
眉間にしわが寄ったのは「香合」と聞いても、その品の用途がわからなかったのと、また問題事が発生したことを知ったからだろう。
「小物入れみたいだけど、立体パズルのような仕掛けになってンのかい」
「わかるの? 直せる?」
確か、これって、からくり箱になっているとか言っていた。
「からくり箱って、押したり揺らしたり開け方そのものがパズルになっているヤツだろう。種類の違う木材を組み合わせて作る入れ物だと聞いたことはあるけど、へえぇ、これがそうかい。面白い代物だねぇ」
背もたれの後ろ側からひょいと腕を伸ばし、クリスタはバラバラになった寄せ木の一片をつまみ上げ、興味深げに凝視している。
この際、面白いとかは関係ないの。元の形状に戻せるかどうかが重大で。
大切な預かり物なんですもの。
涙をこぼしかけているあたしの隣に、彼女が腰を下ろした。
「ほれ、貸してごらん」
いつものおおらかな笑顔で、褐色の大きな手を差し出してくれる。
深緑色の大きな瞳が「仕方が無いねぇ」と囁いている。
子供の頃から変わらない優しい笑顔。
あたしが超常能力者になっても、変わること無く接してくれる大切な幼馴染み。
誰より頼りになる――あたしの大親友!
「ふぇ~~ん、クリスタぁ~」
こうして。また。
あたしはクリスタに泣きつくことになってしまったの。
ああん!
♡ ♡ ♡ ♡ 第一話 あたしの秘密とアナタの事情 END ♡ ♡ ♡ ♡
ここまで『テスとクリスタ』にお付き合いくださいまして、誠にありがとうございました。
ようやくENDマークを付けることが叶いました。
書き始めた頃はここまで走ってこられるのか、勝算は全く無かったのです。
ここまで来られたのは、怠惰なわたしに声援を送ってくださった皆様のおかげです。感謝しかありません。
ついでにサブタイトルを付けてみました。もっとなろう的に「あたし、能力はいりません! だからフツーの生活に戻してよ!」とか、「能力者になったら彼氏にフラれたけど、そのウラではなんだかいろいろ企みがあるらしくって困っています(泣)」とかの方が良かったのでしょうか。
ところで。
謎はまだ残っています。と云うより、ほとんど解けていませんよね。テスの想いの行方もどうなるのか。続きは第二話へと……。
能力者不法犯罪特別捜査班《TICOIS》の発足と、テスの准A級認可証の取得。メリルのお見合いにクリスタのモデル業、そしてマオはカフェ・ファーブルトンに現われるのでしょうか? 天敵ベーさんは?
第一話同様てんこ盛りのハイテンションでお送りする予定なのですが、ちょっと休憩させて。体力回復と、調べ物もしたいので。
その間に、イラストの追加と改稿をしながら、第二話を考えようかと思います。(←これから!?)
2020/12/11 挿し絵を追加しました。九藤 朋様よりの頂き物です。ありがとうございました。
そこで、次回は感謝の気持ちを込めまして「脳天気なお気楽テス」の妄想爆発SSをお送りします。三人娘の賑やかな女子会を覗いてみませんか?
ちょっと刺激的なイラスト突き♡
フフフ。
それでは、また。
 




