1ー1.選定の儀式、その直前。
(ああ、早く終わらないかしら――)
この日、華火国の皇帝が世代交代するための選定の儀式が、秘めやかに行われた。
十年で代替わりをするこの国ならではの習わしであり、守護神である龍神様からの啓示の日でもある。
誰が次代皇帝に選出されるのか――通常であれば、期待や緊張を孕んでこの場に居合わせることだろう。
が、しかし。
皇帝候補者の一人である倫花は、この場に集まる面々を見渡すだけの時間に早々に飽いていた。
ここに留まって、既に一刻は過ぎていた。ご神託がまだ降りてこないということで、ただただ候補者たち全員が待たされ続けている。
一度解散して再度集合でいいのではないだろうか。それか、誰かお茶休憩でも入れてくれやしないだろうか。
そうは言っても、この場にいるのは候補者と、ご神託を待つ教皇のみ。部外者立ち入り禁止のため、茶菓子を運んでもらおう! なんて言ったら最後、「何考えてんだ、おまえ」と総攻撃をくらうだろう。
さすがの倫花も空気は読む子だ。
されど、腹は減る。こちとら寝坊で朝に粥を掻き込んでやってきたのだ。消化が良すぎて、胃はもはや空っぽである。
とにかく早くしろ、何やってんだ龍神様――。
バチ当たりなことを考えながら、とにかくこの重苦しい場で時が過ぎるのをひたすら待つ。
暇つぶしがてら、倫花は候補者たちの様子を見やった。候補者たちとはいつも互いに会話を交わしていたが、今日は皆揃って黙り込んでいる。倫花も例に倣って、話しかけるようなことはしなかった。
候補者は倫花を含めて五人だ。
華火国の皇帝は、建国以来、五階級の最上位である五冠の六家から候補者が選出される仕来たりとなっている。
水狼を家紋とする胡家から、齢二十二となる桃李。
火獅子を家紋とする焔家から、齢二十となる紫音。
風虎を家紋とする欄家から、齢二十となる八千代。
雷鳥を家紋とする唐家から、齢十九となる弦時。
そして――地熊を家紋とする樹家から、齢二十となる倫花。
五冠の六家のうち、岩蛇を家紋とする堰家は今代の皇帝の生家であるため、今回の候補対象外だ。二世代続いて皇帝の座に就くことがないのも、建国以来の習わしである。
候補者たちの年齢が似通ったものになるのは、歴代の皇帝が年若い者から選ばれていることに他ならない。なぜ若者なのかというのは龍神様の思し召しなので、誰にもその真意を知る者はいない。倫花としては、活きが良く、伸び代があるかどうかで篩いにかけているのではないかと、密かに思っていたりする。
――選定が終われば、昼御飯を宮廷で振る舞ってくれるのだろうか。
候補者たちは皆、多かれ少なかれ緊張した面持ちであり、やはり自分ほどこの選定に興味がない者はいないように見えた。
(だって、次の皇帝は間違いなく彼に決まっているもの)
倫花はちらりと、この中の誰よりも余裕の表情で静かに佇んでいる人物へと目をやった。
短い黒髪に、鋭い夜の色の瞳を宿した紫音だ。彼は自分と年は変わらないのに、候補者の誰よりも広い見聞と高い視座を持ち、そのくせ親しみやすい性格で皆から慕われ、人を惹きつけてやまない――彼は自分を含め、他の候補者たちとは一線を画す人物である。
そう思っているのは倫花だけではない。皆、口には出さないものの、紫音が皇帝に選ばれるのはほぼ確実と思っている節がある。
自信家の欄家の八千代ですら、次代は自分か紫音のどちらかだと言い張っているのだから面白い。
倫花としては、今代で八千代が選ばれることはほぼないと思っていたりする。というのも、この一年、候補者たちは一様に宮廷に集められ、帝王学や政務の教育を受けるのだが、彼は頭のほうはからっきしだった。ただ、身体能力は他の候補者の誰よりも抜きんでている。
皇帝の選出から外れた候補者たちは、その全員が次代皇帝の側近として配置されるのだが、八千代の場合、選定の儀が終わった後の役職は軍部一択だろうと、本人を除く皆が確信していた。
ふと、濃い青の瞳が倫花の目と交わる。いつの間にか、紫音をじっと見つめ続けていたようだ。彼は倫花の視線に気付き、俯いていた顔を上げ、彼女の姿を捉えた。
いつもと変わらぬ幼馴染の優しい目に見つめられ、倫花の胸が跳ねる。
普段だと見えない尻尾を振りながら気安く話しかけに行くところだが、今日はぐっと我慢して、視線だけで会話を試みた。
(早く終わって欲しいよね?)
倫花の言いたいことは正しく伝わったらしい。紫音は手を口に当てて、横を向いて堪えていた。
そんな彼を見て、倫花も表情を崩す。彼が皇帝になると、こんな風に笑い合う機会も減ってしまうかもしれない。少しの寂しさを感じながらも、今この心地よい瞬間を楽しんでいた、そのとき。
奥の間から、長く、それでいて軽やかな真っ白な衣を引きずりながら、教皇が姿を現した。
「――今しがた、龍神様よりご神託を賜りました」
教皇の片手には、神託球と呼ばれる、龍神からのご神託を賜る際に使用される宝具が掲げられていた。
候補者たちも、その宝具を見るのは初めてで、皆一様に不思議な色合いの神々しさに目を奪われてしまう。
いよいよ、次代が決まる。
先ほどより一段と空気が張り詰め、ここにいる全員が息を呑んだのがわかった。それは倫花も例外ではない。
教皇が居住まいを正し、厳かな様子で神託を読み上げる。
「次代皇帝は――」
――その口から発せられた言葉に、倫花の耳から一切の音が消えた。




